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44話 夢は夢のままで

 杏奈先生が帰ると、私はカバンからロマンス小説を取り出してページを開いてみた。


 杏奈先生は他にもチョコクッキーやメレンゲクッキーなどのお菓子をくれたので口元は寂しくならない。


 いつものようにロマンス小説を楽しめるかとも思ったが、読んでもちっとも心は満たされなかった。


 確かに面白くて心が躍る瞬間もあるが、あんな夢を見て目醒めた後では、ロマンス小説の世界も色褪せて見えてしまった。いつかは目が覚める竜宮城にも見える。


 私もこれから現実に帰らなければならない。私はロマンス小説のページを閉じて、カバンにしまった。おそらくもう開く事はないだろう。


 夢は夢のままでいる方が良いのかもしれない。


 所詮、人間の欲は天井がない。いつかは現実に帰って、堅実に生きている方が良いのかもしれない。


 とても寂しいが、ロマンス小説とも縁を切る時のようだ。

 退院して家に帰ったら、本棚に大量にあるロマンス小説は捨てようかと思う。いつまでも夢を見ているわけにはいかないようだ。


 今月やらなくてはいけない事をメモに書き出す。ウンザリしてしまうが、そのリストを見ていると地についた現実に生きている事を実感して、意外と心は静まった。


「藤崎さん」


 ちょうどリストを作り終えたとき、一人の男に声をかけられた。あの夢の中での最後の事件で殺された男だった。


 夢の中では、嫌味ったらしい笑顔を浮かべていたが、今はとてもバツの悪そうな顔をしていた。役所に勤めていそうなスーツ姿という共通点しかない様に見える。


 夢の中の人物とは別人にようだ。この男も夢の中では殺されてしまったが、生きていて良かったと思う。そこでは儀式で殺されていたが、やっぱり現実にはそんなものは無さそうだ。夢の中では、変な儀式の影響で異世界転移が出来たようだが、そんな事は現実には絶対に無いと思わされた。


「月宮さん……」


 口にしながら、男の事を思い出す。綾本の兄だった。家庭の事情が複雑で、苗字が違うが妹の綾本については可愛がっていたらしい。


 綾本が自殺した後、彼は学校に乗り込んできて私を責めた事を思い出す。


 辛い事だが、月宮は悪くない。仕方がない事だとも思う。


「本当にすみません。まさか、あなたまで自殺未遂してしまうとは……」


 月宮は、深々と頭を下げる。病室には、二人きりでいるが、他に人がいなくて良かったと思う。


「いえ、良いんですよ。私はどうかしてしました」


 私が急いで笑顔を作ってそう言うと、月宮は本当にバツが悪そうだった。


「お詫びじゃないですが、一応これを」


 月宮は、フルーツが入った小さなバスケットを私に渡す。色とりどりのフルーツではあるが、コージー村でとれたものより小さい。あまり生命力も感じず、元気なフルーツには見えない。こういう細かい差異に気づく度にやっぱりコージー村は夢だったと思わされた。


「そういえば、月宮さん。マスクしていませんね?」


 病院では感染症対策が厳しいはずだが。


「いえ、感染症は茶番なのでつけません!」


 さっきまでバツが悪そうにしていた月宮だが、マスクや感染症対策についてはノリノリに話し始めた。どうやら陰謀論にかぶれている男のようだった。こう言った話もファンタジー風で夢みたいだと思い、白けた気分で聞いていたが、本人は楽しそうだった。


「藤崎さんはムーンショット計画について知ってます?」

「ムーンショット計画?」


 その言葉は、夢の中であの男が話していた。


「人間の技術がこのまま成熟すれば、もう人間は死ぬしかなくなる。人間のする事もAIにやらせれば良いんですから」

「そうね」

「だから、夢を見せたまま安楽死させるムーンショット計画はあると思うんだよ。実際、異世界ものの非現実的なエンタメが流行らせている理由もそんなところにある気がする。考えすぎかね」

「そうかもしれないわね」


 月宮の陰謀論は、聞いているととても眠くなってきたが、それだけは同意できる。


「そうね。現実を見て生きていかないとね」

「ああ。妹は、逃げてしまったからな。死んでも異世界転生なんて絶対できない。別の世界なんてないし、逃げ場所なんてないんだよ」


 遠い目をしながら月宮は語っていた。ふと、頭に何か閃くようなものがあった。厳しい言葉ではあるが、今の自分には必要な気がした。


「月宮さん、一つ質問していい?」

「何でしょうか?」

「綾本は異世界もののライトノベルを書いていたよね?」


 月宮は、目を見開いて驚いていた。深く頷き、こうも言う。


「妹の書いていた小説を読んだら、あなたを恨む気持ちは綺麗に無くなりましたよ。あなたを主人公のモデルにしていましたよ。妹は、あなたの事は嫌いではなかったと思う。ま、俺は小説の中で殺されてしまうんですがね」


 やっぱり。


 綾本は小説を書いていて、彼女の身近な人達をモデルにしていた。その事を喜んでいいのか私にはわからなかった。





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