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43話 夢の亡霊

 しばらくは入院生活だった。


 親からは連絡があったが、流行している新型インフルエンザが怖いから見舞いは行かないと言う。


 まあ、両親はそこそこ高齢ではあるし、仕方ないだろう。

 身体はどこにも異常がなかった。精神科のカウンセリングも受けたが、記憶喪失の演技をした。事実、自殺を図った時の記憶は曖昧。でも、あまり思い出したくはないし、このままでも良いと事で落ち着いた。投薬療法も免れ、仕事もしばらく休職中になっている。


 職場には戻りたい気持ちは薄くなっていた。綾本の事を考えると、自分は教師失格なのではないかと思えてならない。ただ、好きな英語だけはやめたくは無いので、他の仕事を探したり、留学してもいいんじゃないかとも考えていた。


 夢とはいえ、あれだけ日常的に英語を話していた事は記憶にこびりつき、もう一度日本語が通じない世界に生きたい気分も出てきた。まあ、お金の事もあるし、実行するかは未定ではあるが。


 そんな明るい気持ちでいると、精神科の医師も病気ではないと言われた。何が精神疾患なのか定義はよくわからないが、今のちょっと明るい気分でいる私は、メンタルを病んでいる自覚は持てなかった。


 ただ、病院の食事はあまり美味しくはない。


 あっさりとしたお粥が多く、飽きてしまった。コージー村の食事は意外とすぐ馴染んだが、病院食は慣れない。あと数日で退院出来る予定なので我慢するしかないが、あの夢の中で杏奈先生が食にこだわりがあった事を思い出すと苦笑してしまう。


 それにしても何で職場の同僚があんなリアルに夢に出てきたのだろうか。


 夢なので説明がつかない事もあると言われればそれまでであるが、その謎だけは依然として残ったものだった。


 杏奈先生はどうしているのだろう。夢の中では無残に殺されてしまったが。


 そんな事を考えていたせいだろうか。杏奈先生が面会に来てくれた。


「全く忖度マスクや検温をするのが面倒で仕方ない」


 病院では感染症対策をしっかりとしている。仕方がない事ではあるが、杏奈先生はぶつぶつと文句を言っていた。


 ちょうど病室の同じ部屋の患者は、外に出ていて杏奈先生と二人きりだった。


 時々看護師の声が遠くで聞こえるぐらいで静かなものだった。


「真澄先生、大丈夫?」

「え、ええ」


 正直なところ、幽霊にあった気分である。それだけあのコージー村の夢が強烈だったようである。


 杏奈先生はボブに殺されてはいなかった。もちろん、行方不明にもなっていないし、コージー村にも転移したわけでもない。最初から私は夢を見ていたようである。


「これ、病院食だと退屈だと思って。パウンドケーキなんだけど、食べる?」

「パウンドケーキ?」


 杏奈先生は、紙袋から綺麗にラッピングされたパウンドケーキを取り出す。手作りの美味しそうなケーキだった。断面はぎっしりとドライフルーツが見える。見た目も鮮やかである。


「わあ、美味しそう。杏奈先生って料理好きなんですね」

「そうよ。英語教師にならなかったら、実家のカフェ継いでるわね」

「実家がカフェだったんですか?」


 これは初耳である。


「前話さなかったけ? このケーキも実家のレシピで使ったから、かなり美味しいはずよ」

「本当にカフェやってるみたい…」

「え?」

「いえ、なんでもない。食べていい?」

「どうぞ」


 杏奈先生は、笑顔で頷く。


 パウンドケーキはほのかに洋酒の匂いもして美味しかった。離乳食のような病院食に慣れた舌には、最高のデザートのようだ。


 夢の中とはいえ、杏奈先生のキャラは現実と共通点があるようだ。こんな一致している夢だったとは、嬉しいというよりは少し気味が悪い。


「杏奈先生生きてたんですね」

「何言ってるのよ、それはこっちの台詞よ。全く自殺するなんて。綾本の事なんて放っておけばよかったのよ」


 杏奈先生はプリプリと怒っていたが、ずっと死んだと思い込んでいた人間が生きてうるだけで、少し泣けて来てしまう。


「これ、一応真澄先生の荷物。必要よね?」

「わあ、杏奈先生ありがとう」

「全くあなたは呑気ねぇ。これからどうするの?」


 私は杏奈先生から荷物を受け取る。自殺する前に使っていた通勤カバンで、中には手帳、財布、通勤中に読んでいたロマンス小説、それにスマホが入っていた。コージー村の生活は悪くなかったが、やっぱり文明の利器をみるとホッとしてしまうのは事実だった。


「綾本の事はやっぱり責任感じる…」

「忘れなさいよ。あなたの責任じゃないわ。責任があるとしたら、この学園の人物全員そうだよ。それにうちは意外とブラックだし、私も仕事やめようかとも思ってるのよね」

「え、本当?」

「ええ。それこそ実家のカフェでもつごうかしらね。この疫病騒ぎで両親も参ってるのよ」

「向いてると思いますよ!」


 杏奈先生がカフェで働いている姿は、ありありと思い浮かべる事ができた。


「あなたも何でカフェ店員が向いてるって言うのよ」


 杏奈先生はため息をつく。


「あなたも?」


 この言い方だと、他にも似たような事を言った人物がいそうな口ぶりである。


「うん。綾本にもカフェ店長すれば良いのにって言われた。それになぜか実家のカフェの事もよく質問して来たわ。カフェでバイトでもしたかったのかしらね。そういえば綾本はカフェが舞台のコージーミステリが好きだったみたいで、その洋書を貰った事もあったけど」


 杏奈先生は、またため息をつき、パウンドケーキに包みを開けて食べ始めた。

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