すれ違い
9月
「ねー、大ちゃん、美加さんと仲直りした?」
三夏は暑そうに、下敷きをうちわ代わりにパタパタと扇いでいた。大樹はバイクの雑誌を見たまま、興味のない様な返答をした。
「いーや」
その返しで三夏は机の上につぶれると、唇を尖らせる。
「大ちゃんから謝ったらいいのに」
「そうはしたいけどよ、色々あんだよ」
「言い訳にしか聞こえない」
その言葉に、思わず抵抗したように大樹は口を開く。
「そんな他人の事より、三夏っちゃんも、早いとこ有吾と決着付けねーと、他人に取られちまうぞ!」
「なっ?!」
三夏は勢いよく起き上がると、顔を真っ赤にする。
「ちょ、ちょっと、何を言ってるの?」
「俺等4人って幼馴染みだろ? 三夏っちゃんの態度を見てたら、すぐに解るって。響也だって知ってるよ。知らないのは有吾ぐらい。あいつ、頭が良いのに勘は悪いからな」
三夏はさらに顔を赤くする。
「ばっ、馬鹿な事言わないでよ! わっ、私はただ、昔から知ってるから、世話を焼いたり、悩み聞きたり、たまにご飯作りに行ったりしてるだけで、そんな感情は、微塵にもございません!」
慌てて誤魔化す三夏を前に、解っていると言いたげに笑顔を見せ、大樹は話題を変えた。
「それならいいけどよ、それより最近な、響也に会ったか?」
「響ちゃん? ………会ってない」
「そうか、何だか休みっぱなしで心配だな」
「そうね。なにしているんだろ?」
そこで教室の扉が開き、有吾がやってくる。彼は両頬を腫らしムスッとしている。
「おっ、これは、進路説明室に呼ばれた狩田君では無いですか。何だか不機嫌ですか?」
「マジで信じられねーぜ! あの先こー、勝手に俺を進学の方に入れてやがった!」
「嘘っ? それって、ひどすぎない?」
三夏の声に有吾は頷く。
「だろ? だから、進学も就職のしないって言ってやった!」
そう得意げに話す有吾に、大樹は真剣な顔に戻り訊ねた。
「で、親は何て言ってんだ?」
有吾は思わずつまり、ため息交じりに顔をしかめる。
「………最近会ってねーんだわ」
「だったらよ、受けるだけ受けてみたらどうだ? 親も大学を進めているなら、受験料も授業料も出してくれるだろ。そっからでも十分、有吾の夢は追えるんだろうし」
そう言って、大樹は意味ありげに三夏を見る。三夏は驚いた様に目線を泳がしていた。
「そう言われてもなー………」
有吾は悩んだ等に眉毛にしわを寄せ、空いている椅子に座ったところに、再び教室の扉が開いた。
やって来たのは、さきほど話題に上がっていた響也だ。
「響也!」
大樹の呼びかけに、響也はみんなを見てから、何か言いたそうに口を開けるが、結局は何も言わないまま、口を閉じて自分の席に腰を下ろした。
「響也、何かあったのか?」
ただならぬ雰囲気を感じて、有吾がそう訊ねた時に、運悪く授業開始のチャイムが鳴る。
この中で唯一、別のクラスの有吾は渋々自分のクラスに戻っていく。
代わりに大樹かたずねた。
「響也、最近休みが続いているが、どうかしたのか?」
再び、響也は何か言いたげにしていたが、結局はそのまま息を飲み込みこんで答えた。
「………何でもねーよ」
言いたいけど、言いにくい事なのだろうか? 響也はそのまま口を閉じた。
意味があるのかわからない様な、つまらない授業が終わり、学校が最後のチャイムが鳴る。
有吾は慌てて大樹たちの教室にやって来るが、もう響也は帰った後だった。
「大樹、夏、響也は?」
「チャイムが鳴るとすぐに帰っちまった」
「響ちゃんどうしたんだろ?」
「あいつ、8月ごろから変だったけど、俺たちに相談しないところを見ると、自分で何とか出来る悩みなのかもな」
大樹がそう付け加え、ため息を吐き、答えを求める様に有吾を見る。
「そうで有って欲しいけど、俺たちだって、悩みぐらいなら聞いてやれるのにな」
「そうだよね。友達なんだから、頼って欲しいよね」
その二人の意見に、大樹は微かに笑った。
もし、俺がこの二人に悩みを相談したら、二人は必死になって解決策を探してくれるだろう。
そこで、大樹は真顔に戻って有吾を見る。
しかし、そうやって頼ってしまうと、こいつと俺は対等にならないかも知れない。
それは屁理屈に思うかもしれないが、男の意地かもしれない。
大樹は、そんなつまんない感情を持ちながら有吾を眺めた。
「たしかにな。まー、響也が相談するまで待つしかないけどよ。俺たちもそろそろ帰るか」
「そうね。帰りにどこか寄る?」
三夏の提案に、有吾は頷いた。
「そうだな、今日は俺もバイトがないし、いつものハンバーガーショップに寄って帰るか?」
「良いわね。大ちゃんは?」
「あっー、俺はパス。今日は先輩に誘われて、バイクで峠を攻めに行くから」
「えっー、つまんない」
そう唇を尖らす三夏に、大樹は小声でアドバイスをした。
「たまには二人で行ってこい。進展があるかもな」
三夏は顔を真っ赤にして、大樹を殴る。
大樹は笑いながら有吾を見るが、彼は気になり事があるのか、上の空だった。
駅前のハンバーガーショップの店内は込み合っていて、最近の流行りの曲が流れているが、人々の会話の方が大きくてよく聞こえなかった。
二人はいつも頼んでいるマンネリ化したような炭酸飲料を頼み、大きいサイズのポテトを一つ割り勘で買い、辛うじて開いている席に腰かけた。
夏の暑さを炭酸飲料で潤すが、そのまま言葉が出てこない。
いつもなら響也や大樹のバカ話が始まるのに、その日は静かだった。
「なー、夏。最近な、皆んな付き合いが悪いと思わないか?」
「そっ、そうね」
三夏は大樹に言われた台詞を意識してしまい、頬が赤らんでしまう。
しかし、そんな事に気付かず、有吾は寂しそうにポテトをかじった。
「何だかさ、最近、皆んなバラバラになる様で寂しいな」
「うん、確かにね」
有吾のトーンの落とした声に、三夏もうなずく。
「響也の奴、あれからなにか言ってなかったか?」
「聞く前に帰っちゃって、何も聞けなかった」
「そうか。………今からでもあいつんっ家に行って、聞いてみようかな?」
「それは、止めた方が良いんじゃない? 言いにくい事を無理矢理聞いても、響ちゃんは言ってくれないだろうし、少し落ち着いてから尋ねた方が良いかもね」
「そうだよなー。解ってんだけどなー」
そう言って、有吾は頭を抱える。
そうやって、友人のために頭を悩ます有吾の姿は好きだが、それに飲み込まれて、傷つく姿は見たく無ないと三夏は思った。
峠の山道をバイクが走り抜けていく。
大樹はドンドンとスピードを上げていき、身体を倒しカーブを曲がっていく。
快調に飛ばしていたが、前方に遅いバイクが居たのでスピードを緩める。
しばらく後ろをついて走っていたが、このスピードなら抜けると思い、次のカーブで抜くと決めた。
このとき大樹の感覚は、一般的な者とは少し違っていたのだ。
普通なら、前方の遅い単車は直線で抜くものだが、レースを経験した大樹は、カーブで抜こうと考えた。
そして、カーブに差し掛かり、カーブの外側から抜きにかかった大樹に驚いたのか、前を走るバイクの者は内回りをしようとして、豪快にこける。
大樹はそれを躱そうとして、反対車線まではみ出した。
その反対車線には車のヘッドライトが見え、これは躱せないと、思わずブレーキを握った。
タイヤが滑り、そのまま制御が聞かなくなったバイクは、ガードレールに衝突して、大樹は空に投げ出されていた。
谷が深い。これは、不味いな。
そう冷静に考えたのまでは覚えているが、そこから記憶が無かった。
『おっちゃん、タイムは?』
『………っ、………ぇ』
『えっ? 聞こえないよ! 俺は、今回も表彰台に登れるのか?』
『……ぁ、………ぃゃ』
『だから、聞こえないって! なぁ、おっちゃん! 俺は速かったのか? なぁ、おっちゃんって!』
おっちゃんの声はドンドン遠ざかり、ついには聞こえなくなってしまった。
次に気が付くと、見知らぬ天井が見えた。
そこにはカーテンレールが見える。
大樹はゆっくりと横を向き、窓から見える空を見た。
開いている窓からは、微かに風が入ってくる。
何時間寝てたのだろうか。昨夜の記憶がない。
というか、昨日、いつ寝たのだろうか?
混乱しているところに、看護師さんがやってきて、点滴を調べる。そこで大樹と目が合った。
「目が覚めましたか?」
「えっ? ………はい」
そこでようやく、昨夜の事をうつろに思い出した。
事故現場の谷底から上げてもらい、救急車で運ばれ、病院に着いて、そのまま治療を受けた。
痛みはあまり感じなく、妙に冷静な頭で、この怪我は、次のレースまでに直るかななんて考えていた。
大樹はゆっくりと右腕を見る。
麻酔が切れて来たからか、少し動かしただけで激しい痛みの起こる右腕には、簡易的なギブスがまかれていた。
「結構、高いところから落ちたみたいですね。無事で何よりです」
「そうですか」
頭が混乱しているのか、他人事のように答えてから問いかける。
「あの、俺、バイクに乗ってて、10月にレースあるんですけど、それまでに、これって治りますか?」
「後で先生から話があると思いますが、骨折していますので、そんなに早くは無理だと思います。それに、河原さんの場合、複雑骨折だったので、この後も検査でもっと時間はかかると思います」
「複雑骨折って、何本も骨が折れてたんですか?」
「いえ、複雑骨折と言うのは、骨が折れて皮膚から飛び出していた場合を言います。そうなると、骨に細菌が付着して骨髄炎になる可能性もあるので、検査に時間が掛かります」
その言葉に大樹は焦りの色を滲ませる。
「時間が掛かるって、次のレースに間に合わないんですか? それなら、何時ならレースに出れるんですか?」
「それは、今後の検査にもよりますが、今は焦らずに、とにかく体を休めて、確実に治すのが上です」
「そんな………」
それは、親に何を言われようが、学校の校則にも従わず、自分の道を進んだ結果だった。
しかし、その代償はあまりにも大きい。
そこに母親がやってきて、看護師さんに礼を言う。
「大樹、起きたね。あんた、あんまり親に心配かけるんじゃないよ! お母さん、どんなに心配したか」
「………」
大樹は母親に対して、何も言う事が出来なかった。
「お願いだから、もう二度と単車なんか乗らないでね」
しかし、その台詞に大樹は激しく激怒する。
「じょうだんじゃねーよ! 俺は遊びで乗ってんじゃねーんだ! 俺はな、いつか、レーサーになるために頑張ってんだ!」
そこで母親は顔を隠して泣いてた。
「そう言うけど、あんた、あんな高いところから落ちて、警察の人が生きてるのが奇跡って………母さんね、将来あんたが元気に過ごせるんだったら、どんな仕事についても良い。何も高望みなんてしない。だけど、死ぬような仕事にはついて欲しくないんだよ!」
「関係ないだろ! これは、あんたの人生じゃない! 俺の人生だ! 俺は自分の目指した道に進む!」
「だけどあんた、骨がくっ付いて、リハビリして、直るのは何年もかかるんだよ? そんなの何度も起こったら、母さん、辛いよ」
その台詞に大樹は固まった。
「えっ、何年もって?」
「先生はそう言ってたよ」
「言ってたって、これって、検査して、大丈夫なら骨くっ付けたら終わりなんだろ? 2、3か月で済むんだよな?」
母親は首を振る。
「とりあえず、検査に数週間かかり、骨がくっ付いてからのリハビリも数か月かかるから、2,3か月では無理だよ。それに、もし細菌に感染してたら、もっとかかるって言ってるんだよ」
「そんな………」
母親から知らされた現実に、大樹は黙り込む。
「だから、お願いだから、そんな危険な事はやめて普通の仕事に就いておくれ」
そこから大樹は何も言えなかった。
そして、面会時間が終わって、夜になり、大樹は18年間で初めて大声を上げて泣いたのだった。