第6話 魔王覚醒
黒い骨の手の平が僕を押し潰した。体がゆっくりとプレスされぐちゃぐちゃに変形していく。
そうして悲鳴をあげる暇もなく僕は死んだ。
……。
体が熱い。
僕は死んだはずだ。なら何故熱さを感じるんだ?
ゆっくりと目を開ける。
そこはあの大広間のままだった。正面ではジャイアントスケルトンが前屈みになって立っている。
「?」
僕はその姿に違和感を覚えた。奴の両腕が吹き飛んでいる?
ドクン。
怪訝な顔で辺りを見渡していると不意に体の奥で何かが脈動するような感覚が僕を襲った。
「うっ」
思わず胸元を押さえる。
ドクンドクン。
脈動は治らない。やがて僕の体から紫色のオーラが溢れ出てきたことに気づいた。それは体の奥の脈動に呼応するように噴き出す量を増やしていく。
「あ、ああああああああ!!」
熱い! 体の奥、そして頭が熱い!
まるで自分から溢れるオーラによって茹るようだった。
「ティモシー……?」
フィオナが弱々しく僕の名を呼ぶ。彼女には今の僕の姿はどう映っているのだろう。きっとそれは奇妙に違いない。
「フィオナ……。助け……」
僕は縋るようにフィオナへ向けて右手を伸ばした
ドクン!
その時、体を揺らすような一際大きい脈動が僕を襲った。
次の瞬間、自分のものではない。誰かの知識と記憶が頭の中を駆け巡った。思わず頭を両手で抱える。すると記憶から流れ込んでくる異様なイメージが僕の視界に映った。
それは見たことのない巨大な連なる霊峰、その麓を進軍する無限の軍団。僕はそれを天空から見下ろしている。
なんだ。これは。
場面は切り替わり、どこかは分からない豪奢な装飾に彩られた広間に移る。僕はそこで玉座に腰掛けていた。眼下には跪く四天王達や悪魔元帥、各部族の長達がいる。僕はそれを見て大仰に頷いた。
誰かの記憶。しかし懐かしさを感じるそれらの記憶。そんな記憶の断片が僕の中で少しづつ形を整えていく。
そうか。そうか思い出した。俺は。
「俺は……魔王だ」
もう体を苦しめた熱は感じない。俺はニヤリと笑った。
*
私はフィオナ。
今、学園ダンジョンで絶体絶命中。
ティモシーが無謀にもジャイアントスケルトンに突貫した結果、巨大な手に押しつぶされた。……かと思いきやティモシーは魔力爆発を起こしジャイアントスケルトンの手を吹き飛ばした。ティモシーは今爆発の中心で身じろぎもせず立っている。
一体どういうこと? ティモシーから異様なプレッシャーを感じる。これはあのお師匠以上……。でもそんなことはありえない。現役の勇者よりも強い威圧を起こせる存在なんてそれこそドラゴンなどの上位存在以外絶対にいないのだから。
とはいえあれほどのプレッシャー……。今のティモシーからは尋常ではない力を感じる。戦いは任せた方がいいかもしれない。
「!?」
しかしそれは間違いだった。ふいにティモシーの体から紫色のオーラが噴き出してくる。それは私からは脈打っているように見えた。
「ティモシー……?」
「フィオナ……。助け……」
ティモシーが私を見て哀願するような目を向けてくる。それを見て私はティモシーを助けようとした。しかし、体が動かない。
「うっ……」
ティモシーが頭を抱える。まるで何かに耐えているようだった。
私は動かない自分の体を恨めしく思った。このままではティモシーがジャイアントスケルトンにやられてしまう。焦りがつのる。だけど無情にも私の体はまったく動こうとしなかった。
「ううっ……」
それどころか膝から崩れ落ちてしまった。剣が私の手から離れる。私は前のめりに倒れた。
「ティモシー……」
私の視線の先ではティモシーが頭を抱えている。そしてついにジャイアントスケルトンが動き出そうとしていた。両腕を失い、それでも奴の敵意は無くなっていなかったのだ。それも当然か。奴は悪しき者なのだから。
このままではマズい。
「逃げて。ティモシー……!」
声を振り絞ってティモシーに言う。だけど私の声は届かない。私の見つめる先でティモシーがジャイアントスケルトンに襲われる。その間際だった。
「俺は……魔王だ」
ティモシーが呟く。それは唸るように低く、威圧するような声だった。
「!!」
次の瞬間、ジャイアントスケルトンがティモシーを踏みつけようと右足を踏み出す。ティモシーは動かない。私は残酷な未来を予測して目を背けた。
「ならなぜコイツは俺に逆らうのだ」
しかし私の予測した未来は訪れなかった。ティモシーが片手でジャイアントスケルトンの足を掴んで支えていたからだ。
「俺に危害を与えるとは良い度胸だな。所属を言え。一族郎党皆殺しにしてくれるわ」
ティモシーは邪悪な笑みを浮かべていた。
「ォォォォォォォォォ!!」
ジャイアントスケルトンが雄叫びをあげる。力を振り絞っているのだろうか。だがそれも虚しくジャイアントスケルトンの足はピクリとも動かなかった。
「口も聞けぬか。なら粉微塵にしてくれよう」
ティモシーがジャイアントスケルトンの足を握りつぶす。すると潰されたところから亀裂が走りジャイアントスケルトンの右足が粉砕された。
ジャイアントスケルトンが後ろに倒れる。ドシンと大きな音が響き、遅れてグラグラと振動が起こった。そこへスタスタとティモシーが歩み寄る。そしてジャイアントスケルトンの額に触れた。
「俺の糧になるがいい。≪根源侵略≫」
ティモシーの紫色のオーラがジャイアントスケルトンを包み込む。
「ォォォォォ…ォォ……ォ……」
するとジャイアントスケルトンの体は紫色のオーラに蝕まれ崩れていった。
そして。
ついにジャイアントスケルトンは体を完全に崩壊させ砂のように空気に溶けて消えたのだった。
私は一連の流れをただ呆然として見ていた。
終わった時には体も多少動くようになっていたので急いでティモシーのもとへ駆け寄った。
「ティモシー!」
「む、なんだ娘。ほう、貴様竜族か」
ティモシーが私の方を振り向くと尊大な目つきで私を見てきた。それは普段のティモシーとは全く違うもので、私の心に不安な気持ちが芽生えた。
「じゃ、ジャイアントスケルトンを倒すなんて凄いね。どこにこんな力を隠してたのかな?」
それでもそんな気持ちを表には出さず、ティモシーに声をかける。
「シャーラップ!!」
「!?」
するといきなり怒鳴られて私は身をすくめた。
「今は俺が喋っているのだ。発言を許してはいないぞ小娘。シャーラップなのだ」
シャーラップ? 何をいっているんだろう。
「まったく竜族は魔王に敬意を持たぬから困る。それにしてもここは一体……」
言い切る前にティモシーの体がふらりと揺れる。
「危ない!」
私は咄嗟に倒れるティモシーを受け止めた。
「大丈夫? ティモシー」
胸元のティモシーに声をかける。
「むにゃむにゃ……」
しかしティモシーは気を失っているようだった。
ティモシーのいつもと変わらない安らかな寝顔を見て私はクスッと笑った。それがあまりにも無防備で、ジャイアントスケルトンをたった一人で倒した英雄の顔にはまるで見えなかったからだ。
ゆっくりとティモシーを床に寝かせる。そして私はさっきから視界の隅に入っていたとある物を取りに行った。
「これは……」
光り輝くそれを手に取る。その時だった。
<……こっちだよ>
私の耳に奇妙な声が届いた。
*
「ん、んん……」
僕はゆっくりと目を開いた。目の前には桃色の後ろ髪とうなじがあった。
「え……」
「あ、目を覚ましたの? ティモシー」
どうやら僕はフィオナにおぶってもらっているようだった。フィオナの揺るぎないその背中はまるで父親のようだと感じた。
「って。どういうことですかコレー!?」
「まだ体調が不安だからもう少し寝てて良いよ」
答えになってない。
「あれ? スケルトンは? というか僕死にませんでしたっけ!?」
「ティモシーがジャイアントスケルトンを倒したんだよ。覚えていないの?」
うーん。巨大な骨の手の平に押し潰されたことまでしか覚えていない。フィオナが何を言っているのか分からない。
「と、とりあえず下ろしてください!」
「わかった」
フィオナがパッと手を離す。
「うげっ」
僕は突然手を離されてしまい対応できず背中を床に強かにぶつけた。
「あ、ごめん」
「うぅっ……。もっと丁寧にお願いします……」
フィオナが手を差し伸べてくれたのでその手を取って立ち上がる。
「ティモシー、本当に覚えていないの?」
「はい……。まったく」
「じゃあ説明するね」
そしてフィオナは語り始めた。僕が紫色のオーラを放ちだしたこと。オーラを放つ僕がジャイアントスケルトンを圧倒したこと。そして痛々しい喋り方をしたことを。
「えっ、俺とか小娘とか言ってたんですか?」
「そうだね」
嘘だっ。そんなの僕のキャラじゃない!
「信じられないなら証拠を見せてあげる」
フィオナがベルトに吊り下げていた皮袋から何かを取り出す。
「ほらこれ」
そして手の平に乗せて僕に見せてきた。
「こ、これは……」
それはキラキラと光り輝く黄色い宝石だった。
「ガーディアンステラだよ」
ガーディアンステラ……。それは最終地点のボス部屋にたった一体だけ存在する強大な守護者が落とすと言われる秘宝だ。ガーディアンステラは迷宮攻略の証として名誉あるもので、その上、腕輪や指輪、または首飾りのような装飾品に取り付けることで守護者の力を使える武器となる、らしい。
「は、初めて見ました」
「私もだよ。あのジャイアントスケルトンが学園ダンジョンの主だったんだね。ジャイアントスケルトンが消えた場所に残されてたよ」
「じゃあもしかして僕たち」
「うん。学園ダンジョンを初攻略だね」
なんてことだ。
ガーディアンステラを落とす守護者はダンジョンにたった一体だけ。だから。
「僕たちが学園ダンジョンを初攻略……」
学園ダンジョンは既に攻略されていたと思っていた。でもそれは違った。僕たちが一日でそれを証明してしまった。
「やったぁ!!」
その事実に僕は素直に喜んだ。
「……」
しかし何故かフィオナの顔は浮かないままなのだった。