第四話
お風呂シーンだぁ。
「ただいまぁ」
花鳥町の一軒家のドアを開け、二人の少女が家に入る。一人は半袖の制服姿、もう一人は長袖のジャージ姿だ。紅音と蝙蓮だった。
いくら花鳥町が田舎町だからと言って、蝙蓮を裸のまま町を歩かせるのは流石にまずいと思った。それで、ふと思いついたのがこれだった。今日の授業に体育があって、本当に良かった。ジャージに蝙蓮の血が付くかもしれないが、そんな物は洗えば良いのだ。
しかし、ジャージの着方が分からなかった事には流石に驚いた。それどころか、これが着るものだということが分からない可能性すらあった。蝙蓮にジャージを渡した時、いきなりそれに噛みついたのだ。食べ物だと思ったのだろうか。
そんな蝙蓮にジャージの着せるので、一苦労だった。こんな事、自分より少し幼いくらいの人間に教える事ではないと思うが。それでも蝙蓮を裸のままにして、誰かに見られたら面倒だ。
「先に身体洗おっか」
紅音が風呂場のある方を指しながら言うが、蝙蓮は首を傾げるばかり。
「お風呂行こ、ね?」
首を傾げ、立ち上がらない蝙蓮。手を引っ張り、ついてくるよう促す。それでやっと蝙蓮は立ち上がり、風呂場についてきてくれた。
「着替えはここに置いておくからね」
それだけ言って、戸を閉める。戸の近くに着替えを置いてやる。服も下着も、紅音のものだ。着替えを置いても、どういう訳かその場を離れられない。いつまで経ってもシャワーの音がしない。がぎ、がぎ、と変な音が聞こえるばかり。
何だ、と思って戸を開ける。そこでは、蝙蓮がシャワーヘッドをかじっていた。紅音が浴室に入ってきたのを見ると、蝙蓮は紅音を睨みつける。こんな不味い物を、よくも私に食べさせたな。そう言わんばかりの顔だ。
最早紅音には、頭を押さえて溜め息をつくしか出来なかった。正気ではあんなことは出来ない。
「あー」
かと言って、ふざけているとも思えない。どうやら風呂の世話までしてやらないといけないようだ。
シャワーから出る湯を触りながら、温度を調整する。丁度良い温度になった。
「かけるよ」
シャワーヘッドを蝙蓮に向ける。
「うぅ~」
気持ちよさそうな声を出す蝙蓮。なるべく傷口に当てないよう気を付ける。スポンジに石鹸を付け、優しく蝙蓮の身体を洗ってやる。
「痛くない?」
紅音が尋ねるが、蝙蓮は痛いとも痛くないとも言わない。
「あぁ~」
ただ、満足げな声を出すばかりだ。どうやら問題ないようなので、そのまま洗い続ける。
「頭洗うから、目ぇ閉じててね」
シャンプーを手に取り、泡を立てる。泡まみれの手で、蝙蓮の頭を優しく掴む。そこから手を動かし、頭を洗ってやる。
「うぅ!」
突然、蝙蓮が頭を動かした。
「ど、どうしたの?」
両手で目を押さえている。どうやら、目に泡が入ったようだ。
「蝙蓮、目ぇ洗うからこっち向いて」
目をこすりながら、頭を上げようとしない。無理やりこっちに顔を向けるのも気が引ける。
「う~、あぁ……」
その時、うまい具合に紅音に顔を向ける。そこで、シャワーを蝙蓮に向ける。暴れていた蝙蓮が、ようやく静かになった。
「ごめんね、沁みたでしょう?」
別に紅音が悪い訳ではない。紅音はしっかり目を閉じるよう言ったのだ。が、目にシャンプーが入り苦しんでいる蝙蓮を見て何か言わずにはいられなかった。
不満そうな目で、紅音を見る蝙蓮。
「泡流すから、目ぇ閉じててね?」
今度は自分の片目を指さし、閉じる。蝙蓮も、紅音の真似をして目を閉じる。座るように言い、蝙蓮の頭の泡を洗い流す。次は目に沁みなかったようだ。
「はい、目ぇ開けて良いよ」
肩を優しく叩く。
次は体を洗う。蝙蓮に再び後ろを向かせる。
「はい、体洗うよ」
スポンジを手に取り、石鹸をスポンジに擦り付ける。泡立ったスポンジで、蝙蓮の背中を優しく擦る。先ほどのように、蝙蓮は気持ち良さそうな声を出すばかりだ。
「あーう」
突然、蝙蓮が紅音の手からスポンジを奪い取る。
「え、ちょっと!」
紅音の顔を、スポンジでこすり出した。しかも、中々力が強いので痛い。
「痛い痛い! やめて!」
どうにか顔から蝙蓮の手を引き離す。スポンジまみれの顔が、ヒリヒリ痛む。目が開けられないので、手探りでシャワーのハンドルを探す。すると、いきなり顔に湯がかかる。
「あー」
蝙蓮がシャワーを使って紅音の顔に湯をかけたのだ。いきなりの事だったので、少し飲んでしまった。
「いきなり何するのよ……。びしょびしょじゃない……」
服まで濡れてしまった。濡れた服が肌に張り付いて気持ち悪い。蝙蓮はというと、不機嫌な紅音を見て不思議そうに首を傾げているだけだ。
「お、ふ、ろ」
紅音にスポンジを差し出し、口を開く。ようやく蝙蓮が、まともに言葉を発した。再び顔を擦ろうとする蝙蓮を制する。そこで、ようやく気が付いた。蝙蓮は、自分の身体を洗ってくれた紅音に、お礼に自分も身体を洗ってやろうとしたのではないか。
再びスポンジを構えて紅音に近づく。それをもう一度制する。いっそ蝙蓮にやらせてみても良いのではないだろうか。
「服脱ぐから、待ってて」
服を脱ぎ、洗濯機に放り込む。蝙蓮に洗ってもらう準備はできた。が、蝙蓮は動かない。紅音の胸から視線を離さない。自分の胸と紅音のとを交互に見ている。ようやく紅音の胸から視線を離し、紅音の顔を見る。そしてまた首を傾げる。
「……どうせ平らな胸ですよ……」
純粋な瞳で、傷を抉られる。蝙蓮に悪気はないようなので、怒る事も出来ない。
後ろに回った蝙蓮は、スポンジで紅音の背中を擦る。が、やはり力が強くて痛く感じる。
「痛いって、ちょっと待って」
蝙蓮と向き合う紅音。そして、蝙蓮の手からスポンジを取り上げる。
「これくらいで、優しくして?」
蝙蓮の手を取り、腕を優しく擦る。そして、蝙蓮にスポンジを返してやる。手のスポンジに視線を下ろし、やはり首を傾げる。それでも、再び紅音の背中を洗い始める。
今度は、程よい強さだった。肌を傷つけない程度には優しく、しかし汚れを落とす程度には強い絶妙な力加減だった。
「そうそう、良い感じだよ」
何も言わず、背中を洗い続ける蝙蓮。どんな顔で洗っているのだろうか。ふと思い、手で鏡を拭き曇りを取る。
鏡の中の蝙蓮は、甘えるような笑顔で一生懸命紅音の背中を洗っていた。そんな蝙蓮を可愛く思い、つい小さく笑ってしまう。ふと、蝙蓮の手が止まる。顔から笑みが消え、不思議そうに紅音を見ている。
「ごめん、何でもないよ」
邪魔してしまったようだ。紅音が謝ると、再び蝙蓮は手を動かし始めた。
体の泡を落とし、二人で風呂から出る。蝙蓮は濡れた体のままどこかに行こうとする。
「あ、ちょっと待って」
おいで、と手を動かす。蝙蓮はゆっくり近づいてくる。その身体を、バスタオルで包んでやる。
「ちゃんと拭かなきゃ、風邪ひくよ?」
どうせ身体の拭き方も知らないのだろう。そう思い、蝙蓮の身体を拭いてやる。いや、思ったというより、それはむしろ紅音の願望である。
もし蝙蓮が自分で身体を拭けるなら、さっさと身体を拭いて家に帰ってしまうのではないか。そんな呆気ない終わりは、ちょっと寂しい。ついそう思ったのだ。
身体を拭き終え、蝙蓮に服を着せてやる。蝙蓮は、外を見ているばかりだ。
そう言えば、蝙蓮は怪我をしていた。戸棚から包帯と傷薬を取り出す。
「蝙蓮、ちょっと」
蝙蓮に手招きする。蝙蓮は何も言わず、トコトコと歩いてくる。
「ちょっと染みるけど、我慢してね」
蝙蓮の傷に薬をかけてやる。小さな呻き声が聞こえた。蝙蓮は顔をしかめている。ただ、初めて会った時の様にいきなり噛みついてこないあたり、少しは信用してくれたのだろうか。そう思うと、少し嬉しくなる。
傷口にガーゼを当て、そこに包帯を巻く。それにしても、一体何をしてこんな傷がついたのだろうか。
「はい、終わったよ」
このまま蝙蓮を追い出すのは、気が引ける。何があったか知らないが、今までの蝙蓮を見るにまともな環境で育てられなかったのかもしれない。どうにかして、蝙蓮を今の彼女の環境から助けたい。が、自分に何が出来るというのか。
「あ、ちょっと待って」
蝙蓮は、裸足で帰ろうとした。元々裸足だったのだ。それを気の毒に思い、何とかしてやろうと動かないくらいなら、秋山紅音は蝙蓮と出会う事はなかっただろう。
自分の小さくなった靴が、もしかしたらあるかもしれない。そう思って、下駄箱の戸棚の戸を開ける。そこには、黒い何かがいた。何だろう。カエルにしては大きい。それに、よく見ると毛で覆われている。
「あぁーっ!」
突然、蝙蓮が叫ぶ。その毛玉に手を伸ばし、戸棚から取り出す。それは、一匹の蝙蝠だった。
「きゃぁっ!」
思わず紅音は悲鳴を上げる。そんな紅音をよそに、親し気に頬ずりする蝙蓮。紅音には、ますます蝙蓮という少女が分からなくなってきた。
久しぶりの投稿。忘れていたわけではないんです。忙しかっただけなんです(見苦しい言い訳)。