とある男からの手紙
今日、君は私の前から消えた。
一人の赤子を残して。
「ごめんなさい」
と君は言ったが、一体何に謝っていたのだろう。
私と子を残して逝くことだろうか、それとも消えることが分かっていたのに黙っていたことだろうか。
君は昔、神と人の間にも子を成すことが出来るのだと言った。
そして実際に生まれた子供は、普通の人として生を終えたのだと。
確かに、それは嘘じゃなかった。
でも、君はあえて私に告げなかった。
その神は、子供の生と引き換えに消失したのだと。
神に命を生み出す力はなく、自身の命を子に移すことしか出来ないのだと君が言った時、私は子を産むことに反対した。
けれど、君はすでに心が決まっていたようで、「ごめんなさい、この子を頼みます」とだけ言い残して姿を消した。
君は、そこまでして子が欲しかったのだろうか?
私と結ばれて子を宿したき、君は大層喜んでいた。この子には普通の子のように育ってほしいと、自身の願いを子に託す姿は人の母親のそれだった。
だからきっと、子が欲しかったのは本当なのだろう。
では君は、私と過ごす時間を捨ててまで子が欲しかったのだろうか?
その子供を、自身で抱くことも叶わないのに。
君は、子を願うと同時に、死も願ったのではないだろうか。
私は子などいなくとも、君と過ごせるだけでそれでいいと思っていた。君も同じ気持ちでいてくれていると信じていた。だからこれは、君が私よりも子を望んだことが認められない愚かな男の、くだらない妄想なのかもしれない。
けれども、どうしてもそう思えてしまう。
君の寿命はまだ果ても見えぬほど続いている。そして、神代が終焉を迎えてから数千年間、君を認識できる人間は私以外にいなかったという。
だから君はこの方法で、親となり、そして死を迎えることで、君なりに人となろうとしたのではないだろうか。
私が最後の好機だと、そう思ったのではないだろうか。
もし、もしもそうだとするならば、君は最期に私に甘えてくれたのだろう。
君と生きたかったけれど、これが君の選択ならば私は否定せずにいたい。
優しい優しい君は、きっと何度も悩んだはずだから。
ただ、まさか君の方が先に消えるなんて、そんなこと考えたこともなかった。
遺されるつらさも、追いたいという気持ちも初めて分かった。あんなにも死ぬことを恐れていたのに、まさか死を望むなんて思わなかった。
ああ、うん、でも大丈夫だ。
まだ君を追いたいという気持ちはあるけれど、この子が引き留めてくれる。
君が幼い私を育ててくれたように、私もこの子を立派に育てよう。
正直、まだ君を失った実感が持てていないんだ。
君が生まれ変わってこの子になったような、そんな気がしてしまう。
いつかこの先、君を失ったことを認めたら、認められる時が来たら、
私はどれだけ泣いたなら、心に空いた穴を埋めることが出来るのだろうな。
さようなら。
ずっと、ずっと愛しているよ。
愛しい君へ
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あの日から何年が経ったのだろうか。
わたしはもう、長くはない。
妻の願いが通じたのか、娘は私以外からも見えるようで、社の者も共に育ててくれた。そして普通の子のように、願いを叶える力は持っていなかった。
神の命を対価として産まれた娘に力がないことが分かった時、一部の者からは冷遇を受けた。一族代々と妻に仕えてきた彼らからすれば、そんな態度も仕方がないものだと思う。だから特に恨んではいなかったし、娘はまだそれを恨めるほど成長してもいなかった。
けれど、彼らは、娘が年ごろ近くなるとそんな態度を改めるようになった。娘に恨まれることを恐れたのだろう。――――あの子は歳を重ねなくなった。
妻は古来より、幾多の人の願いを叶え続けてきた。
そして娘は、そんな妻の命を引き継いだ。
そのためなのだろうか。
だとすれば、娘はこれから先、母が叶えた願いの数だけ生き続けなければならない。
私は呪いを解く術を、娘が年を重ねられる術を今世をかけて探し続けてきた。
けれど、方法は見つからず、ついに今日を迎えている。
だから、キミへ。
あの子と共に生きてくれるであろうキミへ、手紙を残すことを決めた。
娘を死なせることができる方法を、ここに記そうと思う。
私も、試したことはない。娘はまだ、生きることを楽しんでいる。
容姿は妻に似たのに、性格は私に似たのだろうか死を極端に嫌がる子となった。
ああ、でも父親としては、生きることを楽しんでくれてとても嬉しい。それは、母の選択を肯定することに繋がるから。
願わくは、このまま死に魅入られずに生きていて欲しい。
けれどそれは私が決めることではない。
彼女の人生なのだから、終わり方も彼女に選ばせてあげたいと思う。
手紙をここまで読んだのなら、察しもついているかと思う。
娘を死なせるためには、子を成す以外に方法はないだろう。
あの子は人のように見えるけれど、あの子の魂は神の魂だ。
新たに命を生み出すことは叶わない。
もちろん子を成せば、娘の呪いは娘とキミの子へと受け継がれることとなる。
そして死を選び続ける限り、犠牲者は増え続けるだろう。
それでも本当に娘を愛してくれているのなら、彼女に選ばせてあげて欲しい。
生きていたいのか、死にたいのか。
自分は妻の死を悲しんでいたくせに、何を言っているのかと思うかもしれない。
確かに、私は妻の死を嘆いた。
だからこれは、父親としての願いだ。
私たちの勝手な願いで、彼女に生を与えてしまった。
娘をどうか助けて欲しい。
娘をよろしく頼む。
いつの日がこの手紙を読むであろうキミへ