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藁人形の夜は まだ宵ながら

 

 昔、とある郷の社に、一柱の神様がいらっしゃいました。その姿を拝んだことのある者はいませんでしたが、この社で願い事をすると一人一回だけ必ず願いが叶うので、神様がいらっしゃることを皆知っていました。

 その社には、毎日毎日、大勢の人が願い事をしに訪れていました。けれど、誰も神様の存在を認識することは出来なかったので、神様はいつも一人きりでした。

 ある雨の強い日のこと、日の出前の社に、死んだ子供を抱いた女が訪れました。女は、「私はどうなってもかまいませんから、どうかこの子をお助けください」と願いました。神様はひどく迷いましたが、女は涙を流しながらも強く願い続けたので、その願いを叶えてやりました。息を吹き返した赤子は、社の者によって女の亡骸と共に家に届けられて行きました。

 それから何年も経った、晴れた秋のこと、神様に話しかける男がいました。男はあの時の赤子でした。神様は驚きましたが、人と話すことが出来てとても嬉しく思いました。男も神様の美しさに触れ、二人は強く心惹かれあうようになり、二人は結ばれましたとさ。めでたし、めでたし。


 ――――幼い頃、よく父にせがんで読み聞かせてもらった、大好きな社の由来(神様の物語)






 ドン、ドン、ドンと、信号雷が鳴る。


 朝から降り続いていた雨も昼前には上がり、無事に大祭が執り行われるようだ。最近は暑さが戻ってきていたから、打ち水となって丁度いいかもしれない。


 白い七宝の帯を締め、檸檬色の帯締めを結ぶ。あなたが似合っていると言ってくれた紺瑠璃の浴衣。久しぶりに箪笥から取り出したけど、最後に腕を通したのはいつのことだったろうか。


「もちろん、あなたの分も用意してあるよ」


 そういって浴衣を着せていく。

 先週に作り始めて、昨日の夜にやっと完成することができた。

 最近痩せてきたから、浴衣は生成り色にしたの。だから帯は紺の献上柄。うん、髪色とおそろいで、よく似合ってる。



 遠くから、子供の笑い声と祭囃子の笛の音が聞こえてきた。

 すでに参道には屋台が立ち並び、境内は子供のはしゃぐ声と色鮮やかな浴衣に彩られるのだろう。



 この社の大祭は、毎年この日、神様の命日に行われる。

 神様は消えたというから、命日という表現が正しいのかは分からない。けれど、神様が消えてしまっても人は自分たちの力で生きていけます、だから安心してくださいと感謝と哀悼の意を込めて儀式を執り行うのだから、命日といっても差し支えないように思う。

 

 

 あなたと手を繋ぎ、境内へ向かう石畳をゆっくりと辿たどる。

 すれ違う人が増えてきた。だれもかれも、楽しそうに笑っている。


 境内へと続く階段脇の夜店でラムネを見つけて、一つだけ買い求めた。

 口に含めば、ピリピリと口の中で泡が弾ける。私はこの刺激がたまらなくて毎年楽しんでいたけれど、あなたは苦手そうにしていたから買うのは一つだけ。

 ……そんなあなたに飲みきれない分を飲んでもらってはいたけれど、子供じゃないのだからもう一人で飲みきれる。



 神事の枢要は、もうすぐ始まる神楽舞。毎年、その年に数えで七歳となる女の子によって奉納される。『七歳までは神の子』といわれるように、昔は子供の死亡率が高かった。だから無事に人と成れたことを神様に報告するのだと、父はそう言っていた。


 境内まで来れば、参道の比ではない程の人だかりとなっていた。

 元旦も人が多いけれど、わいわいと人の営みが感じられる大祭の方が明るく、そして賑やかだ。子供たちは皆、きらきらと瞳を輝かせながらも真剣に、お小遣いの使い道を見定めている。

 舞台上の子供たちは、緊張で顔がこわばっているようだったけれど。

 


 笙の音が響き、神楽舞が始まった。

 鮮血のように真っ赤な着物と袴を纏った子供たちが、神楽殿の中心へとゆっくりと進んで行く。まだあどけない顔に施された白粉が、一層その赤を引き立たせた。

 

 赤は魔除けの色だから――

 あなたがそう私に教えてくれたのは、私が舞手に選ばれた時のこと。

 舞の最後に白い千早を羽織ることで、もう魔除けが不要になったのだと、人と成れたことを表現するのだと、そんなことも教えてくれた。


 真っ白の千早がふわりと舞う。

 無事に大役を終えた子供たちは、安堵の笑みを浮かべていた。


  

 今年もよかったなと感想を言う者、目的の屋台へと足早に向かう者、もう祭りは満喫したのか帰路へつく者……神楽舞の見物人が、各々散り始める。

 皆、誰も私のことなど気に留めない。

 いつも二人きりで遊んでいたから、人混みに紛れると賑やかで満たされる思いがしていた頃もあった。けれど、私という存在も、誰かにとってはその人を取り巻く大衆の一部に過ぎないのだ。



 人の流れに従って夜店を観てまわれば、ぽつぽつ提灯の灯りが点されはじめた。

 あなたはお腹が空いていないようであったし、私も無理したラムネが苦しかったから、人の流れから外れて湖に続く小路へと逃れる。


 

 舗装されていないその道をゆっくり歩けば、一つの光がちらちらと円を描いた。



 いつかの大祭の日、同じように小路を辿り、蛍を見た年がある。



 光を捕えようとする私に、あなたは蛍の命が短いことを教えてくれた。


 「すぐに死んじゃうなんて、蛍は可哀想」

 そう言った私に、あなたは「死ぬことは嫌なことか」と問いかけた。


 何故そんな当たり前のことを聞くのかと思いながらも、あなたがあまりにも真剣な顔で聞くものだから、私は死ぬのは嫌だと答えた。死んだらもう誰にも会えないことが悲しい、と。


 それを聞いたあなたは「よかった」と言って、花火が開くようにパッと笑った。



 あなたは一体、何が嬉しかったのだろう。



 「あなたも死んでしまうの?」

 

 そんな私の問いかけに、「お兄さんだから、きみより先だろうね」と俯いて答えたけれど、その声は先ほどよりも楽しそうで、混乱した私は「会えなくなるの嫌だから死なないで」などと詮方無い駄々をこねた。


 「僕はね、死んだら魂になると思うんだ」


 と、あなたは言った。


 「だから、僕はいつだってきみのそばにいる。僕は魂だから、見ることは叶わないかもしれないけれど、きみがいつか自分の生を全うして、そうして魂となったらまた会えるから」



――それまで待っているよ


 

 なんて、その時は素敵だと思ったけれど、結局私が待つ羽目になった。


 

 あなたは、入水でもするつもりだったのだろうか。


 私は今でも入水など望まない。

 あんなもの、死の今際、ほんの数時間一緒にいれるだけだ。


 私はただ、あなたと生きたかった。ずっと隣にいたかった。









 社の方から聞こえる笛の音に振り向けば、夜空に大輪が咲いていた。

 周りに人影は一つもない。




 夜空に浮かぶ光に照らされながら、私はあなたに口づけをした。



夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ

清原深養父『古今和歌集』

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