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藁人形より外に 知る人もなし

  

 何度迎えても、春眠が暁を覚えない。


 昨晩は早く寝たはずなのに、いつの間にか昼前となっていた。

 それなのにまだウトウトとしてしまうのだから、さすが古から人を微睡ませていただけのことはある。



 「今日は、お花見にでも行こうか」


 社の桜は、昨日から見ごろを迎えている。 

 こうして話しかけることにも、随分と慣れた気がした。



 桜は、本殿の隣で優雅に佇んでいる。 

 社が創設された当時から花を咲かせていたというから、樹齢は千五百年を超すのだろう。太い幹は上に伸びることを諦めてから久しいらしく、代わりに左右の枝を横へと伸ばしている。見る者を圧倒させる神秘的な力強さがそこにはあった。



『恋人と再会を約した男が、この桜の木の下で女を待ち続けている』



 いつだっただろうか、そんな噂が囁かれ始めたのは。

 元々名所として知られていたけれど、噂が囁きだされてからは恋愛スポットとして訪れる人が増えた。恋人と二人で桜を眺める姿が目に付くのは、私が無意識に目で追っているからかもしれないけれど。

 幽霊が出るなんていったら心霊スポットとなりそうなのに見事恋愛スポットとなったのは、桜の圧倒的な生命力の賜物なのだろうか。



 春の陽だまりの中で、心地よさそうにその桜は待っていた。

 

 

 ぽかぽかとした春の陽気に踊らされる。

 ああ、あの日を再現してみようか……。


 私は桜の裏側へと回り込むと、()()()と手をつないで隣に座った。

 そう、あの日もこんな暖かな春の日だった――――


 私の気持ちが恋だと信じてくれなかったあなたに贈った、百回目の告白。

 小娘の拙い百代通い。

 

 

 「あなたが好き」


 じっと見つめてそう言った私に、あなたはその黒い瞳をまるくする。

 そして耐えきれなくなったのか、すぐに目を伏せた。


 長いまつ毛が、桜色に染まった頬に影を落とす。


 いつもは「そうか、嬉しいよ」だとか、「ああ、知っている」などと軽く受け流されていたのに、今回は違う。適当にあしらっていたようで、なんだ、全部ちゃんと聞いていてくれたんだ。

 

 取り残された耳が、真っ赤に染まってゆく。


 私は、逃しはしないとあなたの懐へと飛び込んだ。

 あなたの膝を枕代わりにその顔を覗き込めば、あなたは真っ赤になりながらふにゃりと笑った。

 

 その顔を見て、ああ好きだなと何度目かの恋に落ち、つられて私まで赤くなる。もう何度も愛を告げたはずなのに、まだまだどうしたって慣れてはいないようだった。

 

 「僕も好きだよ」

 

 あなたは私の頬に手を添えて、ずっと欲しかった言葉をくれた。

 

 


 ――――そしてそのまま、私たちは触れるだけの優しい口づけをした。

 

 まぶたの裏に焼き付けられた思い出は、今でも鮮明に思い返すことができる。




「嘘つき」

 私のこと好きだって言ったのに。


 いつまでも帰って来ないから、()()()と口づけた方が多くなってしまった。あなたは優しいけれど独占欲は強かったから、きっとこれも浮気に入るのだろう。

 怒るためでもいいから、早く戻ってきて欲しい。




 太陽に温められた優しい風が、ふわりと頬をなでた。

 

 あなたの腕に抱かれている記憶を思い出していたからか、安心感と陽だまりの心地よさに眠気が誘われる。



 ……ああ、なんだか懐かしい。

 ぼうっとした頭で思い出す、いつかの記憶の欠片。

  

 小さかったころ、桜を近くでみたいと飛び跳ねていた私を、肩車してくれたよね。下から覗き込むように見ていた桜が…目前に迫って……少しだけ癖のある甘い香りに包まれた。……花が間近で見れたのも、………あなたと同じ目線になれたのも、とても嬉しかった……。


 ……そういえば、父はこの桜を一層大切にしていた気がする…………確か、母の形見だと言って。…………だから桜の枝を手折ってしまった時、母の一部を殺してしまった気がして………………そう、それで泣いたんだ……あなたが来るまでずっとここで泣いていた……。



 ……大きくなってから、肩車をせがんだことも…あった……。断られて、同じ目線になれないことを嘆いてたら………あなたはしゃがんで……………私とめせんを合わせてくれた……やっぱりやさしいなぁ………。



 …………すごく、しあわせな……かんじがする…………からだが……ふわってする…ような………そう……かたぐるま…してくれたとき…………みたいな………………………ふわって……あったかくて…………………このままずっと……




「ここに居たい」


 微睡みの中で、あなたの名を呼んだ気がした。









 冷たい東風に揺り起こされれば、木陰が少しだけ移動している。


 微睡みの心地よさに抗えず、眠気に負けてしまったようだった。

 春眠は昼も覚えない。夢見心地の頭でそんなことを考える。


 体が少し重いけれど、なんだか幸せな夢を見ていた気がする。

 そう、春の陽気のようなあたたかい夢。



 周りを見渡せば、桜を愛でている面子はほとんど変わっていない。

 だからきっと、そんなに時間は経っていないだろう。



 それでも、いつまでもこんな特等席を占領しているわけにもいかず、私は本殿脇の腰掛石へと移動する。

 日陰にいただけあってひんやりとした石が、春に浮かれた私の頭をゆっくりと冷ましていった。




 誰かが笑っている

 誰かが歌を詠んでいる

 誰かが愛を囁いている……

 桜の周りは、人の明るい営みに満ちていた。


 正直少しだけ、楽しそうな周りの誰かに嫉妬している。



 先ほどまで座っていた場所に、幼子を連れた夫婦が座った。

 子供のはしゃぐ声にこたえるように、満開の枝がさらさらと揺れる。




 桜の下には死体が埋まっている――誰からだったろうか、この話を聞いたのは。


 その話を最初に聞いた時、私は汚いと思った。

 だって、根元に座った時に血肉が染み出して来たら、腐って腐臭が生じたら、その臭いに蠅や蛆がたかったら……と、そう思った。


 でも今なら、うらやましいと思う。

 桜の根に守られて、焼かれて灰になるだけだった肉体はその美しさに貢献出来て、骨となった後も人の明るい営みの中にいることが出来る。



 いつのまにか、死にゆく側に自分を重ねるようになっている。

 私の命も少しずつ、それでも確実に終わりへと向かっているのだろう。



 


 

 桜の木をじっと見つめる。



 はしゃぐ子供と柔らかく見守る夫婦、それに風とじゃれつく桜だけが、そこで楽しそうに春を迎えていた。



もろともに あはれと思へ 山桜  花よりほかに 知る人もなし

前大僧正行尊『金葉集』

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