とある男の告白
数日臥せっている間に、野山が随分と眩しくなっていた。
生きとし生けるものが眠りにつく死の季節でありながら、きらきらと光る毛布がすべてを覆い隠し、美しく幻想的な季節だと錯覚させる。
私は、雪の上を歩くことが好きなのだと、君に言ったことがあっただろう。が、あれは正確じゃない。
私は、冬が、死が美しいなどという妄言に誑し込まれぬよう、まっさらな雪に足跡をつけて、些細な抵抗を続けていただけなんだ。勝ち目は未だ、見いだせてはいないのだけれど。
いつの頃からか、君も一緒になって足跡をつけるようになった。
君は、雪に足が沈む感覚を堪能するかのように、興味深そうに足跡をつけていたな。私はそんな君を見て、いつの間にやら、少し楽しいと感じ始めてしまっていた。
だから正確には、私は、君の隣で雪の上を歩くことが好きだったんだ。地団駄を踏む子供のように摂理に抗っていたはずなのに、その目的を時々忘れてしまうくらいには。
やはり私は、これを誰かに送るつもりはない。
もし、君がこの手紙を読んでしまっているのだとしたら、それはきっと死期の目測を誤った私の不手際だ。だから君を責めるようなことはしない。
けれど私は、せめて君の前でだけでは見栄を張っていたいと思う。だからここで引き返して欲しい。私の、最期の願いだ。
君に見つかる可能性もあるのにこうして手紙を書くなんて、自分でも愚かな行為だとは思う。だが、君に宛て気持ちを綴らなければ耐えられないほど、私は弱い男なんだ。願わくは、君がこの事実に気が付いていないといいのだが。
私は、死ぬことが恐ろしい。
人であれば死に怯えるのも当たり前のことだ。
皆、死に怯えながらも生を謳歌している。
だが、私は駄目なのだ。どうしても、どうしても耐えられない。
私は君よりも、先に逝くだろう。
人の時間は短いから、君と過ごせる時間もそう多くはないはずだ。
死ぬことそれ自体も、もちろん怖い。
死んだ後は暗い世界に一人きりなのだろうか、それとも意識など消滅するのだろうか、好き勝手に想像しては足が竦むこともある。
だがそれ以上に、私が死んだ後に時間が流れ続けるという事実が、何よりも恐ろしいんだ。
私はすでに死者であり、何事にも干渉できず、歴史の層と埋もれるだけだ。だが生者は、生者は干渉し続ける。生者は死者の行為に干渉し、改変することが叶うのに、死者は生者の行為に干渉することは叶わない。
それが嫌だ。
嫌で嫌で嫌で嫌で嫌でたまらない。
俺が今何をしても、死んだ後に行われる干渉に抗う術はない。
そんなのずるいじゃないか。後出しが有利と相場は決まっている。
私がいない世界で、君は誰と出会い、どんな風に笑うのか。
俺にとって、世界は君だけだ。君だけが、俺を特別な存在として選んでくれた。そんな君が、他の男を選んで、私のことを忘れるのかと思うと――――
俺は君を愛してる。
愛しているからこそ、君に一番に愛されたい。
俺が死んだ後、俺以外を愛さないでほしい。
それが約束できないのなら、一緒に連れていきたい。
……嘘だ。
君には幸せになってほしい。
君にはまだ知らないものが沢山ある。だからまだ生きて、楽しいことや美しいものを知って欲しい。君が人生を一人で過ごすのが寂しいと思うのなら、そして私のような人間が君の前に現れたのなら、誰かと一緒に過ごして欲しい。
嘘だ。これも嘘、俺は嘘つきだ。
本当はそんなの嫌なんだ。
君の幸せを本気で望んでいる。
でも、君の一番でいたいという気持ちを失くすことができない。
俺が今どれだけ君を愛そうとも、月日の中で記憶は薄れていく。
その後に現れるであろう男に、俺は敵うことが出来ない。
いつからか、こんな気持ちを抱くぐらいなら、君との未来なんて願わなければよかったと思うようになっていた。それが君の存在を否定することだと分かっているのに。
君の前で君の幸せを願う俺はすべて偽物。
君の前で君に優しくする俺もすべて偽物。
俺は君に嘘しかついていない。
俺は君に忘れられないために、自分のために行動していただけだ。
君の愛している私は、本当の俺じゃない。
ああ、だから私は、本当の自分を、弱い自分を見せたくて、弱い俺を知った上で愛してほしくて、あの日、君に泣きついたのかもしれない。
そしてまた、本当は君に気が付いてほしくて、醜い感情ごと愛してほしくて、この手紙をしたためているのかもしれない。
なんて自己中心的で余裕のない男なのだろう。
だが、こんな俺なのに、君に愛されたいと思ってしまう。
そして、君はきっと愛してくれるのだろうと傲慢にも思ってしまう。
君が好きだ、俺だけの神様
君だけを愛している
親愛なる君へ