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最8話.アレックスの彼女は・・・~迎えた限界

 恵理子は最近、体に老いを感じるようになっていた。顔にはほうれい線が目立ち、体も張りを失いつつあり、恵理子がコンプレックスを抱えていた小さな胸も、アレックスの妊娠で少しは大きくなったが、今になって垂れ始めているのが分かった。しかし、恵理子はそれを否定せず、イメリスでの生活に馴染んできた証拠なのだと、前向きに捉えるようにした。恵理子がイメリスに来た当初は、文化や習慣、考え等の違いに息苦しさを感じ、日本へ帰りたいと思うことが何度もあったが、今も続いているマイクの両親や農場で働く人たちの支えのおかげで、恵理子は亡き夫のマイクの故郷、このイメリスが大好きになっていた。ただ、恵理子はそれに甘んじることはせず、周囲からは“無理はするな”と言われるが、彼らへの恩返しを日々、忘れないようにしている。

 恵理子は今も農場の製品を日本に紹介する仕事を続けている。アレックスも片言ながら日本語が話せるので、時間が空けば手伝っていた。時々間違えることはあるが、それでも恵理子には心強かった。

 アレックスは農業を学ぶために郊外の全寮制高校へ入学し、恵理子と三年間離れていたが、恵理子らと定期的に連絡を取ったり、長期の休みの時には農場を手伝うために帰ってきたりしていた。その間、アレックスには大きな病気や事故、恵理子が気にしていた銃の乱射もなく、無事に卒業した。その後は農場を引き継ぐ夢のために帰り、祖父のジェイムスや農場の従業員たちに扱かれながら必死な思いで働いている。マイクの子供なので創業一族となるが、農場の中では下っ端扱いされ、夜になるとくたくたになって帰ってくる。


「ママ、ただいま。」

「お帰りなさい、アレックス。お疲れ様。お仕事の調子はどうかしら?」

「ママ、こんなに大変だなんて知らなかったよ。パパも兵士辞めて農場で働いてたら、俺と同じこと言ってたんだろうなぁ。ひぇぇ・・・。」

 アレックスは夢と現実の違いを肌で感じ、身も心も打ち砕かれそうになっていた。恵理子は眉間にしわを寄せて、そんなアレックスに喝を入れた。

「アレックス、あなたはお爺ちゃんから期待されるのよ。お爺ちゃん、本当はパパが軍隊に入ったから農場を他の人に譲ろうかと思ってたけど、あなたのために老体に鞭打って続けてるの。今のうちにお爺ちゃんたちから農場運営のノウハウを吸収しておかないと、お爺ちゃんが亡くなって困るのはあなただけじゃないのよ。農場で働く人全員や取引先からの信頼も無くして、損失しか残らないの。ママだって、今やってる仕事も無くすことになるわ。だから、あなたが責任を全部追う覚悟で仕事に取り組みなさい!分かった?アレックス。」

「うん。俺、目が覚めたよ。ありがとう、ママ。」

 恵理子は眉間のしわを解放し、笑顔でアレックスに微笑んだ。

「フフッ、分かればよろしい。アレックス、頑張ってね!ママ、応援するわ。」

 

 そんなアレックスは、高校の学生寮から実家に戻った後の様子が変わっていた。自分の部屋に籠ると、恵理子以外に話さないはずの片言の日本語を話す声が聞こえてきたのだ。

「“マジで?マジで?それ、すげぇよな。”」

 恵理子がドアに耳を近付けて会話を聞くと、何だか妙に優しさを醸し出している気がしていた。恵理子は何故、アレックスが自分と話す時以外で日本語を使っているのかが不思議に思い、部屋から出たアレックスに聞いてみた。アレックスは恵理子の姿に、体をビクっと縮めた。

「あ!ママ、いたの?」

「アレックス、なんで日本語を話してたの?」

「だ、だって俺、日本とのハーフだし、片言だけど、ママと日本語で話す時もあるから、ついつい出ちゃうんだよね。」

「ふぅん。でも、なんで“I love you.”なんて言ったのかしら?」

「マ、ママには関係ないだろ?やめてくれよ。」

 恵理子はこの時、アレックスの目がどことなく泳いでいるのが見え、何か隠しているのではないかを感じたが、今は農場での仕事を身に着けなければならない時期なので、混乱を避けるために、これ以上は深く追及することはしなかった。


 ある日、アレックスは恵理子とジェイムス、エミリーをリビングに呼び寄せた。

「アレックス。わしらに話って何だね?」

「みんなに、結婚を前提に付き合ってる彼女を紹介したいんだ。」

 三人は、アレックスの突然の告白に顔を見合わせた。

「まぁ、アレックスに彼女だなんて、顔が見てみたいわねぇ、あなた。」

 恵理子はアレックスに彼女がいることをを知らず、驚きを隠せずにいた。

「あ、アレックス。なんで真っ先にママに教えてくれなかったのよぉ?いい報告を待ってるって言ったのに。」

「いやぁ、それぞれバラバラに言うより、まとめて言った方が楽だしさ、それに、向こうの親に認めてもらえなかったら意味がないからね。でも、本当の理由はね・・・。」

「本当の理由?アレックス、もったいぶってないで言いなさいよ。」

 アレックスは、ジェイムスさんの顔色を窺うように見て言った。

「お爺ちゃんたちに、“お前にはまだ早い!”とか“お前に家族を養える能力がない!”なんて言われて反対されるのが怖かったんだ。俺、農場で働いて長いこと経つけど、まだ下っ端だから、なかなか言えなかったんだ。でも、向こうの親が俺を認めてくれたから、こうしてお爺ちゃんたちに言おうと決めたんだ。」

 マイクは恵理子らに素直に彼女がいると言えなかったのは、恵理子がマイクと付き合っていることを自分の両親に反対されるのではないかと恐れて言えないことと同じだった。やはり親が親なら、子も子なのかもしれないが、アレックスは早い段階で話した所が恵理子と違っていた。

「そうか・・・。」

 すると、ジェイムスは眉間にしわを寄せてアレックスを睨んだ。

「アレックス、わしは今、猛烈に腹が立っておる。」

「う、うう・・・。ごめんなさい、お爺ちゃん。やっぱり俺・・・。」

「馬鹿もん!わしはなぁ、いつお前がそういった話をしてくるのか、ずっと待っておったんだぞ。そう言えば、お前のパパ、マイクにも同じことを言ったなぁ。」

「えっ?お義父さん、そうだったんですか?」

「ああ、そうだ。マイクが君を紹介した翌日にも電話があったから、そこでアレックスと同じように叱ってやったよ。“もっと早く彼女を見つけて来んか!”となぁ。あいつ、画面越しに泣いとったぞ。ハハハ・・・。」

 ジェイムスは表情を一変させて笑い出した。

「お、お爺ちゃん。てことは・・・。」

「今度、ここに連れてきなさい。わしらの“孫”として迎えようじゃないか。なぁ、エミリー。」

「ええ、また家族が増えて嬉しいわ。恵理子もそうでしょ?」

「はい!だって、私の“娘”なるんですから。良かったわね、アレックス。ママ、その子に日本料理をごちそうさせてあげるわ。フフッ、今から楽しみね。」

 すると、アレックスは何故だか、恥ずかしそうな顔をしていた。

「あのさ、ママ。そのことなんだけど・・・。」

「どうしたの?アレックス。」

「その子、親が日本人なんだ。」

「ええっ!」

 恵理子はアレックスの更なる告白に、イスを立ち上がってしまった。

「あ、アレックス・・・本当なの?」

「ああ、これを見てくれよ。名前は“真奈美”だ。」

 アレックスは三人に、彼女の写真を見せた。そこには紛れもなく、日本人の顔をしている女性が写っている。

「何よこの子、かわいいじゃない。アレックス、よく見つけてきたわね。」

 彼女の名は、大森ジャスミン真奈美。アレックスが通っていた高校のクラスメイトで、真奈美からアレックスに声を掛け、アレックスがイメリスと日本のハーフであり、日本語を知っていることから仲良くなり、高校を卒業して、彼女が大学に通っていた時も、インターネットのテレビ電話で話をしているそうだ。アレックスの部屋から片言の日本語が聞こえたのも、彼女と話すためだったかもしれない。ただし、彼女は両親が日本からイメリスへ移った後で誕生し、イメリス国籍を取得して日系イメリス人になったが、アレックスが選んだのだから、恵理子がそこを気にする所ではない。両親とは日本語で話し、日本にも来たことがある。先日、真奈美が大学を卒業したのを機に、アレックスは真奈美の両親にも顔を見せ、母が日本人であることや、自分が産まれた理由に感心を寄せ、アレックスに日本人を思わせる所があると高い評価を受けたことで、真奈美とアレックスの仲を認めたとのことである。

「だから言っただろ?俺、ママみたいな日本人と結婚したいって。まだ結婚するって決まった訳じゃないけどさ・・・今度、ここに連れてくるからね。」

「アレックス・・・そこまでママのことを考えてくれたのね。嬉しいわ、ありがとう。さぁ、何作ってあげようかしら・・・。」

 恵理子はマイクが果たせなかった夢を、息子のアレックスが本気で叶えようとしていることに感激していた。ジェイムスとエミリーも、アレックスが結婚を本気で考えていることに、孫の成長を感じていた。


 数日後、アレックスは彼女の真奈美を我が家に連れてきた。それだけではなく、なんと、真奈美の両親が恵理子にお会いしたいと言って付いてきたのである。もちろん事前にアレックスから話はあったものの、恵理子は久し振りの日本人との対面に緊張していた。

「ママ、お爺ちゃん、お婆ちゃん、真奈美を連れてきたよ!」

 しかし、そこには真奈美の姿はなかった。どこにいるのかと思ったら、アレックスの背後からひょっこりと、姿を現したのである。

「こんにちは、アレックス君のお母さん。私、大森ジャスミン真奈美と申します。初めまして。」

 真奈美は笑顔を見せ、日本語で挨拶し、会釈をした。

「あなたが噂の真奈美ちゃんね。ようこそ、いらっしゃい。さぁ、上がって。」

「はい!お邪魔します。」

 すると、真奈美の後ろからは、真奈美の両親も姿を見せ、恵理子、アレックスに向き合う形でリビングのテーブルに座った。

「恵理子さん。真奈美がアレックス君のお世話になりました。あなたは夫を戦争で亡くされたにも関わらず、こうしてイメリスへ渡り、アレックス君を産み育てたその不屈の精神に感服してしまいましたよ。」

「あ、ああ。は、初めまして・・・わ、私、あ、アレックスの母、え、恵理子です。こ、こちらこそ、あ、アレックスをみ、認めてくださり、あ、あ、ありがとうございまっしゅ。」

 恵理子は仕事以外で久し振りに日本人の姿を見て、緊張からか、声が上ずってしまった。

「ママ、しっかりしてよ。同じ日本人なんだろ?」

「ご、ごめん。何だか外国人を見てるみたい・・・。」

「ハハハ・・・。その気持ち、私たちも分かりますよ。」

 真奈美の父のこの一言がきっかけで双方の緊張が取れ、恵理子とマイク、真奈美と真奈美の両親の笑い声がリビングに響いた。大森一家は、恵理子がおもてなしで作ったお手製の日本料理も“まるで日本にいるみたいだ”と褒めた。それから更に会話が盛り上がり、恵理子と真奈美の両親が日本にいた時の話や、アレックスと真奈美が出会った時の話を経て、いつの間にか、アレックスと真奈美の結婚に向けての話が進んでいった。


 ある日、恵理子は部屋の窓を開けて外を眺めた。吹き付けてくる風が心地よく頬をなでていく。

「星空、奇麗だなぁ・・・。」 

 この日は恵理子が亡き夫、マイクと生前に約束した夢を叶えるために、日本からイメリスへ移り住んで二十五年の節目である。恵理子が日本にいた二十五年と同じ時間を、イメリスで過ごしたことになる。恵理子も五十歳を迎え、月日の流れの早さを感じていた。これまでに様々なことがあったが、実は恵理子の父、武雄が去年この世を去った。息を引き取る前まで、病室からイメリスにいる娘の恵理子と孫のアレックスの心配をしていたと聞いた。元々、恵理子が武雄と結んでいた、“結婚もしない相手と性行為をするな”との約束を破ったことで、恵理子が妊娠したことに激怒し、堕胎を勧めようとしていたが、恵理子がイメリスでアレックスを出産した後は、誰よりも二人の心配をしてくれていたことを知っていたので、恵理子は武雄の最期を看取ることができなかったことが悔しく、恵理子はアレックスと共に一時帰宅し、墓地で眠る武雄に悲しみを露わにした。これからは残された母の朱里のために、定期的に日本へ帰ることを誓った。

「ごめんなさい。お父さん、お母さん、最後まで我がままな娘で・・・。」

 しかし、悲しい話ばかりではなかった。今年、アレックスが彼女の真奈美と結婚して夫婦となり、我が家で新たな家庭を築き始めたのだ。それでも相変わらず、アレックスは農場では下っ端だが、それでも農場を引き継ぐために、妻のために必死になって働いていた。妻の真奈美は、農場の商品を日本に紹介する恵理子の仕事を手伝い始めた。恵理子と真奈美は嫁と姑の関係でもあり、時々、考えの違いで対立するが、恵理子にとって、心強い存在となった。

「はぁ、私って、なんでいろんな人たちと繋がってるんだろう・・・。」

 マイクの両親、農場で働く皆さん、イメリスで会う人たち、恵理子の両親、恵理子が日本にいた時にお世話になった人たち、息子のアレックス、義理の娘の真奈美、真奈美の両親、そして、恵理子がイメリスへ移り住むきっかけを作ってくれた、唯一の恋人で事実上の夫のマイク・・・。二十六年前、マイクが恵理子に道を訪ねてこなければ、こうしてイメリスに移り住むこともないし、息子のアレックスを設け、母になることもないし、今の恵理子は存在しなかったに違いない。

 恵理子はただ、何の取り柄もないこんなちっぽけなアジア人を、“息子と付き合ってくれて、孫を妊娠した”との理由だけで娘として迎えてくれたマイクの両親に恩返しすることだけに力を入れてきた。更に、農場の商品を日本へ紹介することを通じて、恵理子の両親へも恩返しをする格好になった。しかし、恵理子がイメリスに飛び立った時の母、朱里の年齢に一年ずつ近付くに連れ、限界を感じるようになっていたのである。


「マイク。私、もう疲れたよ・・・。」

 恵理子は生前のマイクと結んだ約束のイメリスで移り住んで、子供を持って幸せに暮らす夢を既に叶えていた。恵理子にはもう、何も思い残すことはなくなっていたのである。恵理子にできることは、心置きなくマイクの元へ行くだけである。恵理子とマイクの夢の一つである息子のアレックスも、今や妻となった真奈美がいるので、恵理子がいなくても生きていけると確信した。その瞬間、恵理子は一気に涙があふれた。

 すると突然、恵理子に向かって強い風が吹き、恵理子の髪をさらさらと揺らした。

“ヒュゥ~ッ!”

「うわぁっ・・・。」

 恵理子は窓から空を見上げると、そこに、恵理子が会いたい人の姿が見えた。

「あ、マイク・・・。迎えに来てくれたの?ありがとう。」

“恵理子・・・。相変わらず、奇麗な肌と黒い髪をしてるんだね。”

「マイク。私、もうそっちへ行っていいよね。今日まで頑張ってきたんだよ。夢だってもう叶ってるんだよ。だからマイク、会いたいよぉ。」

 恵理子は両手を広げ、吹きつける風を体で受け止めた。その風はまるで、マイクが恵理子を抱きしめるかのように感じたのである。

「私、今度こそそっちへ行くから、その時は私を本当のお嫁さんにしてね。私をぎゅっと抱きしめてね。私の頭をなでなでしてね。」

恵理子は目を閉じると、体の力を抜き、窓から身を投げ出そうとした。恵理子は今日本で生まれ育った二十五年とイメリスで過ごした二十五年の、合わせて五十年の生涯に自ら幕を下ろそうとしていたのである。


「マイ・・・ク・・・。」

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