5 くっつき幽霊
最初の感想は――酷いだ。
小さい頃、大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんになる、と妹に言われたことはあったが、それを除けば女の子から告白されたことなど一度もない。
まして逆プロポーズなんて、夢のまた夢だと冥牙は思っていた。
しかし冥牙は高校入学初日にして、逆プロポーズされてしまった。
クラスメイト? 先輩? 女教師?
否。現実は、年端もいかない幽霊少女からだった。
しかも、男子トイレの中で。
(……なんだよ、男子トイレって!)
だが、ショックだったことは間違いないが、そんなことはそこまで重要なことではない。
今問題なのは、幽霊少女の告白自体の方だ。
子供の言ったことをいちいち真に受ける必要なんてどこにもないのに、なぜ冥牙がこんなに悩んでいるのかというと……
現在もくっついたまま離れない小学校高学年くらいの少女が、子供ではなかったからだ。
話を聞いたところ、幽霊少女――永峰萌梨が亡くなったのは十一歳の頃らしいが、それから幽霊として四年間ほど現世を彷徨っているとのことだ。
当然亡くなっているので、身体が成長することはないが、精神年齢は十五歳の少女。
つまり、大きくなったらパパのお嫁さんになるね的な軽いものではなく、正真正銘ガチな告白だった。
(会って三分くらいで告白とか、チョロ過ぎだろ!)
ちょっと水の塊を避けて、ホース奪って頭撫でただけの平凡な容姿の少年に、どうして惚れるのか全く理解できない。
「あの、萌梨。ちょっと離れてくれるか」
ジャージを借りるため保健室に来た冥牙たち。空乃がカーテンで仕切ったスペースで濡れた服を着替えている内に、冥牙は相変わらずベタベタと引っ付いている萌梨に言う。
「いや。冥牙好き」
(積極的過ぎ!)
女の子から告白されたことのない冥牙は、一瞬で動揺。否、抱きつかれている時点で、すでに動揺を隠しきれていない。顔が少し赤くなっている。
精神年齢はともかく、見た目十一歳の少女に何を照れているんだ、しっかりしろ戸津川冥牙、と冥牙は自分に言い聞かせているが……
ふにょん。ふにょん。
服の上からでは真っ平らのはずなのに、こうも押しつけられていると、未成熟ながらも確かに女性の柔らかさを持ったそれを意識せずにはいられない。
(誰か助けて……)
その祈りが通じたのか、シャーッとカーテンが開き、ジャージ姿の空乃が出てきた。
「まったく、まだ二、三度しか着ていない制服がびしょびしょじゃない」
空乃は濡れた髪をタオルで拭きながら、小さく溜息を吐く。
「空乃。萌梨をどうにかしてくれ」
「……そう言われても、ちょっと困る状況ね。元々除霊するつもりだったけど、その必要性はすでに失われているようだし」
「え、どういうことだ?」
冥牙は困惑する。
「いつ悪霊になってもおかしくないって言ったでしょ? でも、今の萌梨は悪霊になる気配が微塵もないのよ。どちらかといえば、守護霊に近い存在かしら」
「守護霊? ちょ、ちょっと待ってくれ。もしかしてずっとこのままとか言わないよな?」
「……なかなか可愛らしい子よね」
「急にどうしたの?」
確かに、萌梨は可愛らしい女の子だ。
人形みたいに整った顔立ち。綺麗な髪。何か花のような良い香りがするし、抱きつかれて照れはするが、不快ではない。いや、邪魔だが。
「冥牙はツインテとポニテどっちが好き? あ、短いのが好きなら、今すぐ切るよ」
唐突に冥牙の好みを聞いてくる萌梨。
今のツインテで十分可愛い、と言ったら何か面倒なことになりそうだ。
「そんなことはどうでもいい。それより四年間も成仏できなかったんだよな。差し支えなかったら幽霊になった原因とかを教えてくれないか?」
成仏の方向に持っていきたい冥牙はそんなことを聞く。
「冥牙が知りたいなら、教えてあげるね。私は生前に女子グループに男子トイレに押し込まれて、何度もいじめられてたの。ブスたちのひがみって本当に醜いって思って、頑張って耐えてたんだけど……ある日死にたいと思って、衝動的に自殺しちゃったの。そして幽霊になった私は、色々な学校の男子トイレを転々として、男子トイレに入って来た生徒を怖がらせてたんだよ」
さすがにあまり愉快な話ではなかったが、萌梨が終始楽しそうに喋るので、何か妙な雰囲気だった。
「萌梨……」
どうしてそんなににこやかに話せるのか、冥牙が訊くより早く、萌梨は言ってくる。
「でも、冥牙に会うためにその過去があったと思えば、ただの笑い話だよ。冥牙は私を見てくれるし、触ってくれる。優しいし、カッコいいし」
本気でそう思ってくれているらしく、冥牙は内心結構嬉しかった。
「それに私幽霊だから、いつまでも若くて可愛いままだよ。冥牙、一生ピチピチのお嫁さん、欲しくない?」
ものすごく魅了的な提案だが、冥牙はハッキリと断る。
「悪いが、幽霊と結婚する気はない。大人しく成仏してくれ」
「冥牙、あまり変なこと言って刺激したら……」
空乃が慌てて口を開く。
「あっ……」
冥牙もしまった、と萌梨を見やるが、
「冥牙ったら、照れ屋さんなんだんから。でもいいよ。私たちまだ知り合ったばかりだから、もっと時間をかけて仲を深めて行こうね」
杞憂だったようだ。
「……空乃。助けてくれ」
「ごめんなさい。良い方法が思いつかないわ。無理やり除霊するのも可哀想だし」
「ねぇねぇ、冥牙。さっきから思ってたけど、顔が赤くない?」
またも脈絡もなく萌梨が訊ねてくる。
「べ、別に気のせいだろ」
可愛い女の子が抱きついてるから照れてる、などとは口が裂けても言えない。より一層面倒なことになりそうで。
「そうだ。一つ良いこと教えてあげるね。耳貸して」
「ん、何だ?」
(空乃には聞かれたくないことか?)
軽く首を傾けた冥牙の耳に、萌梨の吐息が直接掛かり、ドキッとしたのも束の間、
「当たってるんじゃないよ。当ててるんだよ」
幼い少女の声で、ものすごいセリフが飛び込んできた。
冥牙は思わず咳き込む。
「冥牙ったら、反応が可愛いなぁ。絶対未経験でしょ」
何の経験は訊かない。見た目十一歳の少女の口から言わせるわけにはいかない。
「そ、空乃。マジでどうにかしてくれ。専門家だろ?」
「まあ、そうだけど……」
歯切れ悪くそう言った空乃は、ふいに真剣な顔付きになり続ける。
「萌梨があなたから離れない以上、冥牙にも除霊に立ち会ってもらうことになるけど、悪意のない幽霊の除霊は……冥牙、素人のあなたには辛いと思うわ」
「……っ」
忠告するような口調に、冥牙の表情も険しくなる。
「……ねぇ、そういう話、私の前でしちゃっていいの?」
「おまえが離れないからだろ」
萌梨のもっともな発言に、冥牙は間髪を容れず応える。
「幽霊とはいえ、私は普通の女の子だよ。冥牙がちょっと本気出せば、振り払えるんじゃない? でも、冥牙はそうしない。そういう優しいところが好き」
「……もう、結婚すれば」
さらにギュッと抱きつく萌梨を見て、空乃が淡々と言う。
「ちょ、空乃。変なこと言わないでくれ。第一、俺には明利が」
「……めいり?」
萌梨の雰囲気が変わった。
何か怖かったが、逆にこれは絶好の機会かもしれない。
「あ、ああ。俺には明利という大切な女の子がいてな。彼女は色々と巻き込まれ体質なんで、そばにいてあげないと」
嘘はついてない。妹だと言う必要もない……はず。
「その子とキスしたの?」
「へ? あ、ああ……」
冥牙はこのまま押し切ることにした。
(……小さい頃に、ふざけてしたことあったような気がするし、嘘はついてないぞ)
と、そこで冥牙は偶然空乃と目が合ったが、彼女はとても冷ややかな瞳をしていた。
「じゃあ、それ以上は?」
「そ、それ以上……? いや、俺たちは健全な関係であってな。そんなことは」
健全な兄妹という関係だ。一言も恋人とは言っていない。
「そっか。ならまだ可能性あるよね」
萌梨はパッと笑顔になり、なぜか顔を近づけてきた。冥牙の顔に向かって。
「な、何やってんだ!」
「え? とりあえずその明利って人に追いつこうと」
「やめろ。絵的に犯罪だから」
「大丈夫だよ。――苦しいのは一瞬だから」
「え……」
ゾクッ!
萌梨の底冷えするような声を最後に、冥牙の意識は遠のいた。