1 桜の下の地縛霊
「お兄ちゃん。写真撮ろう」
妹の明利がケータイ片手に、そんな提案をしてきた。
彼女は真新しい制服に身を包んで、無邪気な子供のようにニコニコしている。
「ああ、いいよ」
兄である戸津川冥牙は微笑を浮かべ快諾する。
今日は高校の入学式。早めに支度を整えた二人は、だいぶ時間に余裕があったので家でくつろいでいたところだ。
「じゃあ、撮るよ」
今から楽しみで仕方がないといった様子の明利は、冥牙の腕にギュッと抱きつき、ケータイを持った手を前に突き出す。
まるで恋人同士のような状況に、冥牙は思わず照れる。
「明利。ちょっとくっつき過ぎじゃないか?」
「こうしないと見切れちゃうでしょ。はい、笑って」
――カシャ。
明利はそのままシャッターを切る。
「よし。綺麗に撮れたよ」
撮れた写真を確認し、明利はまた笑顔になる。
「ほら、見て見て」
何だか気恥ずかしかったが、妹に促され、冥牙も写真を見る。
そこには、真ん丸な瞳を細め子供っぽい笑顔を見せる妹と、若干照れている自分の姿が写っていた。
(……うわー)
妹にくっつかれたくらいで照れている自分を客観的に見て、冥牙は写真を削除したい衝動に駆られる。だが、良い笑顔で写っている妹に視線を移し、どうにかその衝動を抑える。
(外では写真一つ撮るのに苦労するからな)
溜息を吐きたくなる気持ちを、可愛い妹の写真――ではなく、直接本人を見て誤魔化す。
幼さが残るものの綺麗に整った顔立ち。
宝石のように美しい瞳に、花びらのような可憐な唇。
肩口くらいまでの艶やかな黒髪は、ずっと触っていたくなるくらいさらさらで。
明利は誰もが認める超の付く美少女だ。
それに比べて、明利の隣に写っている少年ときたら、普通も普通。本当に明利と血の繋がった兄妹なのか、と本人でさえ疑いたくなるほどの平凡っぷりだ。
(双子なのに、この違いは何なんだろうな)
幼い頃から抱いているモヤモヤを意識し、飲み込んだはずの溜息がつい出てしまう。
「……どうしたの、お兄ちゃん?」
「え……いや、何でもないよ。少し早いけど、行こうか」
冥牙は誤魔化すように笑みを浮かべる。
「うん」
妹の無邪気な笑顔が、いつもより眩しかった。
「お兄ちゃん、もう一枚写真撮らない?」
家を出て、学校に向かってしばらく歩いていると、唐突に明利が言ってくる。
「……ここで?」
「うん。せっかく良い天気だし、あそこの桜すごく綺麗だよ」
「……ああ、確かに。……桜は綺麗だな」
「でしょ」
冥牙の腕を引っ張って、明利は背中に桜がくるような位置に移動する。
「じゃあ、撮るよ。はい、くっついて」
「ちょ、ちょっと、待ってくれ」
「ん? どうしたの?」
「いや、その……」
口ごもる冥牙を見て、明利は軽く周囲を見回す。
「もしかして、恥ずかしいの?」
少し離れた場所で、近所のおば様たちが話しているのに気づいたらしい明利は、冥牙の方を振り返り言ってくる。
「いや、そういうわけじゃないけど……」
「じゃあ、いいでしょ。撮ろうよ」
「その、撮る前に……少しの間、目を瞑ってくれるか」
「え、どうして?」
きょとんとする明利。
これではまるで今からキスでもしそうな感じだ、と冥牙が気づいたのは口に出してからだったが、幸い妙な誤解は生まれなかったようだ。
(明利って、こういうところは結構鈍いんだよな)
「色々と準備がな。あと耳も塞いでてくれるか」
「……うん。よく分かんないけど、分かった」
素直な妹で助かった。
明利が目を瞑り、耳を塞いだことを確認すると、冥牙はすぐに桜の木の根元まで行く。
「そこのお似合いのお二人さん。ラブラブなところ悪いんですけど、ちょっといいですか?」
明利に聞こえないように、冥牙は若干小声で言う。
「はっはっは。ラブラブ過ぎる俺たちに何の用だい、イカしてない少年」
サングラス姿のダサい格好の青年は、恋人らしい若い女性にチュッと口づけして、機嫌よさそうに言ってくる。
イラッ!
「妹がこの桜をバックに写真を撮りたいって言ってるんですが、どこか別の場所でラブラブしてもらえます?」
冥牙が満面の作り笑顔で俺がお願いすると……
「おっと、それは悪いね。だが、残念ながら、その要望には応えられないね」
「えっと、どうしてですか?」
「おいおい、見て分からないのかい? 俺は地縛霊だぜ! 成仏しない限り、ここを動けない。まあ、ハニーさえいれば、他に何もいらないけどね」
言って、またしても見せつけるように唇を重ねるバカップル。
「なるほど。分かりました。では成仏して……いえ、除霊しますね」
さっと懐から一枚のお札を取り出す冥牙。
「ちょ、ちょっと、待て。冗談だよな? イカした少年」
「今更媚び売っても遅いですよ」
焦る青年を余所に、冥牙は笑顔で応え、お札を天に掲げる。
「に、逃げるぜ、ハニー!」
瞬間、青年は女性をお姫様抱っこし、飛ぶように逃げ出す。
「逃がすか!」
冥牙はお札を持った手を引き、叫んだ。……ただし小声で。
そして――
バカップルの姿が見えなくなると、冥牙は小さく吹き出す。
「……ただの紙切れだよ」
知り合いの巫女さんから貰った――というか、要らないから処分しておいてと言われていた、霊力を失ったお札が役に立つとは思わなかった。
(あなたは、もうとっくに地縛霊を卒業してたんですよ。気づかない内に)
自分の死を理解し受け入れている上に、あんな幸せそうな幽霊が、一ヵ所に留まる理由なんてどこにもない。
恐らく、あの青年は、元々は本当に地縛霊だったのだろう。
だが、地縛霊が永遠に地縛霊であり続けなくてはいけないなんて決まりはない。
冥牙は勘違いしていた青年の背中をほんの少し押してあげたのだ。
まあ、青年のためではなく、明利が撮る写真に幽霊が写り込まないようにするためだが。
「……それにしても、お姫様抱っことか、イカしてるねー。俺もいつか誰かにしてみたいよ」
我先に逃げるのではなく、恋人を第一に考える。
幽霊とはいえ、男気溢れるカッコいい人だったな。服装はダサかったが。
「……と、明利を待たせてるんだった」
冥牙は急いで妹の元に戻り、未だに言いつけをきちんと守って、目を閉じて耳を両手で塞いでいる妹の肩を軽く叩く。
「明利」
「あ、お兄ちゃん」
明利は手を退け、目を開ける。
「待たせて悪いな」
「ううん。どんな準備してたの?」
心霊写真にならないように、とは言えない。
(明利は霊感がないからな)
「えっと……少しでもカッコよく写るように、準備運動……かな?」
我ながら苦しい言い訳だと冥牙は思う。
「そっか。でも……そんなの必要ないと思うよ」
「え?」
「だって、お兄ちゃんは――お兄ちゃんでしょ」
優しげな笑みを浮かべる明利。
嬉しいような悲しいような。
お兄ちゃんは今のままでも十分カッコいいよ、なんて言葉を期待してしまった冥牙は、
「そ、そうだよな……」
曖昧な表情を誤魔化すように笑う。
「うん。じゃあ、写真撮ろう」
「ああ」
ギュッ。
またしても明利が腕に抱きついてくる。
だが、今回は想定済みだ。
冥牙は赤くならないように気を引き締め――
(なっ! こ、この感触は……)
腕に感じた柔らかな感触(男のロマン)のせいで、冥牙は先程よりも余計に赤面してしまう。
「ちょ、ちょっと待って!」
「じゃあ、撮るね。はい、チーズ」
――カシャ!