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1枚目

名刺交換。

それは社会人としては初歩的な儀礼的挨拶手法である。


「セタ探偵事務所所長、瀬田と申します」


そう言って手渡される一枚の名刺。

それには、本来、簡単な住所と名前、役職、電話番号などが記載されているはずである。

が。しかし、この日、瀬田が手渡したのは、古びた一枚の紙切れのようなお手製名刺だった。


文字は手書きで、事務所名と名前のみ。それも、客が驚く緑色。

古ぼけたような紙には所々茶色の染みらしきものができており、見た目にわかる使い古しにしか見えない。


「緑?」

「はい。緑色で書かれた文字は幸福を呼ぶといいます。貴方の元に幸福をお送りできるよう。との願いを込めて、弊社の名刺は緑色で書くようにしております」

「そ、そうなんですか」

疑わしいながらも、つっこめなかった主婦は、黙って、それを机に置いた。


主婦はこの瀬田という男を疑っているだろう。

優男風でありながら、このずぼらさ。

シンプルでありながら、丁寧に掃除された室内。

小奇麗な内装と貰った名刺の落差が激しすぎて動揺しているのが見てとれる。


ま、それも、事務所の経済状況を考えれば、どうしようもないことだった。



←← 巻き戻し。



事務所内がシンプルかつ綺麗なのは、税務署の差し押さえで持っていかれたものと、中古品として売り飛ばしたものが、ちらほらあるから。

要するに、在ったはずのものが諸事情の餌食となり消えた。

そして、ろくに客が来ないのに毎日掃除しているのは、突然の来客への備えと、落し物や廃棄品のなかに使えそうなものがないか、発見できるから。

どんな坊ちゃん育ちなのか。瀬田さんは、掃除、炊事といった家事がいまいち御出来にならない。つまり、不得意なのだ。

そして、機械音痴で不器用。

紙を真っ直ぐ切っていたとすれば、仕上がりがいびつな星型文様になるくらいすごい。

生真面目なくせに、放っておいたら、日付どおりに捨てているにもかかわらず、ごみは溜まるし、食器は割れる。

家電製品はショートするか、基本的な操作ミスでお払い箱。


注意事項に書かれた内容を実践し、「壊れたぞ!?」と、なぜか驚いてクレームの電話をかける男。

「そうなるって書いてあるんだから、それはしていけない事柄なの!安全を考えて初歩的なミスを防ぐために注意書きはあるんだ!」

「いや、それは間違いだ。これは業者がクレーム対策として、保守に走るための……」

「はいはい。それでいつも、正論で論破されて負けてるんだろ。わかった、わかった」



巻き戻ししすぎたので、ちょっと早送り。→→



黒、赤、そして、二日ほど前のことだ。ついに、青もなくなった。

残ったインクの色は緑。

公文書すら記載できない状況におちいった瀬田さんは、困ったあげく、同僚に相談を持ちかけた。

議題は、『新しいペンの購入が、いつ頃どのような形で完了できるか。』だ。

しかし、「インクがあるなら、新しいペンはいらない(買わない)」主義の経理担当Bに、瀬田さんは(偶然にも四色ボールペンなるものを使用していたがために、)気迫負けをきっした。

そこで、瀬田さんはしかたなく、依頼の電話主との面会用の名刺作りを緑色で行った。

もともと名刺は業者に頼むほど必要でもなく、むしろ、経費削減には、必要部数もなにも、「作成しない、持たない」ほうが、かえっていい。


来客に備え、嬉々として名刺作りに取り組んでいたが、思わぬ所でつまずいてしまった。

そこで、瀬田さんは考えた。


「たとえ、使いまわしの紙でもって、手作りした名刺であっても、温かみのあるもののほうが、安心感を得られる。そうすれば、こちらを信頼して依頼を託されるだろう」

との願いを込めている。


と。今とは違う、薀蓄うんちくを述べて、自分を納得させ、更に、好みの紙がないので、取っておいた菓子折りの包装紙を改造したというわけだ。



早送り。→→



そして、現在、電話は止められている。


料金滞納が原因だ。なので、大家に代わりに連絡を取ってもらい、事務所の誰かに繋ぐというリレー形式で頑張っている。


「静かですね」

「いつもこんな感じですが?」

「え?」


真実だが、依頼人を困惑させてどうする?瀬田。


「いえ。このほうが、仕事に集中しやすいので。それだけです」

「あ。ああ、そうなんですか。てっきり……」

「てっきり?」


言葉を濁した主婦の顔を真顔で見続ける瀬田。


「音の聞こえないこの事務所には依頼が来ないのか。と思われましたか」

「い、いえ。腕は信用できると伺ってますぅ」

「ありがとうございます」


とか言いながら、依頼主はびびりまくってるぞ。

天下の主婦様を怖がらせてどうする!?

ペンと飯なら飯だろうけど。この依頼、取れなかったら、夕飯含めてしばらく抜き確定だからな。


御茶係として控えている俺は、お盆抱えて両者を見守っている。

とにかく危うい瀬田さんの交渉がつつが無く終えられることを祈り、仕事内容を一言一句漏らさず聞く体勢に移行した。



お読みいただきありがとうございました。

話数は短いですが、お楽しみいただけると幸いです。

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