おいでませ異世界へ
「…んた、起き…れる…」
声が聞こえる。
ここは天国か?とぼんやりした頭で考える。
品行方正であったとは言い切れない人生だったけど、普通の人なら経験しなくていいような災難に28年間耐えたのだ。
間違っても地獄ではなかろう…もし地獄だとしたら神様を恨んでやる!と意気込みながら目を開ける。
そして私はフリーズした。
「起きたかい?全く世話かけさせんじゃないよ!この辺は魔物も出る!食われたくなかったらさっさとついてきな!ヒヒッ」
落ち着け私。
これは夢だ。うん。
だってさっきまで社員食堂に居たのに、ここはどう見ても森。
しかも、目の前にいるお世辞にも口がいいとは言えないしわくちゃな老婆。
(なんかゲームで魔法使いが持つような木の杖持ってるし…魔物とか言ってるし…完全にやばい人だよ。よし!ここはもう一回寝よう!)
人間、受け入れがたい光景を目の前にすると、防御反応が出るとはよくいったものだ。
なにせ、お花畑や三途の川を想像して目を開けたのに、目の前には老婆。
冗談も程ほどにしてほしい。
さて、もう一眠り…と体を横たえようとしたところで、頭に衝撃を感じた。
「あんた!バカなのかい?ここには魔物が出るって言っただろ?自殺願望でもあるなら放っておくけどね、死にたくないならさっさとついてきな!」
どうやら、夢ではなかったようだ。
なぜなら杖で叩かれた頭が痛い。
それに、この老婆は口は悪いが、心配してくれているのがわかる。
人の悪意や欲望にずっとさらされてきた私の勘がそう訴える。
自殺願望はないので、むくりと立ち上がり、先を歩く老婆を小走りで追いかけた。
「ほら、これでもお食べ!」
「はぁ、ありがとうございます」
ヘンゼルとグレーテルのお菓子の家からお菓子だけを取ったような家へ入り、出された野菜のスープのようなものを口に入れる。
体に染み渡っていく優しい味に気持ちが幾分か落ち着くのがわかった。
数分後、スープを綺麗に平らげた私は老婆と正面から向かい合って座っている。
この時点で、私から見て老婆はやばい人では無くなっていた。
餌付けされたからではない。
自分の置かれている状況が何となくわかってきたからだ。
老婆が何事か呟いたら、台所の洗い場で『無人で』皿が洗われていくのだ。いくら鈍くてもわかる。
これはマジックでも何でもなく、『魔法』なのだと。
それに先程出されたスープに入っていた野菜は私の知っているものではなかった。
食欲を無くしそうなピンクのトマトや、茶色のピーマンなんてあったらたまらない。
つまり、魔物という生物や魔法が存在する異世界に来てしまったのだ。
「つまり、あんたは異なる世界からの来訪者ってことかい?」
「はぁ、まぁそうなりますね」
私がここへ来るまでの経緯を話し終えたと同時に老婆の顔が輝いた。
いくら珍しかろうと、刺されて死んだ話をしたのだから、嬉しそうにするのはやめていただきたい。
こちらは全然愉快じゃないし…。
それでも強くは言えない立場だ。
一応、助けてもらったわけだし、全く知らない世界で知り合いもいないとなれば、老婆が私の生命線である。
「よし!じゃあ、あんたはここに住めばいいよ!その代わり異世界の知識を私に教えとくれ!ついでにあんたは魔力が多いみたいだから魔法や常識も教えてやろう!」
それは願ってもない提案だ。
いささか大盤振る舞いすぎやしないか?と思ったけど、何か言って前言撤回されたら困るので、お口にチャックだ。
魔法には興味があるし、魔物とかがいる世界なら、何かあった時に少しでも対抗策が欲しいのは事実なのだから。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
そう言った私を見て、老婆はヒヒッと引き笑いした。
楽しそうで何よりだが、その笑い方はどうかと思う。