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Guilty  作者: 某
2/3

遅刻

春の日。

冷たく鋭い冬の空気はすでに去り、ほのかに暖かい空気があたりを包む。

日差しも冬場に比べればその存在感を強めて、地面を照らしつけている。


光が生んだ暖気は、風を生む。

温められた空気は徐々に上空へと立ち上り、大気の循環を生み風が吹くきっかけとなる。一年ぶりに吹く暖風は、大陸の人々に新しい年度の到来を知らせるだろう。

始まりの季節、春が生み出した便り。

応じて芽吹き出した新緑たちは、それにわずかに揺られながら、訪れた誕生の季節に歓喜する。葉が掏り合わさって鳴る音は、冬の間長らくきいていないもので新鮮だった。


「えっと……」


街を歩む一人の少年。なにやら先ほどからこのあたりをぐるぐるとまわっている。どうやら迷子になっているようだ。その様は不規則に風向を変える春の風に揺られる木の葉のようだった。


「北はこっちであっているよね……えっと……」


地図を穴が開くほどに凝視してはふと顔を上げて数歩進み、角を曲がるともう一度地図に目を落す。その作業を繰り返し、いつの間にかもとの位置へ戻る。彼はそれを数度繰り返していた。確かにあたりを囲む摩天楼の樹海を見れば、一様な雰囲気に混乱するかもしれない。それでも地図を持ってなお迷っている彼は相当な方向音痴のようであった。


痩身の青年だった。かわいらしい顔つきをしていて、目つきもクルリとしている。癖のある短い黒髪も相まって非常に子供っぽく見える。


「……どこに行けばいいの」


がっくりと肩を落とす。風が彼の短い前髪を揺らす。髪が鬱陶しいのか、それとも目的地がわからないことへの落胆なのか、彼は小さく頭を横に振った。春の暖かな日差しだけが迷子の彼を優しく励ましている。


「思い切り遅刻しちゃうよ。このままじゃ」


といって彼はまたせわしなく目をあちこちに向ける。


彼はとある「警察の部署」の新入社員であった。この春から新しく勤務することになった部署の一室に彼の所属するチームのメンバーは集合することになっているのだ。その集合時刻まで残された時間はあとすこしに迫っていた。それを彼も自覚していて、初日から遅刻することが確定的になってしまったことに愕然としているのだった。いまさらあせっても間に合わないことを知ってなお、彼は落ち着きなくそわそわとしていた。


「はあ。泣けてくるね。方向音痴過ぎるよ」


そうつぶやく彼を怪訝に見る人も少なくない。早朝の喧騒において、立ち止まる人間というのはとても少ないのだ。日々機械的に、義務的に通る道であるから当たり前だ。そして、日々を同様に過ごそうとする彼らは、イレギュラー的な彼に手助けをしたりはしない。彼は一人、人の波に流されていた。ひときわ大きな人の塊が歩いてきた。おそらくは通勤電車が到着したのだろう。

目的地を探そうにも彼の視界はスーツの黒によって染め上げられて、遠くまで見渡すことができない。それがさらに彼の迷いを深めていた。そんな彼をあざわらうかのように、地図は彼の目指す場所がこの付近にあることを示しつづけていた。


「高いところから……見てみるとか?」


そこで彼はそう思い立った。彼は事前にその建物がどのような特徴を持っているのかを聞いていた。

おんぼろで、今にも崩れそうな廃アパート……だったよな。

彼は伝えられたおぼろげになっている情報を手繰り寄せる。

彼の記憶によれば、集合場所の建物は屋上に据えられた時代はずれな貯水槽が目印だった。


「なら……エレベーターに乗って屋上に行ってあの背の高いビルから見下ろせば」


彼はそう思ったのだが、すぐにその考えを取り下げることにした。彼は大通りの中央にいたのだ。通勤の混雑で脇は人の海と化し、ビルの屋上に上るためのエレベーターに到達するにも一苦労だった。

この波をかき分けて、ビルの玄関に上陸するのは骨が折れる。


一通りの思考を終えた彼は、決心したように自らの腰に手を伸ばす。新品のスーツを気慣れていないのであろう。求めていたポケットに手がたどりつくには、すこし時間がかかった。そのポケットから取り出したのは一組の手袋だった。黒い革製の手袋だ。それを彼は慣れた手つきで身に着ける。手袋は彼の細い指にキレイにフィットしていく。

喧騒の中で立ち止まっている彼を、周りの人間はいっそうにめんどうくさそうにして避けていく。確かに春の温暖な気候の中で手袋をつける彼の姿は異様であった。


「これだね」


そういって彼はもう一度腰のあたりを弄る。背中のほうに手を回して、ごく自然な動作で「なにか」を取り出す。ごく一般的な生活、日々繰り返される生活には間違っても存在しないような―


「ひっ!!」


それを見た通行人の内の一人が短い悲鳴を上げた。

彼の視界には小さい、黒光りするものが映っていた。それは拳銃だった。黒い、小さな6連装のリボルバー式の拳銃で、現在の主要な機構からは大きく外れたアンティークのようなものだった。しかしその口径がいくら小さかろうと、旧式だろうとそれが殺人のための道具であることには変わりない。


―すくなくとも、通行人の社会人には「そう」見えた。


少年は拳銃の様子が普段と変わらないことを確かめると、おもむろに脇のビルの壁面へと向けた。彼の手に握られた拳銃に、周りの社会人が徐々に気が付き始める。顔を青ざめるもの、紅い顔になるもの、携帯電話で警察に連絡しようとする者までいた。


「き、君はなんだね! そんなぶっそうなものを取り出して!まさか最近噂されているテロリストっ、「クロノ旅団」の一味じゃないだろうねっ」


最初に拳銃を見た社会人はおどおどという。腰はすっかりと抜けきってしまっている。地面に這い蹲りながら、視線だけを少年へと向ける。少年はその声で社会人に初めて気が付いたらしく、少し申し訳なさそうに会釈した。


「すいません、急いでいるんで」


彼は社会人からすぐに視線を外すと小さく紡いだ。


「移動術式。対象は弾丸(マーカー)にて指定」


短い言説。至って業務的なつぶやきに答えて、黒い銃が一瞬だけ妖しい光を帯びる。銃からにじみ出るような黒い光。周りの社会人の波が、いよいよ何事だと少年から離れ始めた。一部から「魔術だ、殺されるぞ!!」なんていう声も上がっている。それを無視して、


「発動」


かちゃり。引き金を引く軽い音。間を開けることなく銃口から小さな黒い弾丸が飛び出した。空を裂き、壁面へとそれはまっすぐ飛来して、着弾する。そこに爆発や、破壊の現象は起こらない。壁面へと飛来した弾丸の軌跡だけが、黒い線となって残っているだけだった。まわりの人が呆然としている中で、彼は満足そうにうなずく。


彼は銃口を壁面からそらす。すると、銃口に繋がっていた黒い軌跡、糸が切れる。すかさずその端を少年がつかむ。すると、それが一気に壁面へとひきつけられた。

すさまじい勢いで少年は三階ほどの高さにある自らの放った弾丸の着弾点へとひきつけられていく。あまりに急激な加速。空中で体勢を変えることは、もちろんほかの方向から力を受けなくてはいけない。すなわち手で糸をつんでいる少年はこのままでは壁面へと直撃してしまう。

しかし、「魔術師」である少年にそれは通用しない。


彼は空中で小さく体をひねると、弾丸(マーカー)を打ち込んだ壁面とは逆のビルへと向き直る。すぐさま引き金を引く。狙ったのはさらに三階ほど上に位置する壁面だ。

着弾とほぼ同時にもういちど「回収」とつぶやいて銃口から黒い糸を切る。と同時にそれをつかみ、すでにつかんでいた糸を手放す。まるで木から木へと飛び移るサルのようだ。しかしそれはどこか技巧的で、サーカスのブランコのようにも見える。


再装填(リロード)


もう一度。彼が行っていることは簡単だ。

「まっすぐ進んでは人込みが面倒。遠回りしている暇はない。なら上しかない」


再装填(リロード)


彼は4回ほど同じ動作を繰り返した。

魔術師である少年、マコトはすでに12階ほどの高さにまで到達していた。


「そろそろ屋上か」


彼は顔色一つ変えずに、細い屋上の手すりに向けて弾丸を撃ち込む。

弾丸にはまったく殺傷性がないようだ。無傷の手すりに黒い糸が結び付く。それを確認した彼は今まで最も早く呪言をつむいだ。


回収(コレクト)再装填(リロード)即時発動(インスタント)


紡ぎ終わると同時に反対側のビルに向かって弾丸を放つ。

そして切り離す。

間断なく、拳銃のグリップと一緒に糸の端をつかんだ。

今、彼は二本の糸の端をそれぞれ握っている。すなわち、ビルとビルの間でパチンコの玉ようになっているのだ。いままで横方向に向けられていた力は行き場を失い上方向への力へと変わる。もちろんそのために彼の細腕にいかほどの負荷がかかっているかは想像しがたいが、尋常では無いことは確かだろう。

しかし彼は顔を少しもゆがませることなく屋上の高さ近くまで到達する。


「よいしょっと」


場違いな掛け声。ともに手を放す。真上への運動はやがて力の向きを変える。糸のつながっている地点を中心とした円運動に代わる。そしてそのままくるり、おおきな満月を描いて、彼は目的地の屋上に着地した。


「さてと、貯水槽、貯水槽っと……」


彼はいともたやすくやってのけるが、ここは15階建てのビルの高さで、落ちてしまえばもちろん容易く死に至るだろう。ビルの下では大きな喧騒が生まれていた。称賛の声、不安の声、それらを無視して少年は彼のお目当ての建物を探す。彼がいるビルはこのあたりではひときわ大きいもので、貯水槽を発見するまでにそう長い時間はかからなかった。その建物はとても小さかった。このご時世、しかも都市部であるこの街で3階建てなんてあったんだ。彼は少しびっくりしていた。


「あ、あった。急がないと!! 遅刻だ!」


彼は拳銃を腰に提げると、屋上から屋上へと軽々と飛び移る―


「いそげっ!」


それは15階の高さから、3階建ての建物の屋上への跳躍だった。

危なげない着地。室内に通じているであろう目の前のドアに手をかける―

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