その3
「ほんとにまったくもう。マルちゃんは乙女心ってものがほんとにわかってないんだから。マルちゃんのせいで私のガラスのハートは傷だらけだよ」
新しい予備のセーラー服に着替えたJ子ちゃん。
遅刻しないために通学路を一生懸命に全力疾走する僕の横を一緒に走りながら、口をとがらせて文句を言ってくる。
いや、あの、J子さん、もしもし?
確かに、僕もうっかり迂闊な言葉を言っちゃいましたけど、いくらなんでもこれはないんじゃありませんか?
あなたの心は傷だらけかもしれませんが、僕の体は傷だらけどころの話じゃないんですが。
包帯ぐるぐる巻きの状態なんですが。
片方の耳、いまだに『き~ん』とかなってるんですが。
両方の鼻の穴につめたティッシュ、すでに真っ赤になっている状態なんですが。
「やだ、マルちゃん、ひどい怪我だわ!? いったいどうしたの?」
おまえがやったんじゃあああああああっ!!
タックルで押し倒して馬乗りになったところを顔面に鉄拳制裁って、おのれはどこのグレイシー柔術使いだあぁぁぁぁぁ!?
「ダメよ、マルちゃん、気をつけないと。マルちゃんひ弱なんだから。ほんと転んだだけで大けがするなんて、うっかりさんだなぁ」
ちげ~~って、おまえがやったんだって!!
なんでそんな何事もなかったかのような涼しい顔してるの!?
なんで僕が自分で転んで大けがしてることになってるの!?
おかしいよね?
明らかにおかしいよね?
やりすぎだって思わないの?
ねぇねぇ、ちょっとくらい罪悪感とか
「マルちゃん。あんまりしつこいと・・もぐわよ」
さ~~っせんっしたあああああああっ!!
全力で謝りますから、もぐのは勘弁してください!!
もがれたら女の子になっちゃいます!!
男として終わりです!!
丸太じゃなくて、丸子になっちゃいます!!
アニメの主人公と同じ名前になっちゃいます!!
男としてまだ終わりたくないっす!!
土下座っすか!?
土下座すればいいっすか!?
それとも靴舐めればいいっすかっ!?
「じゃあ・・せっかくだからぁ・・『ちゅう』してくれれば、許してあげちゃおうっかなぁ」
え?
「『えっ』て、だからぁ、『ちゅう』してくれれば、許してあげちゃおうっかなぁ」
え?
「いやだから、『えっ』じゃなくて。『ちゅう』してくれたら、って、マルちゃん、何その顔は? 『ないないない、ありえない、ありえないわ~、それ』みたいな顔は」
ないないない、ありえない、ありえないわ~、それ!!
って、顔に出てたぁぁぁぁぁっ!!
いやいやいや、違うっす。
違うっすよ、J子さん、いや、J子様。
ほら、僕ごときがJ子様のほっぺに『ちゅう』だなんて恐れおおいっしょ?
ね、ほら、僕平民だし。
J子様はお姫様だし。
「いや、うちのお父さんサラリーマンだけど」
な~に言ってんすか。
J子様の全身からは、暗黒枢機卿並みの高貴なダークマターがあふれ出てますって。
もう、そんなの僕ら一般庶民なんかとは比べ物にならないほどですから。
生まれながらに高貴なJ子様と僕とじゃ釣り合いってものがとれないっしょ、ね、ね。
「そんなことないよ、私とマルちゃんはお似合いだと思うなぁ。マルちゃんのお父さんもこのまえ帰って来た時にそういっていたし」
あのクソ親父、何勝手なことぬかしてくれとるんじゃぁぁぁぁっ!!
たまに帰って来たかと思えば、実の息子を絶体絶命の危機に陥れるようなことをぬかしおって!!
今度あったら手討ちにしてくれるわ!!
「何、ぶつぶつ言ってるのマルちゃんたら。ほっぺに『ちゅう』がいやなんだったら、じゃあ、あの、唇に『ちゅう』でいいよ。はい、どうぞ」
レベルがあがったあああああああっ!!
あがらなくてもいいレベルあがったあああああっ!!
誰か、レベルドレインしてください、通りすがりのリッチさん、お願いです、僕のレベルを容赦なく下げてください!!
心の中でそう絶叫し、必死に顔を背ける僕だけど、J子ちゃんは全く気にした様子もなく顔を近づけてくる。
ってか、お互い走っているのに、なんでそんなに姿勢が安定してるの!?
J子ちゃん、全然顔がぶれてないよ!?
心なしか、タコみたいな唇がこっちに伸びてきている気がするんだけど、これって気のせいじゃないよね!?
無理無理無理、絶対無理、むぅ~りぃ~、無理だってばぁぁぁ!!
いや、J子ちゃんのことは嫌いじゃないよ。
むしろ大好きだよ。
小さい頃から付き合いがあるし、僕の世話をしてくれるし、顔だってかわいいと思うしね。
でも、それは姉弟というか、兄妹というか、そういう間柄としての好きなのよ!!
って、面切って言えたらどんなにいいだろう。
え?
言えばいいじゃんて?
言ったら、最後殺されちゃうでしょうが!!
え?
じゃあ、もう付き合っちゃえばいいじゃんて?
恋人になればいいじゃんて?
いや、だから無理なの!!
そうできない理由があるの!!
その理由は、つまり。
って、あああっ!!
J子ちゃんが迫る!!
J子ちゃんの唇が迫る!!
やばい、僕!!
大ピンチ、ぼくぅぅぅっ!!
「マルちゃん、ん~~」
「盛本くん、おっはよぉっ!!」
絶体絶命のピンチに見舞われたそのとき、突如わき道から現れた巨大な影が、僕に迫るJ子ちゃんの体を突き飛ばす。
【どんっ】
「あっ」
呆気にとられる僕の目の前で、J子ちゃんの小さな体はいとも簡単に道路へと飛び出し、そして。
【キキキキィィィィィィッ!!】
【バンッ】
「あひいいいいいいいっ!!」
明らかに制限速度オーバーで飛ばす大型トラックが、道路に飛び出たJ子ちゃんの体に猛然とタックル。
まるでバトル漫画で必殺技をモロに食らってしまった悪役のように、おもしろいようにくるくる回りながら宙を舞ったJ子ちゃんの体は、【ドカッ】とか【ぐしゃっ】とかいう、聞いただけで痛くなりそうな効果音を発しながら地面の上に着地。
そのままえらい勢いでアスファルトの上を転がって行って、近くの幼稚園の外壁に激突してようやく停止。
あまりの大惨事にしばし呆然とする僕。
えっとお。
一応、助かったけど。
はねられたぁぁぁぁぁっ!!
J子ちゃん、跳ねられたぁぁぁぁっ!!
大型トラックに跳ねられたぁぁぁぁっ!!
「いえすっ、いえすいえすいえすっ!! ぐっじょぶ、私!!」
頭を抱えて事故現場を眺めている僕の後ろから物凄いかわいらしいアニメ声が聞こえてくる。
振りかえった僕がそこにみたのは、力一杯ガッツポーズをとる一人の怪人の姿。
身長二メートル近くある巨体に、顔をスーパーの紙袋ですっぽり覆って隠した見るからに不審人物。
ただし。
その怪人はセーラー服を着用していた。
それも僕の高校のセーラー服、J子ちゃんと全くおなじデザインのもの。
「仁絵ちゃん」
「おっはよう、盛本くん。今日は本当に、J子の葬式にふさわしい日本晴れだよね!!」
物凄い明るい声で僕に嬉しそうに声をかけてくる大柄な怪人。
彼女の名は『熊野 仁絵』。
僕のもう一人の幼馴染にして。
僕の恋人である。