唾液、鼻水、そして愛液と涙
姫奈は、どこか儚い女性だった。
時折ひどく寂しそうな目でこちらを見ては、「私を愛して」とすがるように言った。その度、私は彼女を抱きしめ、口づけをし、セックスをした。
私にとってはそれが最上の愛の証明であり、それ以上はなかった。
しかし、彼女は泣いた。ヴァギナも濡れていたし、声も出していたのに、ほろりと頬を伝う涙はとめどなく溢れ、行為が終わった後も、顔を覆って、静かに泣いていた。
私は彼女の隣に腰かけ、優しくその小さな肩を引き寄せた。
すると姫奈は私を突き放して「ごめんね」と繰り返した。
私はどうすればよいのか分からなかったし、どうすることもできなかった。聞いたところで、「いいの、気にしないで」と、鼻をすすりながら言うだけだった。
結局のところ、私が彼女の求める愛を知りえることなく、彼女は死んだ。
合法ドラッグの大量摂取によるオーバードーズが、死因だった。
明らかな自殺。
周りの人間は私を蔑むような、責めるような目で見た。
「カレが自殺まで追い込んだらしいわよ」
私に非はなかったが、私は、自分自身を責めなければならなかった。そうすることで、姫奈の死を、真正面から受け止めることができるのだと思った。
しかし、私は、自分を責めることができなかった。
心のどこかで、そんな気はしていたと、割り切ってしまった。
この女性はそう遠くない未来に死ぬのだと。
彼女にまとわりつく儚さは、儚さ故であり、頼りない、消え入りそうな命故である。
それが分かっていて、その上で責めることは出来なかった。
「あなたは悪くないのよ、私を殺したのは私だもの」
彼女ならそう言うだろう。
そして私は、ではなぜ死んだのか、原因は私にあるのではないかと訴える。
原因があるのならば、それは殺したことと同義であり、そうすれば、私が悪かったことにできる。
「いいえ、あなたはどこも悪くないのよ」
どうして、なぜ、では私は……私はどうすれば良いのか
考えても思いつかなかった。
私は臆病で、薄情で、姫奈の為にしたいことは何一つなかった。
彼女に求めていたものを考えてみた。
彼女の唇を、彼女の匂いを、髪の手触りを、手の温度を
そして、残酷なまでに、私は彼女の愛を欲していなかった。
与えて、相手には何も期待しない。これではまるで……
「まるで愛玩動物ね」
私にとってキミとはなんだったのか。本当に体だけの、一方的な関係だったのか。
分からなくなって、確かめようと思った。
私は姫奈の死体を見て、その亡骸に口付けをした。
服の下から手を潜らせ、冷たい乳房を触った。
腰に手を回し、舌をねじ込んでみた。
私のペニスは勃たなかった。
私は歓喜した。
今まで大切に思っていたものが人ではなく、性処理としての愛玩動物、もしくはラブドールのようなものだったとしたら、私は耐えられなかったろう。
私は少なからず、人として姫奈を好きで、交尾に及んでいたのだ。
安堵から胸を撫で、姫奈を見下ろした。
姫奈は少し微笑んで見えた。
私の唾液で、濡れた唇が艶やかに写った。
その時、私はその表情に恐怖を感じた。
それは何か引き込まれる表情であり、道徳的な、倫理的な何かを欠落したものだった。
私は、好奇心によってそれを凝視していた。
モダンアートのように、作者の意図を組んだ作品であるように思えた。
静かに閉じた目や、薄い唇、艶やかな髪に、柔らかい肌。それらに温度はなく、ただ冷たく、美しい死体だった。
それなのに、その皮膚の下で奇妙なものが脈打っている。
いつも「私を愛して」と、彼女は言っていた。私は出来ておらず、姫奈を泣かせているのだと思っていた。
しかし私のペニスが勃たなかったことからもわかるように、私は体も心も愛していた。
それなのに姫奈は自殺した。
では、泣いたのも、死んだのも、私への不満から来るものではなかったのではないか。何か目的があっての事だったのではないか。
そう思って彼女の顔を見てみる。
相変わらず彼女は微笑んでいた。
「一緒にいましょう」
そう呼びかけられた気がした。
その時、私は死体の下で波打っている意図を理解した。
彼女は死ぬことを望んだわけではなかった。それでも自殺を選ばざるを得ない理由がそこにあった。
今まで信じてきたものは、ほんのちっぽけな、子供騙しの言葉だったのだろう。
君が求めていた愛は、私が思っていたよりも、ずっとわかりやすいものだのですね、姫奈。
「一緒にいましょう」
それは行動としての愛だった。
性的なものでも、精神的なものですらなかった。
私は姫奈に手を引かれたように感じた。それにされるがまま、着いて行った。
私は、彼女の求める行動をせねばならなかった。
私はすぐに家に帰ると、棚から出した薬を机に広げた。
そして水も持たず、それらを次々に飲み込んだ。




