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「――でね。今日は3度寝しかけてたんだよね。危うくこの電車に遅れるところだった」
本庄さんがしっとりとした静かな声で囁く。
毎朝の電車の旅も目的地に近づくと、長閑な住宅街の風景から、背の高い建物が増えてきて、それに伴い乗客も増えてきている。
「それは危ないね……」
「夢を見ててさ。続きが見たくて。動画サイトみたいに『続きから再生ボタン』があればいいのになぁ……」
「どんな夢だったの?」
「や、それはね――」
そこで、ゴトン、と電車が減速し、いつものように高校の最寄り駅に滑り込む。俺と本庄さんがほぼ同時に立ち上がると、目の前で吊革に掴まっていた人が入れ替わるように椅子に座った。
人の隙間を縫って扉の前まで向かい、電車を降りる。なんとなく、この時間は話しづらい。どんな夢だったのか、なんて雑談の極みなので敢えて続きを急ぐ必要もないのでなおさらだ。
改札を出たところで本庄さんに向かって手を振っているのは、同じクラスの女子。
「あ、今日は先に待たれてたか……じゃあね、高崎くん。夢の話は……また、明日。それまで覚えてたらだけど」
本庄さんは何ならまだ夢の中にいるんじゃないかと思うくらいにとろんとした目でそう言って手を振ってくる。
「あ、うん。また」
改札の手前で二手に分かれ、同時に改札を通過する。隣で改札を通り抜けた彼女は、電車での素の顔から、いつもの完璧なSSS級美少女の顔へと瞬時に切り替わった。
俺は、彼女たちの後ろを数メートル離れてこそこそと歩く。
学校での本庄さんは、やっぱり『本庄さん』だ。明るくて、優しくて、誰にでも平等で、住む世界が違う人。
わかってる。あれは電車の中だけの特別な時間。学校は聖域じゃない。
◆
3限目は、視聴覚室での英語の授業。席は自由席だ。
一番後ろの、一番端の席。ここが俺の指定席。
誰にも迷惑をかけず、誰からも干渉されず、静かに過ごせる席。普段は余った人が隣に座るのだが、俺の隣にはまだ人がいない。多分、一人遅れてきているんだろう。
チャイムが鳴る直前、教室のドアがガラッと開いた。
「はぁ、はぁ……すみません、遅れました」
本庄さんだった。どうやら、先生に呼ばれるか何かしていたらしい。
「ああ、本庄か。早く席につけー」
本庄さんは「はい」と頷き、教室を見渡した。もう、ほとんどの席は埋まっている。
唯一、ぽつんと空いているのは俺の隣の席。
本庄さんは、俺の隣の席を一瞬見て、それから俺の顔を一瞬見た。そして俺の方に向かいながら笑いをこらえるように頬をプルプルと震わせた。
本庄さんは自然な流れで俺の隣の空席に座った。
学校での接点はないのが暗黙の了解。俺が緊張でガチガチになっていると、隣の彼女は、まったく気負うでもなく、普通に教科書とノートを開いている。
「じゃ、今日はリスニングの練習だー。洋楽の歌詞を聞き取って一部を書き起こしてもらうぞー。一人だときついだろうから隣の席の人とペアでやってもらうからなー」
面倒な内容――隣の人とペア!? 本庄さんと!?
チラッと横を見ると、本庄さんは俺の方を見てにやりと笑っている。
「高崎氏、そういうことらしい」
「そういうことだね……」
「ん。よろしく」
本庄さんはウィンクをして前を向いた。これはいいところを見せるチャンスだ。
虫食いにされた歌詞の印刷された紙が配られると、早速それなりの音量でイントロが流れ始めた。聞き覚えのあるイントロに首をかしげる。
「これ……何だっけ? オアシス?」
「ん。『Don’t Look Back In Anger』。ふふっ……絶対に先生が趣味で流したいだけでしょ……」
「だよねぇ……」
「や、けどさ……これ、履修済みなんだよね」
本庄さんはそう言うと、流れる曲に合わせて小さな声で口ずさみながらサラサラと歌詞を埋めていく。
曲が一巡すると教室中から「むず……」という声が聞こえてきた。さすがに俺も初見の洋楽を一発ですべて聞き取るのは無理だ。
先生もそれを見越していたらしく「できたやついるかー? いないよなー? じゃ、2週目行くぞー」と言って早速曲の冒頭から流し始める。
「あーあ。多分、このクラスはオアシスが嫌いになっちゃうよ。残念」
本庄さんはそう言いながら俺に完璧に埋まった歌詞カードを見せてきた。
「本庄さん、もう終わってるじゃん……」
「ふふっ。そうだよ。これ、写しちゃっていいから。一曲5分弱。多分、後3周くらいはしそうだから15分は時間があるね。暇だし朝の続き、する?」
机に頬杖をついて俺の方を見る本庄さんの目が細くなり、朝のようなアンニュイな雰囲気を帯びる。
「朝の続き……夢の話?」
「ん。そうそう。私さ、夢の中でも高崎くんと電車に乗ってたんだ。で、私の膝の上には小さいころに飼ってたウサギが載っていて、その頭にはルービックキューブが乗ってた」
「カオスだね!?」
「あれみたいだよね。昔の世界の構造のイメージ図」
「あぁ……亀がいて、象がいて、地球があって、みたいなやつね」
「そうそう。私が亀でさ。でね、まったく同じことを夢の中の高崎くんが言ってたんだ。『インド神話の世界観と思わせて後の世で創作されたやつ~!』って突っ込んでた」
「夢の中の俺、そんなうんちく野郎だったの!?」
「今日『は』そうだったよ」
「へぇ……そうなんだ……」
俺の反応が期待より薄かったのか、本庄さんは少しだけ唇を尖らせながら「うんちく野郎」と言って腕をつついてきた。
「別にうんちく野郎になりたいわけじゃないけどさ」
「じゃ、うんち食う野郎になりたい?」
「なわけないよね!?」
「ふふっ。で、何?」
「いや、あれってオアシスの人だっけ? 福岡にはファックの文字が入ってるから好きだって画像の人」
「ふふっ。そうだね」
「あれもコラだったりするのかな? インドの嘘世界観みたいに」
「や、どうかな。動画見たことあるし本当かも」
「マジか……絶対に象と亀の世界観の方がありそうなのに……」
「だよね。ファッキン……野郎」
「……え?」
戸惑う俺に対し、本庄さんは頬杖をついたまま目を細めてニヤリと笑う。
そして、口の悪いロックスターが乗り移ったかのように、本庄さんは、また俺にアンニュイな視線を向けながら「ファッキン鈍感野郎」と言い放った。
ニヤけ顔のSSS級美少女に罵倒される。何か、新しい扉が開いた気がした。
◆
放課後、開きかけた新しい扉を閉じながら、一人で夕日が差し込む駅のホームに立って電車待ちの列の最後尾に並んでいた。
そこで、急に背中をつつかれる。
「わっ!」
「ふはっ……ごめんね。驚かせちゃった」
その声に慌てて振り返ると、本庄さんが一人で立っていた。
「本庄さん!?」
「そんなに驚かなくてもいいじゃん。方向は同じなんだし」
「まぁ……確かに。帰るの? ……ってそりゃそっか」
「ふふっ。そうだよ。帰るんだ」
「座れるかなぁ……」
俺は前に並んでいる列を見ながら呟く。
「ま、ちょっといけば人の出入りもあるから。それに……たまには立って並んでみるのもいいし」
本庄さんは少しだけ照れくさそうにそう言った。本庄さんが俺と並んで立つことに何を照れることがあるんだろうか。多分、照れているということ自体が俺の思い過ごしなんだろう。
「絶対座った方が楽だよ……」
「むー……そういうことじゃないんだよにゃぁ」
「……そうなの? あ!」
俺はふと英語の授業での会話を思い出し、その違和感に今更気づいてしまった。
「どうしたの?」
「本庄さん。今日の英語の授業の時さ、俺が夢に出てくるっていうので『今日は』って言ってなかった……? そんなに出演してるの……? なんか……変なことしてる?」
俺がびくびくしながら尋ねると、本庄さんはポカンとした後にぶふっと噴き出した。
「ふはっ……全然。変なことはしてるけどしてないよ」
「どっち!?」
「ま、今更気づいたのはあれだけどさ……けど、『Don’t Look Back In Anger』だからね。や、こんな些細なことに言うことじゃないんだろうけど……」
「えぇ……本庄さん怒ってたの?」
「や、怒ってない怒ってない」
「人は二回言うときって嘘を吐いてるって言うよ」
「私、本庄だよ、本庄だよ」
「実は別人なの!?」
本庄さんはまた目を細めて柔和な笑みを浮かべる。それだけで、今のやり取りも英語の授業中のやり取りもきつめのジョークなんだと気づいた。
そして、それだけのジョークを安心してぶつけられる人、というのも悪くない、なんて思ってしまった。




