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今日も始発駅で本庄さんは俺より少し遅れて電車に乗り込んできた。
そして、当たり前のように俺の隣に座る……かと思ったのだが、今日は気分が違ったらしく、俺の真正面のロングシートに座った。
自然と本庄さんと目が合う。少なからずほかの乗客もいるため、間の通路を挟んで会話をするのも違う気がして、一席分右隣に視線を移してそのまま窓を見つめる。
すると、本庄さんは俺の視線の先に割り込むように一つ右隣にズレた。
その意図が分からず唖然としていると、本庄さんは二ッと笑って立ち上がり、上映中の映画館で中座する人のように中腰でスススと俺の右隣に移動してきた。
「おはよ、高崎くん」
「お……おはよう……」
「なんか落ち着かなくてさ。正面。やっぱここが落ち着くんだ」
「そ……そうなんだ……」
「ん。そーなんだそーなんだ」
相変わらず言葉の意図が読めないミステリアスな雰囲気と気怠そうな目をしたまま、本庄さんは膝の上に置いたリュックを抱きしめた。
そして、窓の外を眺めながら両手が、カタカタと小刻みに動いている。
人差し指が「タッ」、中指が「タン」、親指が「ドン」。まるで、見えないドラムでも叩いているみたいだ。リズミカルで、規則的で、でも、すごく複雑な動き。
(なんだろ、あれ……)
彼女は、完全に自分の世界に入っている。「素」の状態だ。学校では絶対に見せない、真剣な横顔。その集中を、邪魔しちゃいけない気がした。
でも、どうしても気になってしまった。
「あ、あの……本庄さん」
「ん?」
はっとしたように、彼女の指が止まる。現実に戻ってきた、という顔だ。
「それ……なに、してるの?」
「これ?」
本庄さんは、自分の手を不思議そうに眺めた。
「うん。なんか、指で……ドラム、みたいな……」
「あ……作曲」
「え?」
「作曲、だよ。脳内で鳴ってる音を、指で確認してるの」
「指で、どうやって?」
「えっとね」と言って本庄さんは、俺に見せるようにゆっくりと指を動かした。
「左手の親指が、バスドラム。『ドン、ドン』ってやつ」
「うんうん」
「人差し指が、スネア。『タン』ってやつね」
「おお……」
「で、右手の人差し指と中指が、ハイハット。『チキチキ』。他の指は適当に、シンバルとかそういう感じ」
「……なんか、すごい。カッコいいね」
「ふふっ。そうかな? 変じゃない?」
本庄さんは、少しだけ、照れたように笑った。
「高崎くんも、やってみる?」
「え、いや、俺は……そんな器用じゃないし」
「ほら、簡単だよ」
本庄さんは微笑みながら俺の手を取って、「ここがズンズン」や「ここ、チキチキ」と言いながら動かしてくれる。さながらマリオネットのように操られながらエイトビートを刻む。
「じゃ、一人でやってみて。テンポは……そうだね。心臓のリズムに合わせる感じで」
「なるほど……」
ちょっと盛って大げさにかなり速くドコドコドコドコと指を動かしてみる。すると本庄さんは「ふはっ」と口元を手で覆って笑った。
「早すぎだよ。走ってきたの?」
「ゆっくり歩いてきたよ」
「ふふっ。そっか。じゃ、他の理由があるの?」
「それは……秘密」
「そっか」
さすがに本庄さんと隣同士で座っているからなんて言えるわけがない。
本庄さんは「あたしゃこれくらいだよ」と言いながら複雑なビートを俺よりもさらに速いテンポで刻んでいる。
「喋り方がまるちゃんになってるし指が早すぎるね!?」
「『指使いが凄まじい神テクのガチ素人女子高生』って感じだね」
本庄さんはニヤリと笑ってそう言った。
「何のタイトル!?」
「さてさて。何かな?」
「あ……朝からかっ飛ばしてるねぇ……」
「最近ね、朝早めに目が覚めちゃうんだ」
「そうなの?」
「ん。理由は秘密」
本庄さんは人差し指を口元にあててウィンクをした。指ドラムみたいな奇行をしようと、下ネタを言おうと、ウィンクをしようと、何をしても様になるのだからこの人はずるいと思わされる。
そんな風に雑談をしていると電車が動き始めた。
今日も乗客はまばら。俺たちの座るロングシートのこの一角以外、この車両には、数人しか残っていない。俺たちの向かい側も、その隣のスペースも全部空席だ。
俺は緊張して本庄さんを盗み見た。
相変わらず窓の外をぼーっと眺めている。指ドラムをしているけれど、表情は動く気配がまったくない。
「高崎くん」
「ん?」
「席、スカスカだね」
本庄さんは、そう言いながらゆっくりと車内を見渡した。
「うん。たくさん空いてるね」
「今のって京都風に言うと『ぶぶ漬けでもどうどす?』的なこと?」
「あ……ふふっ、どこかに行ってくれなんて思ってないよ。私からここに来たのに追い出すって無茶苦茶だし。単に……その、事実の共有」
「なるほどね……」
「ん。席が空いてるってことは、席が空いてるってことなんだよ。それ以上でも、それ以下でもない」
「ま……そうだね」
「だから、私が高崎くんの隣に座ってるのも、隣に座ってるっていう事実だけだし、向かいに座ったら違和感がすごかったっていうのもまた事実。ずっと一人で座ってるのが普通だったのに、たった数日でそれが当り前じゃなくなっちゃったっていうのも、事実」
本庄さんは静かにだが、饒舌に語った。
「それは……」
「理由は、秘密」
そこで一度会話が途切れる。高校の最寄り駅に近づくにつれて乗車率は高まり、吊革につかまる人も増えて、車窓の景色が見慣れたものになってきた。
「……あと一駅だね」
俺が、ポツリと呟いた。
「ん。一駅だ」
電車がゆっくりと減速し、ホームに滑り込む。
プシュー、と、ドアが開いた。電車を降りると他人同士。本庄さんは駅で待ち合わせをしている女子集団と合流し、俺は一人で学校に向かう。
本庄さんが立ち上がる。俺も立ち上がる。
「あ、あのさ」
本庄さんが電車を降りた直後、くるりと俺の方を振り返った。
「私、最近、朝が楽しみなんだ」
「え……」
「……っていう事実だけ、お伝えしておく」
彼女はそう言うと、俺が何も言い返せないうちに続けた。
「その理由は秘密。だけど、楽しみっていうのが朝早く目が覚めちゃう理由で、かつ、指ドラムのテンポが早くなっちゃう理由……かもしれない」
本庄さんは、学校では絶対に見せない、少しだけイタズラっぽい笑顔を一瞬だけ見せて、階段を駆け上っていく。
少し前を歩く、彼女のショートボブの背中に、聞こえないように呟いた。
「俺も、楽しみ……」
階段を登りながら揺れている膝上の丈のスカートが「私も」と返してくれたように思ったのは、楽しみな理由が同じだと思ったのは、自分に都合のいい思い込みなのかもしれない。




