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テストが終わり解放感に沸く教室は打ち上げの話題で持ちきりだった。
「紗雪ー! この後、カラオケ行こ! テストお疲れ様会!」
本庄さんの友人達が、本庄さんを囲んでいる。そりゃそうだ。本庄さんがいなきゃ、始まらない。
俺はいつもよりゆっくりと帰る準備をしながらその光景を横目で見る。
「あ、ごめん、みんな……!」
本庄さんが手を合わせて少し眉を下げ、完璧な謝罪モードの表情を作った。
「今日、行けないんだ……実は、お父さんの誕生日で。家族でお祝いしなきゃでさ……」
「えー!マジか!」「あー、でも、お父さんの誕生日なら、仕方ないね!」「紗雪、親孝行えらい!」
「ま、そんな訳で皆で行っておいでよ」
(本庄さん、お父さんの誕生日なのか……)
完璧な美少女な上にテストの打ち上げよりも親の誕生日を優先するなんて、どこまで完璧なんだ。
多分、同じ電車に乗るんだろうけど声を掛けるのもなんだか違う気がして、俺は一足先に教室を後にした。
◆
夕方の帰り道の電車は人もそれなりに乗っている。
虫食いのようにチラホラと席は空いているものの、なんとなく座る気になれず、ドアの近くに立って窓の外を眺めていた。
ふと、視線を感じる。
すぐ真横に見慣れたショートボブの女子がいた。
「うわっ!?」
「や、それ怪物を見たときの反応だから」
「本庄さん、怪物だって自認していないの?」
「人はだれしもが心に怪物を……って話じゃなくてさ。一人で先に行かなくてもいいじゃん」
本庄さんはすねたように唇を尖らせる。
「置いてったわけじゃないけど……お父さんの誕生日会があるんでしょ?」
「や、聞いてたんだ?」
「きっ、聞こえただけだよ!?」
「ま、それ嘘なんだけどね」
本庄さんは罪悪感と飄々とした雰囲気の混ざりあった顔で呟いた。
「……え? う、嘘って……え?」
「ん。お父さんの誕生日は今日じゃないんだ。断るのにちょうどいい理由がなくてさ」
「え、ええ……」
「『彼氏とデートだから』なんて言ったら、すぐに嘘だってバレるし、面倒なことになるし」
「そ、そうなんだ……でも、なんでそんな嘘までついて……」
「理由は2つあるよ」
「2つ……」
「1つは、カラオケとか、そういううるさいのって疲れるから……誰と行くからとかじゃなくて、誰と言っても。覚えておいてね。もし私と遊びに行く日があったらさ。カラオケだけはダメ。あんなの娯楽じゃないよ。遊興施設でもない。ただの拷問。心をズタズタに引き裂く拷問施設だよ」
「……音痴なの?」
本庄さんは熱意を持って語った割にクールに腕を組んで首を横に振った。
「や。単に自分の歌声が嫌いなだけ。それに……人に聞かれるのも」
「へえ……2つ目の理由は?」
「……この電車に、乗りたかったから」
「え?」
(電車に、乗りたかった……?)
俺の頭上に、巨大なクエスチョンマークが浮かぶ。言われてみれば、今日乗っているのは珍しい車両な気もした。シートの色も車体も普段あまり見ないものだ。
電車が目当てということは……
「もしかして……本庄さんって……鉄道オタク?」
俺が恐る恐る尋ねると、本庄さんは、俺の顔を見て、きょとんとした。そして、次の瞬間。
「ふふっ……あははっ! そういう解釈もできるね。さすが高崎くん」
耐えきれない、というように吹き出した。ケラケラと笑う本庄さんを正面からは初めて見たかもしれない。
周囲に配慮しつつも澄んだ笑い声に、くしゃっとシワの寄った笑みが何とも可愛らしい。
(可愛い……)
心を読まれないから、好きなだけ心のなかでそう言う。それくらい、本庄さんの笑顔には破壊力がある。
「乗り鉄じゃないのに……じゃあ、なんで……」
「……ん。それは秘密」
嘘をついてまでこの電車に乗る理由。俺……なわけないか。毎朝話せるんだし。
◆
電車は、ガタンゴトンと、いつものリズムを刻む。夕方のラッシュにはまだ早い、中途半端な時間。俺たちは二人で並んで立っている。
電車が、長いトンネルに入った。車窓の景色が消え世界が暗転する。代わりに窓ガラスは黒い鏡になった。
そこにはぼんやりとした、俺の間抜けな顔が映っていた。そして、その隣に本庄さんのアンニュイな素の横顔が映っている。
俺はそのありえない「ツーショット」から、目が離せなくなった。本庄さんも気づいたようだ。じっと窓に映る俺たちの姿を見つめている。
「……ね」
彼女が、静かに言った。
「窓に映ってる顔、なんか……二人とも、似てきたかもね」
に、似てきた!? 俺と、本庄さんが!?
「に、似てないよ!? ぜんぜん! 本庄さんと俺だよ!?」
「えー、にてるよ。目尻の感じとか。口元とか」
二人で並んで顔を見比べてみる。美少女とモブキャラ。どう考えても似ても似つかないはず。だけど、本庄さんにそう言われるとパーツ単位では何か雰囲気が似ているような……
「単にテスト勉強で疲れてるだけかも」
「ふふっ。そうかもね……なんかさ、夫婦って顔が似てる人が長続きするって言うよね」
「ぶっ!?」
「……ね、高崎くん。ちょっと、笑ってみなよ」
「い、今? この窓ガラスに向かって?」
「ん。ほら」
本庄さんが、窓の中の俺を、じっと見つめている。
(な、なんだ、この、羞恥プレイ……!)
俺は意を決して、窓ガラスに映る自分に向かって、唇の端をひくひくと引き上げた。
(……我ながら、変な顔だ)
すると、窓の中の本庄さんの唇が、ふっとほんの少しだけ綻んだ。彼女も笑っている。
「ほら。笑うともっと似てるよ」
「本庄さん、寝不足なんじゃない?」
「ふふっ。それは否めない」
そう言って笑った瞬間、電車がトンネルを抜けた。眩しい夕日が俺達を容赦なく照りつける。二人で同時に手で目を覆う。
そして、そのシンクロ具合に二人で目を見合わせてニヤリと笑った。
◆
もうすぐいつもの駅に着く。たまに発生する帰りの電車イベントももう終わりだ。
「……ね、高崎くん」
本庄さんが、指ドラムを始めるみたいに、ドアの淵を、とんとんと叩きながら言った。
「ん?」
「学校で言う『また明日』って、ただの挨拶だよね。……『学校モード』の、お約束」
「……うん。そうだね」
「でも、ここって……」
彼女は、俺たちの空間を指差した。
「『また明日』って言わなくても、朝、この電車に乗れば、高崎くんがいる。言わなくても会えるって、分かってるのってさ……」
彼女は少しだけ照れくさそうに笑った。
「……なんか言葉にするより、もっと本当の『約束』みたいだね。朝起きてリビングに行ったら家族がいる、みたいなさ」
「―――っ」
約束。俺は、息を呑んだ。その言葉の重みに、心臓が、ぎゅっと掴まれた。
プシュー……
いつの間にか終点に停止していた電車が無情にもドアを開いた。
「じゃ」
本庄さんが先に電車を降りる。
「あ……」
俺も慌てて後に続いた。「また明日」って、言わなきゃ。
「……じゃあね、高崎くん」
彼女が、階段の前で、くるりと、振り返った。夕焼けが、彼女の「素」の笑顔を、照らしている。
「……うん」
俺はやっとのことで声を絞り出した。
「また明日……は言わなくて良いのか」
「ん。そうだよ。何も言わなくても、明日もここに来る。そうでしょ?」
「そうだけど……なんかすごい死亡フラグみたいだよ、それ……」
「ふふっ、確かに」
二人してホームに立ち尽くして動けなくなる。「また明日」に限らず別れの言葉は便利だ。それを使わないとなると、無言で別れるしかなくなるからだ。
「本庄さん。『また明日』って言っても良い?」
「ふふっ。言うことなくなっちゃった?」
「別れる前になにか言わないと気持ち悪くない?」
「なら、別にこのまま別れなくても――」
本庄さんがもじもじしながら何かを言いかけたところで隣のホームに別の電車が入ってきた。ゴトンゴトンという大きな音に本庄さんの声がかき消される。
「え? 何?」
俺が聞き返すと本庄さんは拗ねたように頬を膨らませた。
「何でもないよ」
「何かありそうだったけど……」
「や、けどさ。なんかお別れの挨拶じゃないよねってことなら……逆にここ起点って考え方もあるんじゃない?」
「どういうこと?」
「ん。つまり……お互いに行ってらっしゃいって言うってこと」
「メイド喫茶と同じシステムだね!?」
「ふはっ……そうそう。だから、朝は『おかえり』だよ」
明日の朝のルールが決まった。
お互いに「行ってらっしゃい」と言ってその場を離れようとする。
だが、ふと思い出した。今日は金曜日だ。
反対方向に向かう本庄さんを呼び止める。
「本庄さん!」
俺の声に反応して振り向いた本庄さんは見たこがないくらいに期待に胸を膨らませてニッコリと笑っている。
「何? 高崎くん」
「明日……土曜日だよ? 学校、ない」
「あ……ふふっ。そうだったね。けど、学校がなくても電車には乗れるよ? 明日、ここに11時くらいに集合でどうかな?」
「え……ど、どこか行くの?」
「ん。気の向くままに、適当な駅でふらっと降りてみようよ。幸いにも定期のお陰で料金はかからないわけだし」
「いいね、じゃ。また明日――あっ」
つい言ってしまった。本庄さんは笑いながら俺を指してまた背中を向けて歩き出す。
土曜日に電車に乗って遠くへ……デートじゃん!?




