1話 壊された平和
授業が始まる前の和気あいあいとした雰囲気のなかで、何か大きな魔力に包まれるような、皮膚がピリピリとする感覚。
不穏な気配にどんよりと曇っている外を仰ぎみた次の瞬間、大量の魔物が街中に召喚された。叫び声を聞いて、教室内にも魔物が召喚されたことに気づく。
「っ……!」
狼の魔物。咄嗟に剣を転移で引き寄せ、襲いかかられそうになっていた男子生徒との間に割り込んで首をはねる。さらに悲鳴が上がるが、今は気にしている余裕はない。鎌鼬を使わなかっただけまだきちんとした判断ができていると言えた。
ここだけではない。街中では恐ろしい速さで魔物が召喚され続け、校内にも魔物がどんどん増えている。ぞく、と悪寒がして思わず体をふるわせた。
「なんで……」
考えるのはあと。振り向いて、尻もちをついてしまった彼に手を差し伸べる。
「怪我は?」
「ない……」
「よかった。ユリ!」
声をかけてから、固まってしまってるのを見て一旦落ち着く。こんな状況誰がパニックを起こしてもおかしくない。唐突に現れては動けなくなるのも無理はなかった。
「ユリ、大丈夫だよ」
「……あ、うん!」
優しく声をかけると、我に返ったのかすぐ近寄ってきてくれた。
「今すぐ職員室に行って……いや、転移させるから、そこで先生に外の運動場に全生徒避難させるように言ってくれ。ユリの言葉なら聞くだろ」
剣士族の名は伊達ではない。サガルトの名で指示を出せば教師といえど難癖をつける者はいないはずだ。
「わかった」
「俺は運動場に行って魔物を倒しておく」
「私も行くよ!」
アズサの言葉に、キリトもうなずく。二人も混乱してておかしくないのに、頼もしい。
「そうしたらキリトはユリと行って守ってやってくれ。アズサはクラスのみんなを頼む」
これ以上話している時間が惜しい。ユリとキリトを職員室に転移させ、自分も運動場へと転移。そこにいた魔物を鎌鼬で切り裂いて、ようやく一息ついた。
恐らく避難場所の指示が出る。王城や軍か、街の外か。いずれにせよ、転移陣を使って避難することになるはずだ。教師が転移陣を組むのか救助を待つのかは知らないが、それまでの間ここを守り続けるのは得策ではない。
『父さん!』
『すまん、今手が回らない』
予想通りの回答に、最低限必要な質問だけを投げかける。
『生徒全員避難させるならどこに』
今ラルクがどこまで考えをまとめていて、軍やギルドがどう動くかアクトにはわからない。
しかし、このいつ終わるかも分からない魔物の大群に対してアクトの魔力はまちがいなく力になる。
『……わかった、学校の避難は任せる。そっちの避難準備が終わる頃にはお前のことも含めて指示出せるようにするから』
想像以上に了承が早く、一つの解放は大前提として全部解放することも視野に入れていたのだろうなと気づいた。
ラルクとの会話が終わったすぐ後に、校内にいる全員に届く念話で運動場に避難するように呼びかけられる。イルガの声。ユリがうまくやったらしい。
『なぜこの学校に通っているのかよく考えて行動しろよ』
その言葉に、うつむきがちになっていた顔を上げる。
「なぜ、この学校に……」
初めは逃げだった。今手元にあるもの全部を投げ出して、自分を真っ白にしようとしていた。結局そんなことはできなかったけれど。
少しづつではあるが運動場に人が集まろうとしている。校舎に近い位置で結界をはっておけば、指示を出さなくてもその中に入るだろう。
「あとは……」
自分の魔力から逃げない、それだけ。
今の魔力でも全員の転移をすることはできるだろうが、魔法は余裕がなければ安定しない。大人数の転移ともなればなおさらで。
これまで自分のことを隠してきたのに、逃げられないとわかると思っていたよりも心は平静を保てている。
制服をまとったまま、双風としての魔力を封じる魔法陣を破壊した。
******
街中に魔物が召喚され、夢幻荘ではラルクの執務室に指示を受けるために多くの人が集まっていた。各所に状況確認に向かわせた者から集まる情報。そのあまりの惨状に奥歯を噛み締める。
「魔法が使えない者はひとまとめにして陣で転移避難を。まずは住宅区域から」
『父さん!』
アクトからの念話。魔法を使える人が多い学校の避難は後回しだ。気にかけている余裕はない。
『すまん、今手が回らない』
学校にいる人々をアクトが避難させるという提案に、どのように返答すればいいか迷う。
そもそも何時間かかるのかわからないこの状況。アクトには解放して暴れてもらって、人を巻き込まないよう一つの区間を丸々任せるつもりでいる。
アクトも今の街の惨状は理解していて、ラルクの考えもある程度は分かっているだろう。
それに、提案に乗らずに避難を待たせた場合アクトは恐らく守るために動かない。アクトが一箇所に拘束されてしまうのははっきり言って悪手だ。アクトにはもう双風として動いてもらうしかない。
アクトに了承の返事をして、止まっていた手を動かす。
『ユウト、南地区はアクトにやらせる。暴れてもらうから避難を急ピッチで進めてくれ。軍の方で南地区に割り振られてる人も移動させろ。少なくとも公園周辺は十五分後には無人になっててほしい』
話が早いのはハルマだが、彼は今ごろラルク以上に首が回っていないだろう。学校にいる人々の避難をアクトに任せる判断をした以上、ラルクが想定していたよりも早くアクトが動ける場所を作らないといけない。
ユウトもアクトのことを憎んでいるとはいえ、頭がいいからこの状況であればアクトの解放をよしと判断してくれるはずだ。
返事が返ってくるまでに長い間があり、息子にきつい選択を迫っていることをいやでも自覚する。
『……わかった』
返答はそれだけだったが、彼からの了承と協力を得られたことで格段に事が進む。
『ありがとう』
「マスター! 軍から伝達です!」
走り書きの紙を受け取り、ざっと目を通す。内容はこの短時間では優秀と褒めてしかるべきもの。
「隣街のミューエスが避難体制を整えてくれている。今臨時避難先になっている場所にすぐに転移陣を敷くように指示を出せ。王城と軍本部に転移を封じる結界を張るようだから、徒歩でそこへ避難できる者はそっちにも。魔物だけでなく我々の転移も防がれるから気をつけろ。後でここにも同様の結界を張るからな」
区画ごとに戦闘指揮を任せた者たちが、次々と既に現地にいる人へと指示を伝えてくれる。
「魔物が次々と転移してくる以上は一日以上の長期戦も覚悟しろ。こまめに休息をとって戦力の息切れをしないように。ええと、あとは……」
「ラルク」
慌ただしく部屋に入ってきたリランに、ふっと頭が冷やされる。これだけの規模だとあまり細かく指示を出しても意味がない。単刀直入に、ただ自分の出来ることを成してもらえればそれでいい。
「とにかく死ぬなよ。解散!」
そう言って会議を終わらせて、リランの方へ顔を向ける。
「リラン、どうした?」
「いや、なにか指示があれば聞こうと思ったんだけど、了解。あまり考え込んじゃだめだよ」
ぽんと肩を叩いて部屋を出ていったリランに、思わず苦笑いする。ちょうど煮詰まっていたところを救われたとは口が裂けても言えない。
とりあえずこれで魔物の迎撃は滞りなく進んでいくだろう。深く息を吐いて自分も対処に向かうために魔力を循環させ、引き出しからダガーを取り出した。




