2話 特異なもの
日が傾いてきたころに問題の川にたどり着き、その様子にそろって絶句してしまった。
「これ、レイフロッグの……でも」
イルガの言葉にうなずいて、上流へ目を向けた。
青緑に濁った川の周囲の植物は枯れ、結界で遮断しないとこの場に留まれないほどの異臭がする。毒素が魔力によるものなのは明らかだが、その魔物はこれほど大規模に川を汚染できるほどの力は持ち合わせていないはずだ。
「……ちょっと探りますか」
目を閉じて川を伝って魔力の網を上流へと広げていく。片手に乗るくらいの小さなカエル型の魔物。普段から数十匹で群れを成す魔物ではあるが、水源である湖には少なくともその百倍はいるように思えた。
本来学生でも群れを相手にできる、毒もたいしたことのない魔物ではあるが、塵も積もれば山となるとはよく言ったもの。
「どうなってる?」
湖の様子を伝えると、普段笑顔の多いイルガもさすがに顔をひきつらせた。
「魔物は俺がどうにかできるので湖の浄化はお願いします」
「えっ、でもそれだけの数……」
アクトとして接して心配してくれるイルガに、いたずらっぽく笑う。
「たとえば俺の力が百だとして。千の力を持つ敵には勝てないでしょうけど、一の力が十や百、千集まったところで変わりませんから」
その言葉は双風としての自負がはっきりと現れていて、イルガには信じてうなずくことしかできなかった。
「とはいえちょっと遅いですし……今日はこの辺りで休んで明日にしましょう。魔物なら上流近くで拠点を置くのは危険ですし」
テントには防護魔法が展開される機能がついているが、万全ではない。交代で見張ることになるだろうが何も無いに越したことはないのだ。
テントをはれそうな場所を見つけて、二人で手際よく組み立てる。最後にアクトがテントの床に描かれた魔法陣に手を置き、魔力を流し込んだ。テントの周囲に結界が敷かれ、アクトとイルガ以外通れないように調整する。
「これを破るような攻撃を受けない限りは持ちますので、安心してください」
「多分そんなことないんだろうな……」
「俺が一人で野宿して朝まで一度も起こされなかったので大丈夫だと思います」
頼もしい言葉に思わず笑ってしまうと、アクトも微笑んだ。
「先生、調理をお願いしても……?」
「ん、いいけどアクトは?」
魔法陣から食料を取り出しながら、アクトは外へ目を向けた。
「他の任務を片付けてきます」
「今から!? もう日が落ちるぞ」
立ち上がって、大丈夫ですと頷く。
「一時間くらいで戻ってくるので。何かあれば念話してください」
「それはこっちのセリフだ……」
そうつぶやくと、アクトは笑顔を見せた。
「じゃあ行ってきます」
「剣いらないのか?」
「はい」
護衛任務と同時だからか、アクトと相性がいい魔物ばかり選ばれている。変に接近戦を行うよりも魔法で全て片付ける方が手っ取り早い。
「わかった。気をつけていけよ」
「はい。ご飯よろしくお願いします」
任務をこなして食事を終え、一度川の方へ引き返した。本格的に解決を目指すのは明日だが、浄化をするために一度毒素を取り込む必要がある。
空いた水筒に念の為直接触れないようにしながら汲み上げ、テントへ戻ってから一部を水で作った器へと流した。
「その魔力で調べるんですか」
「直接触るのが一番手っ取り早いからな」
くるくるとかき混ぜながら川の水が浄化されて純度が増すのを見て、へぇ……と素直に感心する。解毒魔法は使えないこともないが、川の浄化を目的とした魔法は見たこともない。
今見ているのは手のひらの上という小さな魔法だが、明日はこれを湖で大規模なものを見れると思うと仕事としてやっているイルガには悪いが好奇心がわいてくる。
「今日はもう休むか……先見張っているから、寝てていいぞ。三時間後くらいに交代しよう」
「わかりました……」
先手を打たれ、しぶしぶ承諾する。寝袋を用意して、すぐに行動できるようチャックは締めずにくるまった。
「……先生」
「どうした?」
ずっと気になっていたこと。それを聞くことができるのは今しかないような気がして、思い切って切り出す。
「その、聞きたいことがあって」
「耳のことか」
ある程度アクトの雰囲気でわかっていたのだろう。イルガの方から話を進められて、誤魔化さずにうなずいた。
「今、どこまで聞こえていて……その耳栓がなければ、なにが聞こえるのか気になっていて」
イルガが自らの魔力で耳栓をしていることは初めてイルガを目にしたときからわかっていた。その耳栓はいくつか段階があるらしく、講義などイルガが主体で話す時は比較的弱い耳栓だが、人の話を聞いているとき……例えば自己紹介のときなんかは強い耳栓をしているようだった。
今日の任務でイルガは常にその強い耳栓をつけている。耳がいいことは森の中で有利に働くはずなのだからその必要はない。ということは、この耳栓は普通の音を消すものではないということだ。
「アクトの心臓の音、さっき見てきた川の流れる音。他にも川くらいまでの魔物たちの鳴き声や歩く音。意識すればこの耳栓のままでも聞き取れる」
言われたのは想像以上のもので、思わず息をのむ。
「……普段これより弱い耳栓でも大丈夫なのは、意識しなければ無視できるものばかりだからだ。でも、弱い耳栓では困るものが聞こえることもある」
「それは……心ですか」
否定することなくうなずいたのを見て、息を吐く。どの程度なのかを聞くのははばかられるが、程度がどうあれ人の考えてることがわかってしまうのはいいことよりも悪いことに働くように思えた。
「あの日、どれだけ強い耳栓でもお前の叫びは防げなかった。双風であることと、その後の会話で魔力に対しての強い嫌悪感と恐怖感が痛い程に聞こえてきた」
恐らく、その力はイルガが教師として学生に最適な距離で接することができる理由の一つ。しかし、イルガがそれを喜んでいるかどうかは別問題だろう。
「聞いてしまったから、きっとお前にとっては最善になる対応が出来ただろうと思ってはいるんだ。でも、よかったことなのかは俺には判断できなかった」
最善になる対応。双風である自分を殺しアクトでありたいという希望を、イルガは叶えてくれている。
中に入り傍に座ってきて、つられてアクトも起き上がった。
「……昼にも話した通りだ。俺はきっと、聞いてはいけないことを」
「そんなこと」
話を遮って否定し、首を横に振る。
「むしろ、今まで誰にも聞いてもらえなかったことなので」
セトは知っていること。しかし、人である誰かに知ってもらえたことはアクトの中でとても重要なことだった。
双風はその圧倒的な力で人々の尊敬の対象と見られることが多い。しかしそれと同時に、人間は強すぎるものに対して恐怖を抱く。それはアクトもよくわかっていて、双風であることを遠ざけた直接の理由ではなくても心のわだかまりになっていた。
「そうか……」
少しほっとした様子のイルガに、微笑む。
「むしろ、先生が聞いてくれているのは助かるかもしれません」
「細部まで聞こえるわけじゃないから、もしかしたらどこかですれ違う可能性もある。そうなっていたら言ってくれ」




