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第七章 裁きの灯

 朝陽が柔らかく王都を撫でる頃、街は昨夜の波紋をまだ引きずっていた。舞踏会が法廷に変わったことは噂となり、噂は午前中にかけてさらに膨らんだ。私の名は――好ましくも、好ましくなくも――町の口に上る。復讐を誓う女が、公の場で糸を引いたのだ。讃える者も、憐れむ者も、呪う者もいる。だが私の望みは賛否ではない。真実だ。


 王城は予想以上に素早く動いた。マルクス・デ・セロンの言葉通り、公開鑑定と第三者監査が組織され、ヴァルターの証言は王城の書記官によって逐一記録された。だが「公的に」なるということは、同時に多くの力が介入するということでもある。書記官の中には、顧問の影響下にある者もいる。そうした相互作用は、私の用意した糸を時に宙に掬い上げ、時に再編させる。


 まずは形式的な手順の列挙が続いた。帳面の原本は王城に封印され、筆跡鑑定の専門家が呼ばれ、南方商会の出荷記録は王城の会計と照合された。ヴァルターの供述は、彼の書いた受領書や入金伝票と対応し、黒曜石の指輪に使われた合金の成分は、商会の倉庫で押収された小瓶の残渣と一致した。数値と痕跡は冷徹だ。噂は確かな輪郭を持ち始める。


 だが、政治というものは――真実だけで動くわけではない。侯爵エドゥアルトは、公の前では忠誠を見せながらも、私室では顔を歪めていた。彼は何度も私の前に現れ、声を低くして言った。


 「アレクサンドラ、君はもっと……穏便にやれないのか。家の名誉を、国の安寧を考えろ。外部に晒せば、我々だけで済む話ではなくなる」


 その言葉は甘い。だがその甘さは有毒だ。私は冷たく答えた。


 「あなたが私の命を奪った夜、国の安寧はどこにありましたか。あなたの“安寧”のために、私の血が流れたのです。私が静かに済ませる義理など、最初からない」


 彼は青ざめ、喉を鳴らした。言い訳の糸が幾重にも絡み合うのが見える。侯爵の表情には屈託があり、時折、震える。だが公開の場で私が提示した証拠の重みは、侯爵の掌にも伝わっている。彼が本当にただの操られた駒なのか、それとも加担していたのか――真相はまだ白日の下にさらけ出されていない。


 公開鑑定の初日、王城の広間は人で溢れた。町の声、貴族の囁き、使節の記録官。それらすべてが、証拠を注視する。マルティスなる筆跡鑑定の専門家が、羊皮紙のインクの年代、筆圧、文字の癖を示す。彼の解析は控えめだが明確だった。幾つかの受領書は、同一の手によるものだとされ、枝分かれする筆跡の解析は、ヴァルターの筆跡に強い一致を示す――ただし、署名欄の印章は複数主体の流用を示していた。


 「注目すべきはここです」マルティスは集まった面々に示す。「筆跡は一致します。だが印章の在り方、代金の流れは複数の組織が介在していることを示唆しています。南方商会は表の窓口であり、依頼と資金の動きは王城の顧問筋への回線が見えます」


 それは私が辿ってきた線だった。だが公の場で専門家が確定的に言うということは、顧問たちにとって致命的だ。顧問の一派は形を崩し、マルクスは即座に追加の調査権を王に請願した。王の側近は慎重に頷き、その動きは、いったんは私の側に働くように見えた。


 だが政治の世界は舞踏会での一瞬の優雅さと同じように、舞台裏で別の確かなステップを刻む。顧問の影にいた黒外套の男――私が「滑らかな声」と記憶した者――は表面上は黙して動かなかったが、その影響力は別の形で働いた。彼らが持つ「名誉」と「脅し」は、私の用意した公的手続きの中にも浸透してくる。証拠を押さえても、解釈と手続きを弄れば流れは変えられるのだ。


 それを見越して、私は別の手を打っていた。舞踏会の夜、私が用意したのは単なる証拠の提示だけではない。私は複数の写しを匿名で複数の媒体に渡していた――市中の新聞職人、王城の中立的な侍従、そして外国使節の一部だ。王城の公式手続きが時間を稼ぐ間に、世の耳目は急速にこちらへ傾いた。民の声は、時として王の耳よりも速い。


 写しが出回ると、反応は想像以上だった。商会の倉庫には押収の手が入り、商人の何人かが拘束される。南方の港では、該当する船が差し押さえられ、途中の荷受人が取り調べを受けた。王都の通りには、私の名を掲げる者も現れた。彼らは復讐を称賛し、あるいは単に「正義」を叫ぶ。だが私の本当の狙いは騒然たる支持ではない。動きを作り、顧問たちに物的な圧をかけることだ。


 そんな動きの中、最も驚くべきは侯爵自身の動揺ではなく、侯爵を取り巻く者たちの恐れだった。家老のひとりが私の前にやって来て囁く。「令嬢、侯爵様は貴女を見て暗くなっておられる。だが、我々は家の存続を案じる。侯爵が守るべきものがあるのは事実だ。どうか、過度に家を貶めぬように」


 私は静かに答える。「家を守るなら、真実で守ってください。偽りの安寧など、人の命を餌にして得るものではない」


 私の言葉は紙のように薄い慰めではないだろう。だがその夜、侯爵の書斎にはまた別の訪問者があった。黒い外套の男が、侯爵と密談したのだ――それは屋敷の者の目に留まり、後にフォルクがそれを知らせてくれた。侯爵は青ざめ、言葉少なに相手に耳を傾ける。私の胸に、また一つの嫌な予感が這い上がる。


 公開鑑定の第二日、ヴァルターはさらに踏み込んだ供述をした。彼の声は日に日に弱っているが、その言葉は時に刺のように鋭い。


 「我らが与えられた指示は、単なる供給ではなかった。ある者は“人の戻り”を以て政治的効果を試した。戻った者の意識の揺らぎは、情報を掘り起こす触媒となる——それを用い、ある計画の正当性を示すために、我々は実験を行ったのだ」


 その言葉は会場を凍らせた。人を戻すことが、単なる復活ではなく、政治の道具として使われていたという告白。私の身体を貫いたのは怒りだけではなかった。自分が道具にされたという事実は、想像以上に深く私の尊厳を傷つける。


 だがそこに、ほんのわずかな希望も生まれていた。公開された証拠とヴァルターの自白は、単なる商取引の不正や禁術の使用だけではなく、王城の中枢に近い何者かの関与を示していた。私の望む「真の黒幕」に近づいているのだ。


 午後が深まるころ、マルティスの鑑定は更なる決定的なポイントを示した。黒曜石指輪の合金には南方の鉱山でしか採れぬ混合金属が含まれており、その出荷記録は南方商会の数枚の帳簿にのみ記載されていた。流通経路は明確になりつつある。この情報が公になれば、顧問側の言い逃れは難しくなるはずだ。


 だが――真の黒幕は、その日ですべてを暴かれるような愚か者ではない。夜になり、王城のある部屋で、私はひっそりとした知らせを受けた。マルクスからの短い面談の要請──だが内容は玄妙だった。「令嬢、直接話したいことがある。公の場では言えぬ事柄だ」


 私は決めた。表で刃を振るうなら、裏でも一歩前に出る。私は約束の場へ赴いた。そこで見たものは、想像とは違う顔の集合だった。マルクスは孤立した正義の勧告者のように見えるが、同席していたのは王城の別の高位――若き王太子の侍従であり、さらに黒外套の者の側近らしい人物もいた。


 「我々は、国の安寧のために動いている」とマルクスは低く言った。「だが過程において、人を犠牲にする手法が用いられたことは許し難い。令嬢、あなたにはある提案がある。——協力せよ、だ」


 協力。甘い言葉だ。だがその裏にある条件は深い。王城の力を借りる代わりに、私は自らの行動をある程度制御される可能性がある。私はマルクスの目を直視した。目の奥には、計算と疲労、どこか悔悟に近い色が混じっていた。


 「私が協力するのは、真実が出るときだけだ。誰もが負うべき責任を負い、誰もが逃げられぬようにすること。王城の名を借りて再び人を道具にするようなことがあれば、私は同盟ではなく敵となる」私は静かに宣言した。


 マルクスは少し沈黙した後、苦い笑みを薄く浮かべた。「わかった。しかし、君も分かってほしい。真の黒幕は我々の外にあるかもしれぬ。そしてその者は、我々が想像するよりずっと恐ろしい。協力して剥がしていくしかないのだ」


 その言葉に、私は何か冷たい確信を新たにした。王城の力は借りる。ただし自分の手を離す気はない。私の復讐は、法と民衆の力と、私自身の冷徹さ――三本の糸を組み合わせた網で掴むのだ。


 夜風が窓を揺らし、書斎の蝋燭は微かに揺れる。外では遠く、誰かが祝杯をあげる音がする。だがその音は私に届かない。私の耳は真実の鼓動だけを聴いていた。真実の灯は小さいが、確かに燃えている。私はその灯を絶やさぬために、次の一手を準備する。真の黒幕を炙り出し、私を奪った手に、最後の裁きを下す日まで――道はまだ続く。


(つづく)

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