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第二十九章 招集の朝

 朝霧が城壁を洗い流すころ、私たちは最後の準備を整えていた。王城の中心にある古い広間に、今日、事の本質を曝す証拠を並べる。地下の冊子、王太后私室の押印、イザベラの便箋、そしてそれらを繋ぐ一連の送金記録と封蝋の写し──すべてが一箇所に集められる。これらはもう「断片」ではない。繋がれ、順序立てられ、世に問うための形をとり始めている。


 侯爵は公の場で自らを差し出すことを承諾した。彼の表情は硬く、しかしその瞳には以前の曖昧さはない。レオンは夜通し城内の通路を閉ざし、フォルクは外周の安全を固めた。セリアンは法的手続きを最終確認し、マルティンはマルセルの補足供述を整理していた。私たちはそれぞれに役割を負い、もう一度だけ連携を確かめる。


 昨夜、王太后の私室の老侍女と短く言葉を交わしたことが、私の心を重くしていた。彼女の問いかけ――「君はそこまで考えているのか」――は、単なる挑発ではなく、真実の重さを測る尺度にも聞こえた。公に曝せば国は震える。だが曝さねば、また誰かが死ぬ。選択は常に痛みを伴う。


 広間へ向かう足取りは重かったが、同時に確信が伴っていた。私は書斎に残していた最後の紙束を手に取り、胸に押し当てる。これが私の声であり、同時に私の刃の代わりである。復讐の炎は冷めていない。しかしそれは今、法と記録という形に焼き直されている。


 広間には既に多くの人が集まっていた。国外使節の代表、王太子の側近、民代表の委員、そしてプレスの者たち。窓の外では群衆が集まり、街角には活版屋がビラを配っている。今や隠蔽は難しい。私たちの力は公の監視によって増幅されている。だがそれが同時に、誰かの最悪の反撃を引き出す可能性もある。


 開廷の合図が鳴り、私は壇上に立った。紙を広げると、最初に示したのは地下冊子の全体図だ。図は簡潔に、しかし冷徹に承認の流れを示している。人名、イニシャル、押印、送金経路――それらが紐のように結ばれている。会場の空気が静まり、誰もが視線を落とす。


 次に提示したのは、王太后私室で見つけた押印板の写真と、そこに残る微細な刻印だ。筆跡鑑定と封蝋の比較を示すと、沈黙はさらに重くなる。国外の鑑定団が正式な鑑定書を読み上げ、筆跡の一致、封蝋の原材の分析、インクの年代推定が示された。専門家の言葉は情緒を排し、事実だけを積み重ねる。その積み重ねが、やがて人々の感覚を変えていく。


 だが私の心は、壇上で一度だけ外へ飛んだ。フォルクが私の隣で私を見据える目、その中には深い忠誠とある種の悲しさが混じっていた。彼は昨夜、私を守って矢を受け、傷を負った。その傷は消えぬ。「近き寄生」を暴いたとき、彼の血がその代価の一つとなった。私はその代価を忘れない。忘れずに、しかし次へと進む。


 午後、私は証言を求めた。最初はレオンだ。彼は静かに立ち上がり、地下冊子がいかに作られ、誰がどの段で承認印を集めたかを説明した。彼は自分の「代表」としての署名の意味を語り、そしてその署名がどのようにして外に影響を及ぼしていたのかを、咀嚼しながら説明する。レオンの言葉は痛切だ。彼の手は震え、しかし彼は真実を語り切った。


 次に、私が用意したのはイザベラの補足証言であった。老侍女の言葉とは違い、イザベラの供述は内部の伝達の紐をほどく具体的な役割を持っていた。彼女は封蝋の裏に付けられた短い鉛筆の符号が誰の癖に近いか、会合の文面を誰が差し替えたかを記憶していた。イザベラは自分の行為を悔い、しかし同時にその小さな行為がどれほど大きな結果を招いたかを静かに語った。会場のあちこちで、すすり泣きが聞こえる。


 そして午後の終盤、私が胸に秘めていた最大の一枚を取り出した。それは王城の金庫から持ち出した最後の封筒に入っていた、朱で押された古い署名の写しだ。写しの上には、王太后に近いとされる筆跡が確かに確認できる。私はその頁を会場に掲げる。静寂は一拍伸び、そして破裂するように誰かの声が上がった。


 「では、王太后は直接に命令を?」誰かが叫んだ。声は驚愕と怒りの混じったものだった。王太子の顔が動いた。周囲の侍従たちがざわつく。王太后の関与は、国家構造そのものを揺るがす。


 その瞬間、扉が乱暴に開き、城の兵士たちが一団で入ってきた。先頭にいたのは、王太后の古参の忠臣──先ほどの老侍女ではなく、より高位の役人だった。彼は呼吸を切らし、何かを伝えようと目を見開いている。場の空気はさらに張り詰める。


 「陛下より使者」――彼は息を切らしながらそう告げた。「陛下は体調を崩され、これ以上の公開審理を直視できぬと仰せです。王太后は本件について名誉と無辜を主張し、我が王室はこの場をもって一時的な停止を申し入れます」


 その言葉は、まるで氷の塊を投げつけられたように会場に響いた。王太子が即座に立ち上がり、顔を紅潮させた。「我が父の状態がどうであれ、真実を止める理由にはならぬ。我は独立監査と公正な審理を続けることを命ずる」


 王太子の反発は心強い。しかし同時に、王の体調という外的要因は政治的にも軍事的にも重い。王の病状が曖昧さを増すほど、その場を制する力も増す。私は短く息を吐き、壇上を見渡した。広間の中には怒りと恐れと悲しみが渦巻いている。その渦の中で、私にはもう一つの感覚があった──誰かが、別のルートで動き出しているという予感。


 夕暮れが迫るころ、私は会場から一度引いた。外に出ると、群衆の中に一人の影が混じっているのが見えた。近づくと、それはかつて私を助けた商会の女主人で、南方での送金を手配していた一員だった。彼女は小さく息を吐き、私の手を取り、耳打ちした。


 「王太后の関与は、確かにあの署名の上にある。ただし、それは単独の指示ではない。王太后はある種の‘保険’として文書に自分の印を使用していた。実務は別の手が回していた。真の操作者は、王城の外側と内側を繋ぐ‘代行’の一群――彼らは名前を消す術を持っている」彼女の声は低く、しかし厳しかった。


 私は頷いた。これでますます輪郭が鮮明になる。王太后の署名は重大だが、それだけで全てが説明できるわけではない。背後には代行者たちの網があり、その網を切らねば、また新たな仮面が被されるだろう。


 夜になり、私は書斎に戻る。机の上には山のように積まれた書類と、今日集められた証言の写しが整然と置かれている。侯爵がやってきて扉越しに一声「よくやった」とだけ言った。彼の目は赤い。謝罪と感謝の混じった目だ。私は短く頷き、そして決めた。


 明日は最終盤。私たちは最後の一手を準備する。王城の外側に潜む代行者の名前を一つずつ晒し、同時に王室内部の名に対しても法の場で明確な答えを出す。そのうえで、国家の制度を改めるための具体的な法案を王太子の下へ提出する。私の望みは変わらない――真実を裁きに変え、同じ悲劇が二度とこの国で起きぬようにすることだ。


 夜が深くなり、蝋燭の炎が小さく揺れる。窓の外、塔の鐘が一つだけ鳴る。音は短く、しかし重く胸に残る。私は手を伸ばして最後の頁を持ち上げた。そこには私の名——A(被試験者)——が刻まれている。紙は冷たいが、私の手はそれを温める覚悟を持っている。明日の朝、私は再び壇上に立つ。終わりは近い。だが終わりが来るならば、それはただの終焉ではなく、新しい始まりの礎石となるように――私はその願いを胸に、眠りについた。

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