第二十三章 狩りの朝
港から戻った朝は、鉛色の空が低く垂れこめていた。石畳はまだ夜露で濡れ、海の匂いが屋敷の奥まで忍び込む。マルティンが娘を抱きしめる姿を見届けた後、私たちは静かに次の段取りを整えた。マルセルを捕らえるには、公の場での告発だけでは足りない。彼は冷酷で、何よりも用心深かった。だが彼が残した走り書き――「侯爵車中」「明朝」――それは私たちに準備の猶予を与えた。彼らは急いでいる。焦りは粗を生む。
フォルクは低く囁く。「彼らは侯爵の名を借りて動く。侯爵車中なら、侯爵を利用して移送するつもりだ。侯爵の護衛が薄い時間帯を狙う。朝の礼典前か、夜明けの出立か――どちらにせよ、我々は二手に分かれる」
侯爵エドゥアルトは静かに頷き、だがその瞳の奥に不安がちらついていた。自らの屋敷が罠に使われたこと、そして私を巻き込んだことが彼を苦しめている。彼は責任を取りたいと言った。私はそれを拒まず、しかし無闇な危険を避けるための条件を押し付けた。「あなたが表に出るならば、私たちも共に表に立つ」と。
計画は簡潔だった。侯爵の護送路に見せかけた「予定」を公にして、逆に露払いを仕掛ける。フォルクと数名の信頼できる手勢が馬車の側面に待ち伏せ、私とマルティン、セリアンは内部の守りを固める。マルクスは王城に連絡を入れ、必要ならば王太子の名での介入を示唆して牽制をかける。レオンは王城の内通路を封鎖し、ヴァレンティンの動きを抑制するための目を配置した。私たちは、外套の者たちに「移送」を見せつけるつもりだった――だがその裏で、彼らが本当に求める情報の出所を突く。
朝靄の中、侯爵の馬車がゆっくりと門から出ようとした瞬間、影が動いた。路地の陰から走ってきた黒い輪郭、手慣れた動きで籠を差し出す者。マルセルだ。彼の顔は青ざめ、だが目には冷たい決意。護衛は油断していた。だが我々の罠は働いた。フォルクの合図で、隠れていた者たちが跳び出し、路は一瞬にして閉ざされる。驚きと短い喧嘩。だが戦いは長くは続かなかった。マルセルは数名の手に取り押さえられ、彼の隠し包みはばらされた。
包みの中には小さな金属筒、書付、そして幾枚かの封蝋の写しが混ざっていた。封蝋の型はヴァレンティンのものに酷似しており、書付には簡潔な指示――次の集会の日時、場所、暗号の一節――が記されている。さらに、護送の偽装計画のメモ。彼らが如何に侯爵の名を利用して手早く人を動かそうとしたかが赤裸々に示されていた。
私はマルセルを引き起こし、静かに訊ねた。「誰の命令だ。名前を言え」
彼は唇を噛みしめ、血のような笑みを浮かべた。「名を出せば、君は解放されるか? 君は公正を望むか? それとも復讐か?」――彼は意地悪く私を挑発した。だが挑発は彼自身の力不足を隠す鎧であり、焦りの裏返しでもある。
フォルクが冷たく言った。「言え。無駄な痛みを生む前に」
マルセルの抵抗は短かった。恐らくは捕らえられることを想定しており、堅固な守りは期待していなかったのだろう。彼は吐き出した。
「やれと言ったのは――マダム・ヴィオラではない。直接には『コンスル』だ。だがコンスルは、我らの領主であるヴァレンティン伯に忠を誓う者たちの代表だ。彼らは名を分け合っている。だが金の出所は……王城の一部の口座からの送金だ。――受取は北門で。だが最終的な指示は、いつも『会合』の席で下る」
その言葉は、地下冊子の記録と重なる。マルセルはさらに、驚くべき供述をした。「だが一つだけ、ここに書く。奴らは使いの者に『見せるため』の働きを求めた。Aの心理が揺れる所作を見れば、交渉はやりやすい。…私はただ、言われた通りにやっただけだ。だが、もし君が私の娘を助けてくれるなら、もっと話す」
私たちは既に娘を救出していた。だが彼の娘ではなく、同様に人質を取っている仲間がいる可能性はある。責めるだけでは情報は出ない。私は条件を出した。公的な審問での減刑交渉の申し入れ、そしてマルセルが協力すればその場での証言を認めること。彼は震えながら頷いた。言葉は続き、彼の口から出たのは一つの名――「ヴィオラ」の亜種でも、ヴァレンティンとも異なる――しかしそれ以上に重要だったのは、次の集会の場所だ。古い修道院の廃館、城外の南の丘にある。そこでは、ヴァレンティン家の複数の代理人が「会合」を持つという。
「そこに行けば、もっと多くが分かる」とレオンが冷静に言った。彼の顔には苦悶と決意が混じる。自らの名が冊子にあることを知る者として、彼には今、元を絶ちたいという強い意志があるのだろう。
私は即座に決断した。公の手続きだけでなく、秘密裏の現地踏査も必要だ。列席の者たちに外部の目を通告し、同時に私たちは夜明け前に南の丘へ向かう。もし彼らがそこで会合を開くのなら、そこに証拠と首謀者が揃うはずだ。だがどこまで露出するか、どれだけの危険があるかは分からない。これまで通り、私は「刃を裁きにする」ために最善を尽くすだけだ。
夜が更け、私たちは静かに出発した。馬車は影に紛れ、道は風と草の匂いだけを運んだ。丘へ近づくにつれて、空は黒銀に冴え、遠くに灯りが点々と見える。古い修道院の廃館は、月光に白く浮かび上がった。窓の割れ目からは影が漏れ、複数の人影が行き交う――会合は既に始まっている。
フォルクは低く指示を出す。私たちは四方を固め、入口を封じる。だが廃館の中庭に小さく灯る燭台一つ、囲む人々の声が風に流れる。私は息を殺して影の合間から覗き込む。会合の中心には、幾つかの顔が見える。ヴァレンティン家の執事、商会の代表、複数の顧問筋の代理。そして――一つ、予期しない顔が中心にあった。侯爵の私室に紛れていた「助言者」の一人、王城の高位に近い役職の男の横顔。彼の手には冊子の写しがある。
空気が固まる。ここに居る者たちの間では、もう「匿名」は通じない。会合は、証拠の前で愕然と静まり返った。私たちの影が一つずつ露出する前に、私は一歩前へ出た。月光が私の顔を薄く照らし、周囲の囁きが止む。
「これ以上、人を道具にしないでください」私の声は低く、しかし確かに届いた。「あなた方は『均衡』という言葉で、生きる人々を秤にかけました。今日ここで、その秤を返してもらいます」
彼らの動揺は一瞬のものだった。次の瞬間、闇が剣を引き、会合は混乱へと落ちていった。だが今、彼らは逃げ場がない。封蝋と写しと、そしてマルセルの供述が、ここにある。刃は振るわれるためにある――だが私の望みはもう一つ増えていた。刃の向きは、ただの裁きではなく、再生の道を作るための切断であることを証明すること。
夜の風が廃館を吹き抜け、私たちは互いに目を合わせる。刃が次に涼しく振れるとき、それは終わりではなく、始まりの合図となるだろう。