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第二十一章 公開の刃

 翌朝、空は鉛色に近かった。前日までの陽気な噂は冷え、王都の空気は硬く張り詰めている。公聴会は再び開かれたが、今回はただの審理ではない。私が求めた「完全開示」と「国際保証」は形になり、国外使節団の代表が公式に証拠の真正性を認める旨を表明していた。これがある限り、どんなに改竄が試みられても、その場の文書や複写を覆すことは難しい――私はそう踏んでいた。


 広間に入ると、顔がずらりと揃っていた。侯爵、マルクス、セリアン、マルティン、フォルク。レオンは一段低い席で静かに座る。セドリクは法の手に委され、牢の影から視線を送っている。ヴァレンティン家の使者たちは青ざめ、商会の幹部は硬直していた。民衆は外で詰めかけ、窓には顔がひしめく。私は深く息を吸い、用意してきた言葉を胸の奥で整理した。


 「今日、我々は決定的な選択を迫られている」私は静かに、しかしはっきりと話し始めた。「『V』とは連鎖である、と幾人かが言った。しかしその連鎖は、人の命を踏みにじるために使われた。私が願うのは、単なる懲罰ではない。二度と同じ手口が通用しないよう、法と制度を変えることだ」


 私の話は冷静に聞かれた。だが次に示したのは言葉ではなく、冊子の頁だった。そこには承認者の列があり、LM、V.ヴァレンティン、そして数名の略称と役職名が続いている。写しは国外使節によって鑑定され、筆跡鑑定・封蝋鑑定も併せて提出されていた。偽造の余地は小さく、真実の重さが場を覆った。


 だが誰もが目を凝らすのは、その最後尾にある一行だった――「承認会合 合議:王城参謀会」。文字は単純だが意味は深かった。王城の「参謀会」が名を連ねることは、国家の意思決定と一級に繋がることを示している。表向きは政策、裏側には「実験」。それが紙面の冷たい事実だった。


 会場がざわつく。王太子は険しく眉を寄せ、マルクスは書面を再確認する。レオンは静かに顔色を変えず、だが私の目にはたしかに一瞬の苦渋が映る。彼は、自分の名が「代表」として並んだ責をどう背負うかを測っているのだろう。


 ついに、王太子が声を上げた。彼の言葉は、式典場の空気をこわばらせる力を持っていた。


 「ここにある事実は重大だ。我は独立監査の成立を宣言する。且つ、王城の全ての記録を国外使節の目の下で公開することを要求する。誰も例外はない」


 王太子の一言で、場の均衡は再び傾いた。だが、そのとき、最も衝撃的な出来事が起きた――レオンが立ち上がり、自らの胸の前で両手を合わせたのだ。


 「私は、Vの名で文書に署名した」彼の声は穏やかだが確かに届く。「しかし私はそれを隠蔽でも悪用でもなく、内部から制御するために使ったつもりであった。結果として多くの血を見た。私の過失は赦されがたい。だが今ここに、私の全記録を公開することを願う。私は証人となり、必要ならばその責を取る」


 場内はどよめき、誰もが息を呑んだ。レオンの自白は、表向きの秩序感を崩す一方で、公の手続きのための強力な立脚面を与えた。彼が「代表」となっていた意味、そしてなぜ記録が地下に眠っていたのか、その説明がここにある。彼は内部者としての矛盾を認め、自らを差し出したのである。


 だが真実は単純には終わらない。ヴァレンティン家の幹部の一人が立ち上がり、震える声で、「我々は政治的協力の名のもとに金を動かしたが、殺意を持って実験を命じたのは一部の者である」と弁じた。つまり、全責任を一つの家に押し付けることは出来ないという主張だ。彼らは互いを指し示し、責任を分散させようとした。


 そこで、私は用意していた最後の一手を取り出した。侯爵が昨夜持ってきた「最後の頁」と、レオンが地下で差し出した原冊子の照合だ。二つの文書を並べると、そこには不思議な一致とわずかな食い違いが見えた。食い違いは、一見しただけでは取るに足らない差異に見える――しかしそれが示すのは、誰が「代理」であったか、そして誰が「実際に押印し、命令を下したか」だ。


 私は静かに指差した。「ここです。この一行の差は、本当の承認者が『V』を名乗る複数の手の中で誰かが直接に押印し、誰かがその責を取らせるために名を並べた可能性を示している。つまり、我々は一つの名を裁くだけで終わるわけではない。制度としての責任を断てば、同時に個人の責も問える」


 場の雰囲気は張り詰めた糸のように静かだ。次の瞬間、外から怒号が響き、窓ガラスが震えた。民衆が城門の前で「真実を!」と叫んでいる。法廷は舞台だが、舞台の下では群衆の怒りが燃えている。私はその声を無視できない。私の復讐は、ここで公正な審理に変わらねばならない。


 審問は延々と続いた。証言が続き、筆跡鑑定が反復され、国外使節の技術的鑑定が丁寧に示された。午後の終わりに近づいたころ、ついに一羽のハトが広間の窓をくぐり、封蝋の小さな包みを私の元へ落とした。奇妙な演出だが、王城の職員はそれを公式の通信として扱った。私は封を切ると、中には短い紙片があった。


 「刃を向けるのは正しい。だが切るべきは、その根ではなく、寄生するものだ。汝の近くにある者を疑え」——匿名。


 指先が震えた。差出人は書かれていない。だが字の癖、紙の匂い、そして紙片に付着した微かな煤の感触が、私の記憶のどこかを掠めた。誰かが私に、私の側近に目を向けよと促している。警告か、挑発か、それとも罠か。


 フォルクが私の腕を掴み、低く囁く。「令嬢、今は慎重に。敵はまだ深く潜む。連鎖は断てても、寄生は残る。近しい者に疑いを向ける前に、証を固めよ」


 私は封筒を握りしめ、深く息を吐いた。真実は手に届きそうで、しかし同時に滑るように逃げる。私は王太子の顔を見、彼の視線が私に力を与えるのを感じた。今ここで、私は次の一手を決めねばならない――公的な審理を徹底させ、同時に私自身の周囲に潜む「寄生」を見極めるための作業を進めること。


 審問は続行され、夜はゆっくりと戻ってきた。私の周囲には信頼と裏切り、支援と陰謀が混ざる。だが一つだけ確かなことがある――記録は声なき証人であり、私はその解釈を人々の前でひとつずつ行う覚悟を持っている。刃を振るうのは容易いが、刃を裁きへと変えるには、より冷たい技術と、もっと深い忍耐が要るのだ。


 広間の灯りが次第に消えゆく中、私はフォルクに小さく頷いた。外の群衆の叫びはまだ止まない。だが私たちは歩を止めない。公開の刃は振り下ろされつつある。切断は始まった。これから残るのは――傷の手当と、再生のための長い作業だ。しかし、まずは名を曝すこと。まずは、私を消し、私を玩具にした者たちに、この国で決して逃げ道はないと告げることだ。

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