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第十九章 曝露の朝

 夜が白んでいく頃、王都の空にはまだ薄い蒼が残っていた。私たちは静かに動いた。封蝋の印影を拾った地下の冊子の写しを、三つのルートで同時に撒く──王城の中立委員、国外使節の代表、そして市中の印刷屋への直送。レオンが王城内の正式手続きを抑え、セリアンが王太子側の窓口を開き、マルクスは公的な差押え命令の署名を取り付けた。外ではセラが商会筋に通知を撒き、マルティンは屋敷からの出入りの監視網を張る。フォルクは私の側を固めた。私の胸には、最後の頁の破片がまだある。刃を振るう覚悟はそこに収まっている。


 午前十時、三つの場所で同時に複写が公開された。まずは国外使節の一行が持ち出した公電と鑑定報告。次に、王城の広間に置かれた冊子の原本の写し。最後に、市中の新聞──小さな活版屋が町角で配り始めたビラに、オルフェウス号の帳面と地下冊子の写しの要点が載った。どのルートも、互いに数分のズレを置いて広がるように計算されていた。隠蔽の余地を潰すため、情報は同時多発的に市中へと吐き出される。


 会場の広間は瞬く間に騒然とした。王城の書記官が冊子の真正性を認め、国外使節団の代表が鑑定人の署名を掲げる。民衆の群れはビラを読み、顔色を変え、囁きあう。侯爵は儀礼的に立ち上がったが、その肩は硬かった。セドリクは護送の手の中で冷たい顔をしている。だが私の視界は別の一点に釘付けだった──レオンの表情。彼は静かに私を見据え、唇の端で何かを呟いた。「ここからが真だ」


 その真意を確かめる暇もなく、壇上に居並ぶ顧問筋の一人が声を上げた。表情は平静だが、声の奥に牙がある。


「諸君、我々はこの場で無秩序な公開を行うことを容認できない。証拠は確かに示されたが、手続きが正当か否かを検証する必要がある。今ここでの判断は早計だ」


 そこへ、群衆の一角から怒号が湧いた。紙片に書かれた「A(被試験者)」の語が、私の名を意味することは誰の目にも明らかだった。民は真実を欲した。だが顧問は秩序を護ると唱え、時間を得ようとする。その瞬間、セリアンが静かに立ち上がった。


「秩序とは隠蔽を意味してはならない」と彼は言った。若い声は震えたが真っ直ぐで、周囲の空気を切り裂いた。「公的手続きとは、真実を遅らせるための装置ではなく、被害者を守るためのものだ。我々は今すぐ、独立した公聴会を開くべきだ」


 セリアンの一言で、議場の均衡が大きく傾く。国外使節の代表が微かに頷き、マルクスは書面を掲げて支持を表明した。顧問筋の者たちは顔色を失い、その場は一時的に制圧された。だが私は知っている──制圧は一時的だ。長い糸の操作者は、次の駒を打つ。


 午後に入ると、第一の反撃が来た。王城の幾人かが、ヴァルターの証言の信憑性を問い始めたのだ。外套の痕跡、仮面、声帯器具の押収が実物として示されても、彼らは「強要」「混乱」「誤認」を連呼する。だがもっと危険なのは、別の筋からの情報戦だった──偽の証言録音が密かに流されたのだ。ヴァルターが自白を撤回する音声。それは表向き、私の計画を揺さぶるに十分だった。


 その瞬間、会場の脇で小さな火薬音が鳴った。だれかが屋敷外で爆するものを投げたのだ。騒ぎに乗じて、黒外套の残党が混乱を引き起こし、要人の退避を狙う。だが我々は準備していた。フォルクは瞬時に数名の護衛を差し向け、マルティンは書類を抱えて安全な場所へと避難させた。私はその場で立ち尽くし、心の刃を研ぐ。


 混乱の中で最悪の事態が起きた。誰かが私を狙ったのだ。廊の陰から放たれた一発の矢が、私の傍らを掠める。空気が裂け、群衆は悲鳴を上げる。矢は壁に刺さり、血の匂いが一瞬香る。計画は一つ、相手は私を射抜くことで証言を遮断しようとしたのだ。


 だが刺客は甘かった。私の背後にいたフォルクが身を挺して矢を受け留め、手に斑点を浮かべた。彼は苦痛に顔を歪めながらも、私を押して庇った。人の影が一瞬、濃くなる。群衆はその勇気に息を呑んだ。私は彼を抱き起こし、血で濡れた外套を剥ぎ取る。痛みが彼の顔を引き締める。だがその眼差しは揺るがない。


「令嬢、続けよ」とフォルクは息を切らしながら言った。「糸を手繰れ。ここが肝だ」


 その言葉で、私の意志は鋭くなる。暴力が恐れを増幅させることはあるが、同時に暴力は証明でもある。彼らは私を消そうとした。それは逆に、私の正しさを裏付ける火種となった。私は深く息を吸い、壇上に戻った。


 そこで私はただ一つ、静かな行為をした。館の中央に据えた大きな写しの山のうち、最も決定的な頁を広げ、人々に見せた。オルフェウス号の帳面、地下冊子、そして地下秘蔵室からの原冊子。頁には「承認:V」と「LM」の署名が並ぶ。私は声を張るでもなく、ただ一言だけ言った。


「これは私を“実験”とした証拠だ。誰が命じたか、どのように金が流れたか、誰が顔を演出したか――全て、ここにある。もし私が消される前に声を上げられないなら、これらの記録が私の声になる」


 そのとき、会場の端で一人の老人がひざまずいた。彼は震える手で一枚の紙を差し出す――かつての王城の役人で、長年にわたり小さな善行で知られた人物だ。紙は短い手記であり、そこには「私もまた、Vの命令の下で間接的に関わった」とあった。彼の告白は些細な一行に見えるかもしれない。しかし現場にいた人々の胸には確かな衝撃が走った。


 その時、外の門に向けて威厳ある足音が響いた。王の馬車が到着したのだ。城門の扉が大きく開き、馬車から出てきたのは――王その人ではなかった。王は表向きには好戦を避けるが、今日は別の使者が来ていた。王太子が先頭に立ち、侍従たちを従えて入場する。王太子の顔には痛悔と決意が混じり、彼は私の方を真っ直ぐに見据えた。


「我が国は、真実を恐れてはならぬ」王太子の声はまだ若いが、場の空気を変える力があった。「本日示された証拠は重い。公正な審判を怠ってはならない。王城は透明に、そして独立して動くべきだ。我はそのために、国外の監督を認める」


 その宣言は、場に波紋を与える。連鎖の核心が一挙に照らされるように、顧問筋の面々は顔色を失い、誰かが小声で抗議を始める。だが抗議は続かない。王太子の存在は、今日の撮影と記録を守る盾となった。


 曇った午後の光が広間に満ちる中、私はフォルクの腕を握りしめた。彼の手には血が滲み、だがその感触は冷たくも温かくもあった。彼は目を閉じ、苦い笑みを浮かべた。


「令嬢……これでいいのだな?」


「いいわ。私は真実を選ぶ」私は答えた。だが心の奥に、まだ一つの不安が蠢く――Vの連鎖は切れたのか。LMの名が出ても、別の手がまだ裏で動いているのか。刺客が私を狙ったという事実は、答えの一端にしか過ぎない。


 夕陽が差し込むころ、記録は王城の公式資料として封印され、国外使節は写しを持ち帰る用意を整えた。民衆の中には歓声と不安が混じる。だが私の胸には、もう一つ小さな確信が芽生えていた──刃は振るわれただけでは痛みを与える。刃が記録と結びつけば、痛みは変革を生む。


 夜、屋敷へ戻ると、侯爵が扉口で待っていた。彼の顔はやつれ、だが瞳にはある種の安堵が宿っている。私たちは言葉を交わさず、ただ長い一日の疲れを分かち合った。だが静けさの向こうで、遠くに新たな足音が聞こえる。連鎖は切れたかもしれない。しかし影はいつでも息を潜め、再び仮面を被る。それでも私は眠らぬことを選んだ。真実を白日の下に晒す道は始まったばかりなのだ。

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