第十章 露呈の果実
夜は深く、風はひんやりと屋敷の角をなぞっていた。私たちはローベルトを小屋から連れ出してから既に幾つかの段取りを踏んでいる――簡潔な手錠、手足の結束、屋敷の奥の控え室へと運び込む間にも、彼の嘴は震えていた。だが震えは恐怖だけではない。己を守るために嘘を重ねる者の、必死の足掻きだ。私にはそれが見える。
「ここで嘘を吐けば、君はもっと悪い場所へ行くことになる」私は冷静に言った。机の上に置いた燭台の揺らめきが、彼の顔の凹凸を白く塗り替える。マルティンは入口を守り、フォルクは彼の腕を両脇から押さえ付けている。二人の背中には疲労と緊張が張り付いているが、私にはそれが心強かった。
「わかっている……わかっているから、どうか許してくれ。俺はただ、家族を食わせるためにやっただけなんだ」ローベルトは声をつまらせる。彼の服は粗末で、指先は油で黒ずんでいる。港の男だ。
「君が誰のために動いたか、正確に言いなさい。『先生』という呼び方は誰が使った? 王城の誰かが関わっていると君は言った。名前を出しなさい」私は紙とインクを用意して、彼の唇が震えるのを待った。相手の呼び名が具体的であるほど、網は縮まる。
「先生は名前を聞かせない。だが顔を見たことがある者はいる。――侯爵家の常連の中には、いつも影で指図する男がいる。王城の出入りもするらしい。あいつは人々の噂では『セドリク』と呼ばれている。だが、噂だ。確証はない」ローベルトの瞳が泳ぐ。セドリク――聞き覚えのない名ではない。だが噂は簡単に生まれ、海のように広がる。
「君は、先日港で『北門で受け取る者』を見たと言った。誰だ?」私は次の針を刺す。
「北門で受け取っていたのは、いつも同じ男だ。若い侍従のような者だと聞いたが、顔は見えず、黒い袋を抱えて受け取っていた。だが一度――一度だけ、男が封を破るのを見た。中には小さな銀の籠があり、中に手紙と金が入っていた。封筒の紋は小さな竜の鱗の模様で、王城の紋とは違うが……」ローベルトは手を震わせる。「それを受け取った者の肩を、俺は見た。――あの男の肩には侯爵家の紋章に似た刺繍があった。侯爵の者かもしれぬ」
侯爵の紋章――胸に冷たいものが落ちる。ここまで来ると、単なる下働きの犯罪ではない。王城の顔ぶれと侯爵家の内側が、不可解な紐で結ばれている。私はローベルトの言葉をさらに引き出すべく、細い梯子を上るように誘導する。
「商会の帳はどこにある? 誰が保管している?」私の声は低く、しかし強い。
「表向きの帳は倉庫にある。しかし本物の帳は、海に出る船のひとつ、〈オルフェウス号〉の底に隠されている。船長の名はカルロス。彼は金に目がないが、芯は臆病だ。帳は小さな木箱に入れられ、船底の偽りの石梁の間に押し込まれていた。誰でも見つけられるような場所じゃない」ローベルトは最後にそう言った。言葉は震えていたが、具体的だった。
「オルフェウス号。場所は?」私は即座に訊ねる。正確な位置が分かれば、次の行動は定まる。
「南港のA埠頭、三番倉。だが今は護りが厳しい。船は検査を受けているかもしれない」彼は唇を噛む。守りが厳しいということは、我々が急ぎで動かなければならないことを示す。露見の危険が迫る。
私は席から立ち上がり、窓の外の夜空を見やった。星は冷たく瞬いている。黒外套の男が「糸は我々の方が長い」と嘲った言葉が、今更ながらに響く。糸の長さは相対的だ。私が糸の端を掴むためには、まず相手の手元を引き寄せ、次にその糸を切らねばならない。
「カルロスの所在を確認し、オルフェウス号を押さえる。だが急がねばならない。明日の朝、王城の通商検査が入る前に動くこと。護りが強いならば、我々は偽の検査官を装い、正当な理由で船に乗り込む」私は計画を口にする。マルティンとフォルクの目が光った。二人とも即座に動き方を理解する。
ローベルトは小さな声で付け加えた。「――それから、ひとつだけ。あの黒外套の男は、過去に侯爵の屋敷の舞踏で近くにいたことがある。彼は人の顔をよく覚える。だが、あの夜に君が見た――君の『見たくない顔』は、どうやら彼の手配した仮面の一つらしい。つまり、彼は人を化粧し、役を与えることで、真の意図を隠している。誰かの顔が“似ている”と錯覚させることができる」ローベルトは喉を湿らせた。「奴らは演出が上手い」
彼の言葉は私の中で不気味に響いた。黒外套の男は、ただの伝達者や裏稼業の仕切りではない。人々の目を欺き、真実を仮面で覆い、さらには「似せる」ことで私に記憶の迷いを与えた可能性がある。これは単なる権力者の陰謀を超えた、演劇的で冷酷な技法だ。
私は次の手順を整理した。まずオルフェウス号の帳を確保すること。そこに記されている流通の証拠を押さえれば、商会と顧問筋の金の往来を証明できる。次に、港で動いている中間役や受取人を公的に拘束し、彼らを通じて「先生」の輪郭を絞る。そして可能であれば、黒外套の男が使う「仮面」と演出の材料を押さえ、その痕跡から彼の正体を突く。
「それらが揃えば、我々は王城にも、商会にも真正面から問いを投げられる」私は皆に言った。「だが、最も重要なのは――私自身が公の場で冷静であること。演出に踊らされてはいけない。誰がどんな仮面を被ろうと、私は眺めの奥を見る」
フォルクは低く唸り声を漏らし、「令嬢、カルロスは曲者です。金と命が絡むと、とことん強くなる。正面から行けば、抵抗に遭うだろう」と忠告した。だが私の決意は揺らがない。
「だから正面からは行かない。偽の検査官で潜入し、夜の間に帳を引き上げる。護衛には静かに、だが確実に動いてもらう。成功すれば、次の段階だ」私は計画の詳細を詰める。時間は限られている。ローベルトが口走った「侯爵の者が北門で受け取っていた」という証言――それを裏付けるための別働隊も必要だった。私とフォルクが船に乗る間、マルティンは北門周辺の監視と、封筒の受取人を捕捉する役を担う。
アルノは震える声で最後に言った。「お願いだ。俺の家族を、頼む。もし俺が話をしたことで――」
私は彼の手を掴み、強く握り返した。「協力してくれたことを無下にしはしない。だが判決は公正に下る。君が協力すれば、減刑の道は探る」私の言葉は真実だ。だが同時に私の胸には重いものが落ちる。人の命が、思惑のために軽んじられてきた事実を前にして、私の復讐は単なる私刑ではなく、秩序の再構築であるべきだと改めて思う。
それから夜のうちに準備は進んだ。偽の検査証の作成、船員の名簿の偽装、オルフェウス号に接近するための通行証の用意。セラは港の何人かに息を吹き込み、必要な「偶然」を演出してくれた。フォルクは夜襲隊の組み立てをし、マルティンは屋敷の守りを固め――そして私は、鏡の中で自分の顔を確かめた。
鏡に映る私の目は、あの夜の蝋燭の炎よりも冷たく、そして確かに鋭かった。復讐の軸はここまで来ている。オルフェウス号の木底に眠る帳は、誰が私を消し、誰が私を戻し、そして誰がその死と復活を利用したのかを露わにする鍵だ。糸は長いかもしれない。だが今夜、それを断つための刃を握るのは私だ。
深呼吸を一つして、私は静かに呟いた。「来い――真実よ。今こそ露わになれ」
夜は深く、船は波間に揺れている。私たちは朝を待たずに出航する準備を整えた。だが心の奥には、漠然とした不安が居座っている。黒外套の男が演出する「似ている顔」の罠。王城の誰かが本当に関与しているのか。見つけた帳を誰が読むのか。読んだ先で誰が笑うのか――答えはまだ遠いが、確かに近づきつつある。私たちは桟橋へと向かった。オルフェウス号の艫に立ったとき、冷たい朝風が頬を叩いた。船の甲板には、見慣れぬ影が一つ、すでに待ち構えているようにも見えた。