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「ローゲル伯爵から食事に誘われた、だと……?」
舞踏会も終わりを迎え、俺と父は帰路についていた。舞踏会で起きた出来事を事細かに話しているうちに、いつも冷静な父の顔が汗ばんでいく
「近いうちにローゲル伯爵から食事の予定が送られてくると思います。お父様も是非、とのことでしたので……」
「挨拶しろとは言ったが……まさか伯爵相手から誘いを受けるとはな……」
手を口に当てながら、父は俺を見つめている。その目は疑念に満ちており、もはや七歳の少女に向けるような視線ではなかった。
「若僧が……今度は何を……」
「どうかされましたか?」
「いや、お前は気にしなくていい」
父は、肝心なところをいつもぼかす。それは娘に対する愛情なのか、それとも子供にはまだ早いと線を引いているのか、俺にはわからない。父がそれ以降、口を開くことはなかった。
「お帰りなさいませ。旦那様」
ポツリと降り始めた雨の中、ルドルフは二本の傘を携えながら正門で待っていた。父はご苦労と声をかけるだけで、雨に濡れるルドルフを気にも留めなかった。
「お帰りなさいませ。ロザリアナ様」
あの日から、ルドルフは俺のことを坊ちゃんと呼ばなくなっていた。少しむずがゆかったが、悪い気はしなかった。
「雨は冷たいだろう?」
「どうされたのですかロザリアナ様?」
「今日の舞踏会で疲れてしまってな。傘をさす気力がないんだ」
俺はルドルフに傘を差しだすと、ルドルフの手をつないだ。意図を理解したのか、ルドルフは傘をさすと、俺の歩幅に合わせて歩き出した。
「ルドルフ、今日は収穫があったぞ」
「と言いますと?」
「ローゲル伯爵から食事の誘いを受けた」
ルドルフの足が止まった。見上げると、ルドルフの顔は驚きに満ちていた。
「……ローゲル伯爵から、ですか……」
「俺とて、ここまで早く接近できるとは思っていなかった。だが、その反応はなんだ?父上も同じ様な顔をしていたぞ?」
「そうでしたか……」
ルドルフは胸から懐中時計を取り出すと、それを俺に手渡した。
「何だこれは?」
「……それは、因縁ですよ」
「因縁?何を言っている?」
「……この件は、旦那様からお聞きになるべきかと。一介の執事がお話ししてよい内容ではありませんから」
ルドルフは傘を閉じ、再び歩き出した。いつの間にか雨は通り過ぎ、気だるい湿気だけが残っていた。
舞踏会から数日経った今でも、ローゲル伯爵から食事の誘いは来ていなかった。父も普段と変わらない生活をしている。変わったことがあるとしたら、メイドに手紙の有無を確認するようになったことぐらいだろう。
「ロザリー、この二つの確認を頼む」
数字の確認は俺の専門分野となった。数字に関して、俺は父から絶大な信頼を誇っていた。
「このギルドの価格、明らかに多すぎるだろ……」
読み込めば読み込むほど、この領地の実態が浮き出てくる。どうやら父はそこまで熱心に仕事はしていないようだ。
「七歳に仕事任せるぐらいだしなぁ」
そうでなければ村長の不正に気づかない訳がない。
「……ロザリー」
「何でしょうか?」
「ローゲル伯爵から何か連絡はあったか?」
「いえ、特には」
「ならいい」
父は口を閉じた。やはり聞くべきだろうか、父にとって、ローゲル伯爵とは何なのかを。
「お父様、あの――」
「ロザリー、少し話がある」
父は眼鏡を外すと、書斎を出ていった。どこへ行ったか、大体見当はつく。書斎の上、三階にある小さな倉庫。大事な話のとき、父はいつもそこへ籠る。
「来てくれたかロザリー」
やはり、ここだった。俺は父に手招かれ、狭い倉庫の中へ入った。使われていないはずの倉庫だが、なぜか掃除が行き届いている。塵一つすら許さない、それほどまでに管理されていた。
「話して、頂けるのですね……?」
「……ああ」
「お父様にとって、ローゲル家とは何なのですか?」
「ルドルフからどこまで聞いた?」
「詳しいことは、何も」
深く息を吐く父は、いつになく真剣な表情を浮かべていた。
「もう十年になる。当時、ガルデント家の地位は今よりも高かった。男爵などと矮小な肩書などではなく、伯爵という地位にいたのだからな」
「ガルデント家が……伯爵?」
俺はガルデント家の歴史について詳しく知らない。両親どころか召使たちさえも、ガルデント家がどうやって地位を築き上げたかを教えてはくれなかった。
「アルダイト=ローゲルは私の父に仕えていた執事だった。若いながら至る所に気を配っていた奴は、父から絶大な信頼を置かれていた」
「それがどうして……」
「きっかけはある噂だった。“ガルデント伯爵は金を払えば誰にでも爵位を与える”何の根拠もない暴論だったが、結果的にガルデントの名声は地に落ちた……」
「爵位を……与える……」
「そこからだった!!」
平時、温厚なはずの父が倉庫の扉を強く叩いた。下唇を嚙み締め、怒りを露わにしている。
「ガルデントの爵位は奪われ、代わりに一介の執事がその空席に座った。それが今のアルダイト=ローゲルだ!奴はこの家の執事だったのに!父上が施した恩を仇で返した恥知らずだ!!」
まるで昨日の出来事かのように、父の瞳に強い怒りが宿っていた。
「ローゲル!奴は父から統治していた領地を奪うだけでなく!その領地から取れた商品にある印を付けた!」
「印?」
「仮面の印だ!自分が噓をついていたことを!あろうことか父の愛していたものでそれを暴露したんだ!」
父が喋るたびに、倉庫の扉に強い衝撃が伝わる。倉庫自体が揺れていても、父はそれに一切気が付いていない。
「ロザリー……お前が、野心に満ち溢れていることは知っている。だが!ローゲルに擦り寄る、それだけはしないでくれ……ガルデント家の受けた屈辱を、忘れないでほしい……」
娘にすがる父からは、屈辱がにじみ出ていた。聡明な父が、感情をむき出しにしている。
「お父様……」
俺の眼から雫が垂れていた。俺は、今までこの男を父だと思ったことはない。前世にいた父親は、俺に母を重ねていた。それでも、自分にとっては代えがたい父だった。それでも、今だけは、娘にすがることしかできない哀れな父を、それでも父としたかった。
「このロザリアナ、ローゲル伯爵には屈しないと、心から誓います」
歪な親子が、少しだけまとまったような気がした。
「お嬢様~お手紙が届きましたよ~」
倉庫での告白から三日経った早朝、俺はメイドから一通の招待状を受け取った。差出人はローゲル伯爵。俺は封を開くと、人気のないところで読み始めた。
『ロザリアナ、元気にしてる?ステラよ。6月6日の夜、ローゲル邸で食事会を開きます。舞踏会じゃそんなに話せなかったけど、ここなら沢山お喋りできるから、ぜひ来てください。あなたのお父様にも是非って言っていたので、二人で来て下さい』
招待状にはローゲル邸への道が事細かに書かれている。
「行くとも……必ずな……」
空の招待状を握りつぶしながら、俺は決意を固めた。