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「本当に可愛らしい……小さな蕾みたい……」
「ああ、本当に可愛い……」
生まれ直してから初めて耳に入った言葉だった。何か声を出そうとしても、言葉は酷い絶叫に変わってしまう。
「ローズ……君の名前は『ロザリアナ』だ……」
片田舎の男爵の娘『ロザリアナ=リ=ガルデント』として生まれた俺は、新たな土地で頂上を目指す。これは、自分を認めるための物語。
「私の仕事が見たい?」
父は口からロブスターが零れ落ちそうになるのを必死に堪えている。七歳になりたての娘が自分の仕事に興味を持っているのだ。親として、これほどうれしいこともあるまい。
「いいだろう。食事を終えたら書斎に来なさい」
「ありがとうございます、お父様」
俺は目の前の食事を平らげると、直ぐに父が待つ書斎へ向かった。これまで何度も書斎への侵入を試みたが、全て父に見つかって説教を受けてしまった。だが、今回は堂々と中へ入ることができる。
「失礼します」
書斎らしく分厚い本が本棚を埋め尽くし、古びた本革の香りが立ち込めている。
「来たかロザリー」
父は書斎の奥で書類を整理している。俺が来たことを確認すると、自分の机から何枚か書類を引き抜き、俺に手渡した。
「これがなんだかわかるか?」
「……今年の作物の収穫量と、それの最終的な利益、ですか?」
「よく読み取った。後は任せたぞ」
そう言うと、父はまた書類の整理に戻った。父は基本、最小限のことしか伝えない。俺に対しての愛情表現も最小限だし、説教すらも三分きっかりに終わる。今回も最小限のことしか伝えない。
「わかりました」
この二つの数字の確認、俺に与えられた最初の仕事だった。今年の作物の収穫量を、単価に当てはめて計算をし、その結果が合っているかを書類で再確認する。父にとってはどうということはない確認作業かもしれないが、生まれて日も浅い俺にとって、この地方がどんな所なのかを知るのには十分だ。
「ブドウ、麦、トマト……」
俺は頭を抱えた。作物の個数と、その利益。この二つは膨大な数であり、およそ七歳に任せる仕事ではない。無理やり暗算したとて、数字が一致する確率は低いだろう。
「難しいだろう?」
眼鏡をかけた父が微笑みながら訊ねてきた。父はこうなることが分かっていて俺にこの仕事を与えたのだろう。
「これを計算するときは、これを使うんだ」
父が手にしていたものは、大きなそろばんだった。西方ではそれをアバカスといい、父はそれを使って膨大な計算をしていたという。俺は父の意図を理解した。父は、俺に数字を学んで欲しかったのだ。
「意地悪して悪かった。少し簡単な計算からやってみよう」
父が差し出したアバカスは重く、何度もはじかれたであろう木の球はかなりすり減っている。俺はそれを慣れた手つきではじき始めた。
「ロ、ロザリー?」
父は知る由もないだろう。俺が生きていた時代、この道具は名前を変えて残り続けていた。教育の一環として前世の父に習わされたそろばんが、こんな所で役に立つとは夢にも思わなかった。
「お父様、紙をくださいますか?」
「かまわないが……」
父に渡された紙に作物の利益を書き記していく。
「出来ました」
「こ、これは……」
父の眼には、書類に書かれた数字と一字一句同じものが写っているはずだ。計算は俺の得意分野だったから。
「ロザリー……これを一体どこで?」
「さあ?いつの間にか、としか言えませんね」
父の顔からは動揺が隠しきれていない。
「すごいな……ほとんど合ってるぞ……」
「ほとんど?」
そんなはずはない。何度も同じ計算をして確かめたはずだ。
「この地域だけは間違っているな」
父が指さした地域は、ここから北東にある大きな農村の収穫量だった。書類に記された利益は、俺の求めた利益の半分にもなっている。
「そ、そんなはずは……」
「まあ初めてでこれは上出来以上だ。これからもここに来るといい」
父が高笑いする中、俺は納得がいかなかった。この地域の収穫量は、父の治める地方の中でも一番高い。これほど利益が出ないことなんてまずありえない。
「お父様、この地域へ視察に行ってみては……」
「悪いが、そんな暇はない。もう仕事は終わったから早く寝なさい」
父はまともに取り合ってはくれなかった。俺はしぶしぶ貰った書類を戻すふりをし、他に何枚かの書類をくすねたまま自分の部屋へ戻った。
「ルドルフ!いるかルドルフ!」
早朝、俺は家の中を駆け巡っていた。
「どうしたのですかな坊ちゃん?」
台所から顔を出した老人は、温かい眼差しをしている。
「行きたいところがある。連れて行ってくれ」
「これはまた唐突な……お父様からの許可はもらいましたか?」
「もらっていたらお前を探してなどいないさ」
蓄えた自慢の髭をいじりながら、その老人は静かに笑った。ガルデント家に長年使えている執事『ルドルフ=アグリオ』はこの家の中で唯一、俺のことを男扱いしてくれる。男として扱ってほしい、そう両親に話したがまともに聞き入れてはくれなかった。そんなことは当に分かっていた。だが、このルドルフだけは俺を受け入れてくれた。今までの人生の中で、初めてできた理解者だった。
「今度はどこに行くおつもりで?言っておきますが、王都だけは許しませんよ」
「もうさんざん怒られたから行かないよ。それよりも、北東にある村に連れて行って欲しいんだ」
「あの村ですか……そこに一体何の御用で?」
「確かめたいことがある」
俺の手にしている資料を見ると、ルドルフは納得した表情を浮かべた。
「かしこまりました」
ルドルフは作りかけの朝食をメイドに任せ、俺と共に北東の村へ向かった。向かう最中、ルドルフから日頃の行いについて指摘されたが、聞こえないふりをした。
「着きましたよ坊ちゃん」
外に出ると、冷たい風が俺の顔を撫でた。
「もうとっくに春のはずなんだがな……」
「この辺りはまだ雪が降っているのですねぇ……」
雪に閉ざされた畑を見つめながら、ルドルフはしみじみと呟いた。街には元気な子供たちや、買い物をする主婦など、穏やかな日常があふれていた。
「最近不作ねぇ奥さん?」
「ほんとほんと!まあ高く売れたから生活自体は困っていないけど!」
主婦たちの会話を立ち聞きしながら、俺は歩き出した。
「どこへ行かれるのです?」
「村長の所だ」
「いきなりですか?」
「父の代わりに来たと言えば無下にはしないだろう」
「それは……そうでしょうねぇ」
寒空の中、俺はルドルフを連れて村長の家へ訪れた。中から現れたメイドに、自分たちはガルデント家の使いだということ、父が急遽訪問の予定を立てたため俺たちが送られてきたことを、懇切丁寧に伝えた(ルドルフが)。首をかしげながらも、メイドは俺たちを中へと案内してくれた。
「誰だ?訪問の知らせなんて聞いてない……ロザリアナ様!」
暖かな暖炉の前でくつろぐ男は、俺を見るなり血相を変えて近づいてきた。
「これはこれは……遠い中、こんな辺鄙な村までようこそおいでくださいました!ささ、座ってお茶でも……」
「いや、私は……」
「是非ともいただきましょう」
相手の提案を断ろうとしたが、ルドルフの冷たい一瞥がそれを封じた。相手に対する態度において、ルドルフの厳しさで右に出るものはいない。
「今日はどうされたのですか?御父上の姿は見えませんが……」
「今日は旦那様から伝えたいことがあったのですが、最近風邪を拗らせてしまいまして……それで私たちが使いとしてやってきた所存です」
「それはそれは……御父上のお手伝いとは、ロザリアナ様も大変立派ですなぁ」
村長の笑顔はどこか含みがあり、俺たちのことを心からは歓迎していないようだ。
「村長さん。単刀直入にお聞きしますが、今年の収穫量はどうでしたか?」
俺が本題に入ると、村長は一瞬渋い顔をした。
「……今年の収穫量ですか?今年は前年と比べても出来が悪く、お世辞にも儲かったとは言えませんねぇ……」
「そうですか……」
ルドルフは俺に視線を向けた。ちゃんと仕留めろ、そう言っているように思えた。
「先日、父と共に書類の整理をした際、こんなものが出てきました」
俺は先日くすねた書類を机に広げた。
「ここ、この村の収穫量が書いてありますよね?」
「ええ、はっきりと」
「この地域ではキャベツが主な作物ですが、今年は不作だったそうですね」
「そうなんですよ!もう上がったりで……」
「利益もかなり低いですね。それこそ、前年の二分の一ほどまで下がっている」
俺が口を開くたび、村長の額に汗がにじむのが分かる。どうやら、俺の疑問は当たっているようだ。
「ところで、前年の収穫量は覚えていますか?」
「はて……昔のことはあまり覚えていないので……」
「1.2倍」
「へ?なんですって?」
「前年の収穫量ですよ。前年は今年の1.2倍ほど多く収穫していますよね」
「そ、そうでしたかな……?」
「合わないんですよ。前年と今年の金額の差がね」
一瞬、村長の顔が大きく歪んだ。後ろめたいことがあるのなら、さっさと吐いてしまえばいいのに。
「キャベツは確かに不作でした。しかし、その分値段は高騰しています。高騰したキャベツの値段と、貴方が提出した利益、差が大きすぎるんですよ」
「そ、そう言われましても、私はありのままを書いているだけで……」
「ありのまま書いていたらこうはなりませんよ。正しい利益であれば、前年度と大した差はありません。半分などとふざけた利益にはならない!」
「それは……」
「これだけ利益が低ければ、住民の生活にも影響が出るでしょう。しかし、彼女らは特段不自由な暮らしはしていなかった。家庭の差はあるにせよ、食うに困っている人はいませんでしたよ。どうしてそんなことが起きるのでしょうか?さあ!答えてください!」
熱い暖炉の前なのか、俺自身も汗をかいていた。だが、火から離れた村長の方がはるかに汗をかいていた。
「…………でした……」
「何ですか?」
「すみませんでしたぁ!!」
村長は床にめり込むような勢いで頭を下げた。
「なぜ、こんなことを?」
「それは……言えません」
「なぜ?」
強く問い詰めても、返ってくるのは謝罪の言葉のみ。これはいくらやっても理由を話さないだろう。
「坊ちゃん、今から行うこと、決して真似しないでくださいね」
「ルドルフ?」
ルドルフはゆっくりと立ち上がると、土下座をする村長の肩を優しくたたいた。
「村長さん、貴方が何を守っているか分かりませんが、こちらにもやるべきことがあるんです。このまま何も話さないようであればこちらとしては困ってしまうんですよ……」
「申し訳ない……申し訳ない……」
「そうですか、仕方ないですね……なら、誰かにこの責任を負ってもらわないといけませんねぇ」
その言葉を聞いた瞬間、村長は顔を上げた。その表情は酷く歪んでいる。
「あんた、何する気だ……」
「貴方が責任を取らないというのなら、代わりの人に取ってもらうしかありませんねぇ。奥さん、元気にしていますか?」
「妻は関係ないだろう!!」
「ええ関係ないです。貴方が話してくれればの話ですが」
村長の眼には恨みしか灯っていなかった。家族を人質に取る。物語の中じゃよくあることだ、そう思っていた。しかし、実際はもっと残酷だった。
「もう一度だけ聞きます。なぜこんなことをしたか、話してくださりますか?」
「…………」
いつの間にか暖炉の火が消えている。それに気が付かないほど、俺の体は熱く火照っていた。
「…………ローゲル伯爵だ」
「ローゲル伯爵がどうしたんですか?」
「上納金だよ……伯爵に一定以上の金を払えば俺に爵位を与えると……」
「なるほど、爵の地位が狙いでしたか。いつから不正を?」
「今年からだ!前年までは真面目に働いていた!嘘じゃない!これでいいだろう!?」
「ええ、いいですとも」
ルドルフは村長の肩から手を離すと、俺に来いと手招きをした。
「坊ちゃん、お父様には私からお話します。坊ちゃんは一切関与していない、いいですね?」
「何故だ?俺が気づかなければ……」
「気づいてしまった事が原因なのです。この問題は私の想像を超えるほど根深いものでした。首を突っ込めば最後、貴方には彼らとの深い因縁ができてしまいます。ガルデント家の使える執事として、貴方をそんな厄介ごとに巻き込みたくないのです」
ルドルフはいつもと同じような穏やかな笑みを浮かべている。ただ、その目だけは笑ってはいなかった。
「……ルドルフ。お前は俺を唯一認めてくれた人だ。俺はそれに答えたい」
「なら、この件は私から――」
「だが、俺は引き下がらないぞ」
「坊ちゃん!!」
「因縁?上等だ!上にのし上がるためにはそんな恨みなんか付き物なんだよ!それに怯えて上に行けるわけないだろ!」
ルドルフは心の底から俺を案じているのだろう。だが、ここで引き下がっては、生まれ直した意味が無い。俺は、俺を貫く。
「……本当に頑固ですね、貴方と言うお方は」
ルドルフは微笑を浮かべると、俺に対して片膝をついた。
「ルドルフ=アグリオは、貴方の意向に従います。貴方がその道を行くというのなら、私がその背中をお支えしましょう」




