思いがけない依頼
湖畔の穏やかな日々は続いている。釣り上げる魚ごとに、現実の疲れが少しずつ和らいでいく。
ヴェリディアン・リアルムズでのこの日常は、現実の喧騒に対する解毒剤のようだ。ここは私の隠れ家。誰にも邪魔されない静かな時間が流れる。
釣りの腕はゆっくりと、しかし確実に上がっている。最近では以前より大きな珍しい魚が釣れるようになった。
ある夕暮れ、いつものように湖へ向かうと、遠くに一人のNPCが見えた。この辺りでNPCを見かけることは珍しい。
湖岸に腰を下ろした老人。ボロボロの服を着て、どこか漁師のような風貌だった。
普段ならNPCとの会話は避ける。大抵はクエストを持っており、私の静けさを乱すからだ。
だがこの男は違った。本当に助けを必要としているかのような、そんな雰囲気を漂わせていた。
そっと近づく。まだ釣り竿を投げ入れる前だった。
「こんにちは」
自然と穏やかな声が出た。
「おお、若いの。釣りに来たのかい?」
老人はゆっくりと顔を上げた。目には寂しげな影が浮かび、声はかすかに震えていた。
「ええ、ここは心が落ち着くんです」
「ふむ...心の平安か。わしにはもう遠いものよ」
暫しの沈黙。やがて彼はぽつりと語り始めた。
「わしはフィニアン。この湖だけが唯一の生きる糧だった」
「どうされたんです?」
ゲーム内の経済など普段は気にも留めない私だが、自然と口をついて出た質問だった。
「この数日、妙な魚ばかり釣れるようになってな。光っておるし、形もおかしい。普通の魚がまったく釣れん」
不安げに湖面を指さす。
「私もそんな魚を釣ったことがあります」
思わず眉をひそめる。紫や青に光るあの珍しい魚たちの姿が頭をよぎった。
「おお! 君はそれを釣れたというのか?」
彼の目が大きく見開かれる。
「はい、でもインベントリに入らなかったんです。『釣りスキル不足』と表示されました」
「なるほど...だからわしの竿では持ち上げられなかったのか」
フィニアンは立ち上がった。その顔に微かな希望の色が差していた。
「わしの釣りスキルはとても低い。...君のような若い釣り人の力が必要なようだ」
足元の古びた木箱を指さす。目がわずかに輝いている。
一瞬ためらった。明らかにこれはクエストだ。普段なら断るところだろう。
だが彼の切実な眼差しに、背を向けることができなかった。あの奇妙な魚について、私自身も気になっていたのだ。
「どうすればいいですか?」
胸の奥に小さな冒険心が芽生えていた。
「その変な魚を一匹、わしのところへ持ってきてくれ。どう扱うかはわかっておる」
「持ってきてくれたら、この袋をやろう。役に立つかもしれん」
懐から取り出したのは小さな布製の袋。かなり使い込まれている。中身は見えない。
「わかりました」
頷いた。今の私にもできそうな、ささやかな仕事だ。
「ありがとう、若き釣り人よ」
フィニアンは微笑んだ。先ほどまでの悲しみが少し和らいだように見えた。
釣り竿を構え、静かに湖へ投げ入れる。今夜はただ癒しを求める時間ではない。
小さな目的ができた。これまでにない新鮮な感覚が胸を満たしていく。
他のプレイヤーたちが忙しく駆け回る中、私は私のやり方で静かなクエストに向き合っている。
まるで日常の穏やかなルーティンに、優しい彩りを添えられたような気分だった。
湖面を見つめながら、心の奥でそっと考える。
このささやかな依頼が、私の静かな生活を壊すことはないだろう。
むしろ、世界の優しさを少しだけ広げてくれるかもしれない