【探偵#5】咲かない花と、蜜を運ぶ者たち
異界と人間が交わる世界へ。
そして、そんな世界にある、探偵事務所へ。
探偵事務所の名前は──
《金花探偵事務所》。
ここに集うのは、ちょっと普通じゃない高校生たちだ。
三人の主人公と異界と人間の世界が交差する時代、
彼らの物語が、今、走り出す──!
御影家――
都内の高台にそびえる、異界建築を取り入れた白亜の大邸宅。
その一室。
重厚なドア越しに、厳格な男の声が響いていた。
「穂花。最近の成績はどうだ?」
「はい、父上。学業も、部活も、順調でございます」
畳の上で正座し、静かに頭を下げる少女――
御影穂花。
その金色の瞳には、怯えと誇りが入り混じっていた。
「そうか。それでこそ御影の娘だ」
父親はそれだけ言うと、手にしていた書類に目を戻した。
(期待……応えなきゃ)
穂花は、心の奥でそう呟いた。
そして――
父の部屋を退出すると、自室へと戻った。
⸻
静かな自室。
机の上には、乾きかけた油絵のキャンバス。
色づくはずだった空は、まだ白く、空白のままだった。
「ふう……」
制服の襟を緩めた、その瞬間。
背後に、すっと影が現れる。
「……!」
「我が主人――疾風、御影家に仕える風雷一族の者です」
古風な口調で頭を垂れる影――
黒装束に身を包んだ青年、疾風。
穂花は小さく息をついた。
「疾風……どうしたの?」
疾風は恭しく膝をつき、告げた。
「蒼風様より報告あり。加藤ミカへの任務、果たしたと。
また、蒼風様の報告によれば――
例の、探偵事務所の三人が現れ、任務を妨害したと」
探偵。
金花メリー、星都風香、煉城練斗。
あの夜、美術室で交錯した異物たち。
「探偵……」
穂花は呟き、力なくベッドに腰を下ろす。
「才能のない私が……
父の期待に応えるには、これしかなかったのに」
勉強も、部活も。
すべて、父親の期待のために。
――自分の意志なんて、とうにどこかへ消えていた。
「私の絵なんて、雑草みたいなもの……
ミツバチに好かれる花には、なれない」
声はかすれていた。
そんな穂花に、疾風は静かに言う。
「心配は無用。穂花様に仇なす者は――
すべて、風雷一族が骸に変えてみせます」
その言葉を、
穂花はただ、ぼんやりと聞いていた。
⸻
場面は変わる。
――瀬礼文学園・金花探偵事務所。
事務所の応接ソファに、三人が集まっていた。
テーブルの上には、美術展のパンフレット。
「よしっ、作戦会議だよ!」
メリーが、バン! と手を叩く。
「ミカちゃんはまだ入院中。だから、ミカちゃんの作品は、美術部の他の子に託して展示してもらってるよ!」
風香がパンフレットを眺めながら言う。
「……あとは、御影穂花を直接問い詰めるだけ」
「蒼風って奴が御影家の人間のために動いてたんだ。
もう、裏は取れてるってことだな」
練斗が腕を組みながら言った。
「なら、直接待ち伏せして問い詰めよう!」
メリーがにっこり笑う。
「……探偵なのに推理せず力技かよ」
風香が冷めた目で突っ込む。
⸻
ターゲットは、次の美術展。
場所は――
煌びやかなシティホテル、【セレスティア・グランデ東京】。
異界文化を取り入れた、超一流の国際級ホテルだ。
「チケットなら……うちの財閥パワーでなんとか取ったよ!」
メリーが得意げに言う。
だが――
「いや、俺ら庶民だし……場違いすぎるって」
練斗がぼやく。
「私も……正直、気が重い」
風香も渋い顔。
「だいじょーぶ! 顔と制服だけは一流だから!」
そう言ってメリーは胸を張った。
(たしかに、メリーの見た目だけならなんとかなる……かも?)
⸻
作戦はこうだ。
・メリーは正面から堂々と入場。
・風香は裏口で待ち伏せ、穂花の動向を監視。
・練斗は、龍の翼で空を飛びながら、両方の連絡を待機。
「私たちが接触したら、練斗がすぐに合流する」
「了解」
「オッケー!」
三人は、自然と拳を合わせた。
緩く、でも確かに。
――次こそ、決着をつけるために。
外では、街の灯りが静かに揺れていた。
夜が、
戦いの舞台を静かに用意していた。
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車内に流れるのは、エアコンの微かな唸りだけだった。
夜の摩天楼を映す窓ガラス越し、
きらびやかな光景が、遠い世界の幻みたいに見えた。
私は――黙ったまま、拳を膝の上で握りしめる。
隣には、黒装束の男、疾風。
車の振動にすら気づかぬほど、
私は心を無にしていた。
疾風が、ぽつりと呟く。
「穂花様の絵は、必ず、賞を取ります」
その声は、まるで義務を果たす宣言のようだった。
私は答えなかった。
賞。
栄誉。
父の期待。
その全部が、私には、息苦しいほど重かった。
(……本当に、これでいいの?)
心の片隅で、誰かが問う。
一度も話したこともない、両親の関係が悪いだけの、ただそれだけの罪のない同級生を陥れて…
でも私は、顔を上げなかった。
そんな問いに、答えたら、壊れてしまう気がした。
⸻
車が静かに止まる。
煌びやかな《セレスティア・グランデ東京》。
けれど、私たちが向かうのは、華やかな正面玄関ではない。
誰もいない、冷たい裏口。
疾風がドアを開け、そして二人で歩き出す。
「……参りましょう、穂花様」
冷たい夜風が、制服の裾をかすかに揺らした。
ホテル裏の無機質な壁と路面は、街の喧騒すら拒絶している。
私は無言で、疾風の後に続く。
ただ、勝たなきゃいけない。
この手で――存在を証明しなきゃいけない。
それが御影の娘としての責務。
⸻
その時だった。
疾風の足が止まった。
「……殺気」
低く、鋭い声。
空気が、一瞬で引き締まった。
疾風の双眸が、夜の闇の中で、野獣のように光った。
次の瞬間――
ゴォッ!
火球のような影が、凄まじい速度でこちらへ迫ってきた。
「穂花様、下がってください!」
疾風が、私の前に飛び出す。
その背中に、私は本能的にすがりついた。
(だ、だれ――!?)
恐怖で足がすくむ。
疾風は、瞬時に風を纏った苦無と手裏剣を放った。
一閃。
夜空を切り裂く銀の閃光。
だが、それすら――
⸻
「こんな豆粒食えるかよ!」
爆発音と共に、影が現れる。
赤青に染まるメッシュヘア。
額には二本の赤いツノ。
煉城練斗――!
龍の力を宿す探偵事務所の用心棒。
練斗は、飛び散った苦無を弾きながら、叫んだ。
「有名アイスみたいに、真っ二つになれよ!」
言葉と同時に――
ズドォン!!
地を揺るがす落雷のような袈裟斬りが、疾風を目掛けて振り下ろされた。
「完成されたこの刃、かなりの戦闘者だな!煉液!」
そう言いながら疾風は即座に後方へ跳び、風を纏って体を押し出す。
ヒュン――!
疾風が纏った風が鋭い刃となり、地面を切り裂く。
その破片が弾け、あたりに飛び散った。
「……凄まじいな」
疾風が笑う。
だが、後退はしない。
風雷一族の護衛として、絶対に。
⸻
私は、疾風と練斗の死闘を見つめていた。
(……疾風が負けるわけない)
そう、信じたかった。
でも――心のどこかでわかっていた。
自分が何故か…いや絶対悪者だって…
⸻
疾風が振り向かずに告げた。
「穂花様、どうぞお先へ」
「私は、この男の首を、刎ねておきます」
私は小さくうなずいた。
「疾風。……周りに迷惑だけはかけないでね。
殺さなくてもいい」
疾風が小さく笑った気がした。
私は踵を返し、ホテルの裏口へと駆け出した。
⸻
その背後に、練斗の叫びが響く。
「護衛は一人か――
要があるのは、御影穂花。お前だ」
私は振り返らない。
もう、迷わない。
この手で、勝たなきゃいけない。
(父に、世界に――
認めさせなきゃいけない。たとえミツバチにとまってもらえない雑草のような絵でも…)
だから、私は走った。
⸻
疾風の低い声が聞こえた。
「我が一族は、常に強者に飢えている。
また強くなれること、感謝するぞ、煉液」
彼らの戦いの熱と冷たさが、背中に絡みつく。
けれど私は、そのままドアを押し開けた。
ホテルの廊下に満ちる、無機質な冷気。
(怖くない……怖くなんて)
ほとんど受賞が確定したらはずなのに、何故かハラハラしてしまう。
制服の胸元をぎゅっと掴み、
私は進んだ。
⸻
その時――
「穂花、そっちには行かせない!」
ホテルの別の通路から、声が響く。
黒髪。鋭い瞳。
星都風香。
探偵事務所のもう一人。
私は、顔をしかめた。
(……やっぱり来たか)
煉城練斗からの連絡が間に合ったのだろう。
だが――
ここで、止まるわけにはいかない。
私は、誰にも負けないために走る。
たとえ、
誰かを傷つけることになっても。