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45話 Into the Night


「ううーん、もう飲めねえ……」

「腹ぁいっぺぇだあ……ひとつき分の魚を食った気分だゼェ……」

「あーんもうアンタたち、せめて片付けてから部屋で寝なさーい!支部長に叱られちゃうわよォ!」


ガルムを除いた殆どの面々が酔い潰れる頃、やっと宴の馬鹿騒ぎは終わりを告げた。

アクセラは無慈悲にも男たちの背中や尻を叩いて、片づけを促す。ヴィーザルは一足先にしれっと姿を消していた。

ガルムは千鳥足のステラと、疲れて眠たげなヴィオをまとめて担ぎ、「小僧、帰るぞ」と声をかけた。マグニは「ふぁい……」とどうにか立ち上がろうとするが、やはり足元は覚束ない。すると、ネヴィがそっと近寄ってきて体を支えてきた。


「あの……部屋まで……」

「ら、らいじょうぶらよぉ。立ってるもぉん」

「ま~ったく大丈夫じゃなさそうねえ。ネヴィ、お部屋の片づけはアタシたちでやっておくから、その子のことお願いネ」

「はい……」

「フン。まあ良いだろう」


ガルムは鼻を鳴らすと、自室へと歩きだす。

ネヴィは意外にも力があるようで、同じくらいの体格であるマグニの身体をしっかり支え、しっかりした足取りで続く。

移動する間、静けさに満ちていた。夜遅くということもあって、大半の冒険者たちは既に自室で休みをとり、回廊や露市場に人の姿はない。

自室に戻ると、ガルムは扉のすぐ脇に吊るされた角灯(ランタン)にフウッと息を吹きかけた。小さな炎がランタンの中でぼうっと灯り、部屋をほんのり照らす。

ガルムは小さな寝床に、ぷうぷう寝息を立てているヴィオとチチフを押し込む。


「小僧の寝床はそっちだ。用が済んだら出ていけ」

「はい……あの……」

「なんだ」 やや苛立った声でガルムが振り返る。

「私も……疲れてしまって……少しだけ……休んでいいですか……」

「……お前が《《何》》であろうと、害する気がないなら好きにしろ。だが俺様たちの寝室には絶対入るな。いいな」


ネヴィは首を縦に振ると、指さされた寝床に向かう。

固めて積んだ藁の上に、ワタなどを詰めた敷布団を敷いた寝床だ。ごろんと寝かしつけると、マグニはすぐにスウスウと寝息を立て始めた。

その安らかな寝顔をネヴィは、ずっと長い時間見つめ続けていた。するっと丸い顔を指で撫で、少し火照った頬に赤みが差す。薄い蝶の耳は、ランタンの灯りを受けてちらちらと夕陽色に輝き、ぱらぱらと鱗粉が零れ落ちて、マグニの肌に降りかかる。


「あっ……!」


ネヴィは慌てて鱗粉を手で受け止めようとしたが、ぱらっと顔にそのまま落ちてしまった。だがマグニは少しくすぐったそうに「うんん」と鱗粉を手で擦って、そのままぱたり、とまた寝息を立てる。

その様子を、ネヴィはハラハラとした様子で見つめていたものの、何も起きないと分かると、ほっと安堵する。

そして、おっかなびっくり、ネヴィは鱗粉を擦ったマグニの手を取って見つめる。がさついて、あかぎれと切り傷、剣だこの凹凸を、ゆっくり指先で撫でていく。

時折マグニが「ふふっ」っと笑ったり、「ん……」と少し痛そうな表情を浮かべるたび、ネヴィはハッと怖気ついて手を離しかけたり、マグニの顔を覗きこんで様子を伺う。

けれども、どうあっても起きないと確信すると、ネヴィはふくふくと笑ってマグニの隣にぽんっと寝転んだ。

無防備な寝顔を眺めながら、ネヴィはそっと目を閉じる。柔らかな静かさの中に、規則正しい寝息だけが横たわっていた。



一方、ガルムは寝室に入ると、ランタンを壁にかけ、ステラをやや雑に寝床へと放り投げる。

ステラは「いたぁい!」と文句を言うものの、すぐにころん……と敷布団の上でチチフのように丸まった。

調理で裾が汚れ、匂いがべったり染み付いた服を脱ぎ捨て、ガルムは服へ鼻を押し付ける。魚や香辛料、甘み、酒や人の匂いに混ざっても、ガルムの鼻は明瞭に、マグニにまとわりついていた、あの腹立たしい香りを嗅ぎ当てる。


霍香石蚕(アトルラーゼ)路種漬花(スチューン)、この青臭さは間違いなく大葉子(ウァイブラード)だな。この刺激的な香りは……善燃草(マッグウィルト)か。

こっちのほんのり爽やかで甘い味わいは加密列(マイズ)姫林檎ウェルグル刺草(スティゼ)茴香芹(フィレ)小茴香(フイヌル)……ふん、ご大層な匂いだ。反吐が出る」

「九つなる栄光の枝?」 ガルムの独り言を聞いていたのか、ぼんやりした声でステラが尋ねる。

「ああ。《《この世界にはないはずの薬草の匂い》》だ。

小僧に馴れ馴れしくまとわりついてた、あの妙な赤毛の輩からプンプンと漂ってきてたんでな。《《匂う》》ぞ、あの赤毛は。俺様の鼻が異様に嫌悪感を感じてやがる」

「匂うのはガルムの方でしょお〜……お口が酒臭すぎ……あとでサマリー虫をちゃんと噛んでよね……」

「要らん、あんな酸っぱいだけの乾燥虫なぞ。それより貴様も脱げ。臭うし、服に皺がよる」

「そんなに匂わないですよぉ、デリカシィがないですねぇガルムはぁ〜、断固拒否でぇ〜す」


ステラは抵抗の意思をめいいっぱい示すかのように、更にぎゅっと丸くなってしまった。

ガルムは呆れて「好きにしろ」と唸ると、掛け布団代わりの分厚い上着を重ね、ステラに圧しかかるようにして寝床に沈み込む。

酒精のせいか、ステラの肌が夏の日差しで焼かれたように火照っている。

上着を重ねた暗がりの中、頭から生えた小さな鉱石たちが、夜空の星のように、ちかちかっとっとっ、と淡く輝き、赤みがさした肌を柔らかく照らした。


「ガルムぅ〜、重いぃ、あついぃ、狭いぃ〜」

「さっさと寝ろ。あんまりうるさいと舌を食って花合わせするぞ」

「やだぁ破廉恥ぃ〜、触んないでぇ〜」


ぐずぐず文句を言いながらも、やがてガルムの下ですうすうと寝息が漏れ始める。

ちらり、と見下ろすと、無防備な寝顔が、仄かな灯りの中でうすぼんやりと照らされる。

しばしその安らかな寝顔をじっと見つめながら、細くて小さなつるりとした手と、黒岩のような、鋭い爪のある己の手をそっと重ねる。


「……久々に……よく飲んだな……」


そのままぼすん、と折り重なり、ガルムも目を閉じて暗闇に身をゆだねた。



目が覚めると、少年は座席に座っていた。

二人くらいが腰かけられそうな、ふかふかの長椅子が、向かい合うようにして設置されている。

そのひとつに、ぽつねんとお尻を預けていた。


「(あれっ。僕、さっきまでお腹いっぱい食べて、飲んで、みんなと歌ってて……それから、どうしたんだっけ)」


席のすぐ横には、大きな窓がはまっている。

窓の外には、夜色のマーブルチョコタルトに粉砂糖をまぶしたような、一面の星空が輝いていた。

なんでこんな所にいるんだっけ。眠い目を擦って、周りを見回す。

座席のすぐ左手には、長い通路が敷かれ、向かい合う一対の長椅子が、通路を挟んで隙間なくいくつも設置されている。

座席には何人か、まばらに人が座っていた。客は皆眠りこけているか、ぼんやり窓の外を眺めている。

おかしなことに、服装はばらばらで、ぴっちりと白い服を着こなした見たこともない服装の人も居れば、ぶかぶかのコートと洒落た縦長の帽子を被った紳士、かと思えばぼろだけを着た男の子、豪奢な金属を全身にまとった美しい美女など、様々だ。

皆共通点があるとすれば、全身が灰色がかっていて、半分体が透けている。

例えるなら幽霊だ。でも、空恐ろしいような怖さなどは感じない。


「(ああそうだ、これ)」 不意に少年は腑に落ちた。 

「(見たことある景色だ。僕は一度、ここに座っていた。僕は……「列車」というものに、乗っているのだ)」


少年は不意に、目に映る何もかもの名前や使い方が、ぴんと分かった。

肌に吸い付くような白い服は「酸素補給服」というし、ヘンテコな縦長の帽子はハンチング帽という名前だし、あのボロボロの男の子が握りしめているものは、ケータイ電話といって、遠くの人と話が出来る道具だし、美しい美女の顔に描かれた模様は、エジプトという国の古代でよく見られる化粧だ。

世界中の知識を何もかも知るかのような、万能感と空虚感が同時に襲ってくる。


「(なんでこんなに僕はこんなことを知っているのだろう。でも見れば分かる。使い方も知ってる。でも、どうして彼らはこの列車に乗っているのだろう)」


夢かな。だとしたら奇妙だけど、冷たい布団に全身を包まれるような、穏やかな静けさに満ちて、悪い気はしない。

少年は客を見回しながら、ふと気付いた。少年は、自分が何者であるかを、すっかりぽかんと忘れてしまっていたのだ。


「(そういえば、なぜ僕は此処に座っているんだろう。そもそも、私は誰だろう。

不思議だ、俺は自分の名前が分からないし、どこの誰なのかも分からない。

なのに、妾は何も分からないことが、怖くない。変なの)」


不意に視線を眼前に戻して、少年は喉奥にひゅ、と冷気を飲み下した。

男がいる。時代遅れの黒い車掌服に身を包んだ、影のような大男だ。

葉巻にも似た黒い棒の両端を、シガーカッターでぱちん、ぱちんと切り落とし、ぱちん!と指を鳴らす。鳴った指の隙間から青い炎が漏れ出て、男はそれを口に含み、すうう、と吸い込む。


「そのタバコ、美味しいの?」


ふとそんな問いが、口をついてでた。タバコというものを知らないのに、なぜかすっと口から出てきた。

男は答えず、煙を吐き出す。鮮やかな橙と黄の混じる紫煙が鼻腔を擽ると、煙たさではなく、鼻の粘膜がスウッと冷えるような心地と共に、柑橘類特有の酸っぱさと瑞々しい甘みが通り抜けていく。

甘みが抜けると、今度はサンダルウッドにも似た、落ち着く香りが辺りを満たす。

全身から力が抜けていく。香りが肺の中に忍び寄ると、少年は自分の年齢を知らないのだけど、百歳も生きた老人の気分を味わった。


「マグニ、きみは世界が生み出した最高傑作だ。だからだろうね、この列車に忍び込めるなんて、君くらいのものだ。だが、無賃乗車はいけないよ」


男は優しい声色で告げた。窓の外から光が差し込む。

名前を呼ばれた途端、少年はまるでバツンッと体の中が爆発したみたいに、唐突に自分の名前と、これまでのことを思い出した。

大きな銀色の月が、砂糖の夜空と車内を柔らかく照らし、少年は目が眩んで、思わず目を細める。


「ガルムのせいで、君は僕と半分繋がってしまっている。だから汽車も、君を受け入れてしまう。考えものだな、魂の繋がりというのは」


男はいつのまにか、車掌服から、くたびれた簡素な服装に着替えていた。少年の頭に居座る叡智が、この服は「着物」という、日本という国の服によく似ている、と教えてくれる。

その顔が、車の窓から差し込む月光で照らされる。は、っと少年は息を飲んだ。

間違いなく、その横顔はガルムだ。けれど普段の険しい目つきからは想像もつかないほどに、その表情は柔らかく優しいものだ。なんとなく、彼自身はガルムであって、ガルムではないような、奇妙なちぐはぐした予感があった。


「ガルム様……じゃないですよね。誰ですか?」

「半分あたり、半分はずれ。世界は僕を「悪魔」と呼ぶし、「災いの始まり」とも呼ぶし、正しい名前なんてものは、今の僕たちには意味をなさない」


男はマグニの手を握る。

彼の掌は、冷たくて、スライムに体を覆われたような奇妙な感触がした。

途端、体の奥からぐいっと、床に引きずり込まれるような重力を覚え、マグニは座ったままよろける。座席のあった部分に穴が出来て、その穴の先は煌めく星空だった。


「今は帰りなさい、僕のほうから君に会いに行くから。迷惑かけるかもしれないけど、よろしくね」

「そ、それ、どういう意味……うわああああっ!?」


少年は悲鳴を上げて、星空に放り出される。

空に堕ちる感覚は、これで三度目だった。風の嵐の中に飛び込む浮遊感に、お腹の中のものが全部掻き回されるような感覚で、吐きそうだった。

翼!翼がほしい。飛べば落ちずにすむのに。必死に両手で宙をもがく。

落ちていく。地面がもうすぐ迫っている。飛びたい。果てなく飛びあがってしまいたい!あの座席にもう一度座って……穏やか気持ちで微睡んでいたいのに……!


「はぎゃあっ!?」


ごちん!

頭をしたたかにぶつけて、マグニは痛みで目を覚ました。

藁の寝床から、上半身だけ落ちたらしい。ずりずりと下半身もゆっくり降ろして、もう一度寝床へ這い上がる。

すると、小さなトカゲと目があった。くりくりと丸い目が、マグニをじっと見つめてくる。


「きゅっ?」

「あれっ、トカゲ?どこから入ってきたんだ?」


マグニは首を傾げる。見覚えのある模様と色だ。

そうだ、スライムに食われかけたところを、偶然にも助けた、あのトカゲだった。もしかして着いてきたのだろうか。

それとも、ギルドの誰かに飼われているトカゲだろうか。野生にしては、妙にふっくらと肉づきがいいし、上品なトカゲに見えた。


「キャアーッ!マグニ、マグニーッ!早くこっちにきてーッ!」


直後、ガルムとステラの部屋から、ヴィオの絶叫が聞こえてくる。

あまりの悲鳴の大きさにもう一度ずっこけたあと、マグニは急いで二人の寝室へと飛び込み──ぶわっと全身に浴びせられた酸っぱい悪臭に、思わず嘔吐く。

なんてひどい匂いだ!生の肉や卵を腐らせて、どぶ川と尿を混ぜ込んだような酷い匂いだ。涙目になりながら、部屋の中を見て、マグニは目を疑った。


「なっ……ガルム様!ステラさん!何が起きたんだ!?」


部屋じゅうが、真っ黒い泥で汚れている。

粘着質な泥のようなものが、まるで蜘蛛の巣を張るように、寝床を中心にして壁や天井にべったりと糸状にはりつき、ランタンの光に照らされてぬらぬらと青や紫や赤の光沢を放っている。

寝床があった場所には、泥の塊が、さながら丸々と太った蜘蛛が尻を落ち着けるように居座っている。泥の糸の出どころは、この塊だろう。

糸状の泥たちは、まるで血管のようにドクンドクンと脈打ち、うねる表面はまるで内臓を引き絞って縄にしたかのようだ。何十もの泥の糸は、血管のような触手となって、無尽蔵に暴れている。

ヴィオもこの触手のせいで近寄れないらしく、マグニに向かって喚く。


「まずいわ。この泥の出どころは、……ガルムよ!このままじゃステラが、窒息死しちゃうッ!」



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