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42話 バンボア


「さて。バンボアとやらが住むのはこの辺りとあるが……」


一方その頃、ガルムは一人、ディアファンの黒森の奥、南東方面に足を運んでいた。

彼の手には、Ⅲ級討伐依頼の嘆願書。マグニ達が依頼を受けている間に、しれっと単独で受けた依頼だ。

依頼内容はいたってシンプル。黒森を縄張りとする、大型のバンボアの討伐願いだ。

新たな作物を生育するために湿地を開拓したいが、この大型のバンボアが縄張りに入った開拓者たちを、見境なく攻撃するため、甚大な被害が出ているという。

つまりは邪魔ものを退治してほしい、というわけだ。

ガルムは鎧を着こんだまま、ひとり湿地を突き進む。ぬかるんだ土には、生き物たちの痕跡が盛り沢山だ。フン、抜け毛、食べ散らかした餌、木々に残した傷跡……もちろん、足跡もだ。


「ステラが一緒だと絶対殺すなとかうるさいからな……ン。あったあった」


目をつけたのは、三つに分かれた巨大な蹄。

バンボアは、灰がかった毛と太い牙、見たもの全てを粉砕する獰猛さが特徴的な、猪型の陸生魔獣だ。大きいものであれば30ファン(約9~10メートル)を超える。

この蹄は深さや幅からして、かなりの巨体であることが窺えた。忙しない足幅を見るに、盛りのついた若い猪であることが窺える。

ガルムは息を吸うと、冷たい風を頬に受けながら、蹄の足跡を追いかける。


「バンボアはオスのほうが牙が大きいんだったか。近頃は小さいのばかりしか見かけんと聞いているが……こいつはアタリかな?」


蹄の主は森を気に入ったのか、あちこちに痕跡を残していた。木の幹には牙で削った痕跡があり、根本に悪臭漂う糞を残している。ここを縄張りと決めたようだ。

バンボアは肉以外であれば大抵のものを食す雑食動物だ。通常、決まった縄張りを持たず生活する。

しかし若く獰猛なオスは別。気に入った土地の半径30ヤーポン(約15㎞)縄張りと定め、侵入者がやってくれば自慢の牙と脚力、突進で追い出すのだ。

この突進を普通の人間がまともに喰らえば、よくて全身の骨折、最悪の場合は一瞬で首と胴体が真っ二つだ。このあたりの冒険者たちでも歯が立たないときた。


「(問題は、あの呪いがどこまで俺様の身体に作用するかだが……あの口減らず(ヴォーダン)の言い回しの解釈が難しいところだ)」


ヴォーダンにかけられた「死の祝福」から暫く経ったが、これといった不調もなく、これまで狩りは積極的にマグニとステラに任せていたため、生き物を殺したわけでもない。

故に、呪いの制約はどこから発動し、何が起きるのかは、ガルム自身も予測できない。バンボアはまさに、呪いの制約を確かめる、うってつけの相手だ。


「……いた!」


程なくして、ガルムの眼前に、蹄の主が現れた。

小山と見紛う巨体。本来ならば灰色の体毛は黒曜石のように輝き、上質な毛を全身にまとわせていた。

これほどまでに艶のある毛はお目にかかったことがない。豊かな縄張りのなかで、肥え太るほどの生活をしてきたに違いない。

片目や背中に刻まれた無数の傷は、数多の雄や天敵と戦ってきた歴戦の戦士たる証左。見ていて惚れ惚れするような、見事な巨猪であった。

ガルムは鎧を脱ぎ捨てると、準備体操をしながらバンボアの前に歩み寄る。


「ククク。若いの、俺様と喧嘩しないか?」


ぎぬろ、と生きた片目がガルムを睨んだ。殺気が矢の如く肌を刺す。

ガルムが跳躍すると同時に、雄猪は助走をつけ、ガルムのいた茂みに突進し、草木を荒々しく踏み潰す。

ドシン!と凄まじい轟音と共に、頭上でメリメリと木が悲鳴をあげる。ガルムは開けた場所に躍り出た直後、ずずん、と地響きが森を揺るがした。

背後に立っていた樹木を、頭突き一つで突き飛ばし、根ごと倒してしまったのだ。

地面と川の一部が抉れ、みるみるあたりは水浸しになっていく。

えぐれた土は固まって土の礫となり、バンボアが蹴り上げることで礫の弾丸が次々と、砲撃もかくやの速度でガルムを叩き落とさんとする!


「おおっと。グリファントの蹴りも中々だが、こいつの突進も相当だな」

「ブフゥウウーッ、グルル、フシュウーーーッ!」

「……武器は野暮か。来い!身一つで倒してくれる!」


最低限の動きだけで見切るが、弾丸の風圧だけでも、常人なら吹き飛ばされるだろう。

バンボアは礫の攻撃がきかぬとみるや、鼻息の熱風を巻き起こし、再び澱みない突進。

ガルムはどっしり低く構えると、牙を突き立て襲いくるバンボアをしっかり見据えた。そしてまさに接触するという瞬間、ガルムの両足が地面を踏み締めてめりこみ、更に身を低く構えて、牙に掌を差し出しす。

衝突の轟音があたりに響く。激しく水飛沫と泥が一人と一頭を中心に、噴水の如く巻き上がった。


「ブフォーッ、ブファーッ!」

「はっはっはは!力比べか!良いだろう!」


ガルムはその牙を両手で受け止め、雄猪を押し留めていた。

雄猪は熱風の鼻息を、零距離で吹き鳴らし、ガルムの泥にまみれた髪がたなびく。

両雄、一歩も動かずとはこの事。だが徐々に、ガルムの膂力が、力任せに巨体を押し返し始め……どころか、牙を掴んだまま持ち上げた。

一瞬、体の節々に痛みが走る。体の中に巡るマナが、筋肉や骨を内側から貫き、引き裂くかのようだ。だが、その痛みは寧ろ、ガルムを興奮させるだけ。

バンボアが必死に足を宙で搔くが、地面に触れることはない。歯を食い縛り、持ち上げた巨体を、なんとそのまま力任せに振り回し始める!


「ブギッ、ブヒイ────ッ!」

「う、おおおおおおッ────!」


振り回された巨体が、群生する樹木に次々と叩きつけていく。遠心力のままに振り回し、ガルムの30倍はあるであろう重みの体を、勢いよく宙へと放り投げる!

ここで必ず、仕留める!ガルム自身も跳躍すると、バンボアよりも高く跳び、勢いよく踵落としをその巨体へとねじ込んだ!

回転を付けた蹴撃がもろに直撃し、巨猪はベキボキと嫌な音を立てながら地面へと叩きつけられる。

胴体に足から着地するガルム。バンボアはその重みをもろにうけて、肺を守る強固な骨が次々にへし折れ、一瞬にして絶命せしめていた。


「フウッ!……今の俺様でも、この程度の巨体ならぶん回せるか。こいつも骨はあったが、俺様の強敵たる存在は、当分現れんやもしれんなあ……」


泥だらけのまま、ふうっと楽しげに頬を拭う。だが不満もある。ガルムの想定より弱過ぎたのだ。

周囲は散々たる有様だ。木はへし折れ、地面は陥没し穴ぼこだらけ、抉られた川の水が辺り一面をぬかるみに変えてしまい、小さな魔獣たちの住処も破壊されているという始末。

その上、当のガルム本人は、バンボアとの乱闘で服がボロボロである。だが久々に暴れて、多少なり欲求は発散できた。

……なんだ、なんてことないじゃないか。呪いといっても大したことなどなさそうだ。

匂いにつられてか、ぞろぞろと猿に似た中型の肉食魔獣……たちが姿を見せる。無謀な一頭が群れの先頭に立ち、「獲物をよこせ」と牙を剥き、鼻を赤らめる。

まだ腹の底には、熱が燻っている。吹けば飛びそうなほどの小物たちだが、憂さ晴らしにこいつらも狩ってしまおうか……。

ささやかな悪意が首をもたげた、その時だった。


「ッ……ぐッ!?が、あぐぅッ……!」


刹那、心臓を食い破るような痛みに蹲る。

これまで感じたことのない類の、呼吸が出来なくなるような激痛。歯のある芋虫が身体中を満遍なく這い回り、好き放題に齧り食うかのような不快感と喪失感。

全身が火照り、命を燃やされていくようだ。その残りかすであるかのように、白い煙が肌からじゅうじゅうと溢れだす。

たまらなくなり、そばにあった池に転がり込んむように飛び込んだ。バシャアン!と水柱が上がる。

皮膚の内側から、血管が苦しむ蛇の如く、激しく膨張してのたうち回るさまが見える。ガルムから発せられる熱でみるみる水の温度が上昇し、水面が沸き立ち、熱にやられた小魚たちがぷかり、ぷかりと浮かび上がっていた。


「ッ……ふ、ぐゥッ……!成程……あくまで悪意の伴う敵意は制約にかかる、というわけか……いい趣味してやがる……あっという間に大量のマナが食われちまったな……」


次第に激痛と熱がおさまっていく。

魔獣たちはガルムの気迫におそれをなしたのか、既に姿を消していた。ゆらゆら揺れる濁った水面が、苦痛に耐えるガルムの顔を鈍色に映す。

ふと、ガルムの視線が、水面に映る自身の視線と混ざる。水面のガルムはどこか困ったような、心配そうな苦笑を浮かべていた。

やおら、水面のガルムの唇が、ゆっくり動く。


【かなり痛そうだね、ガルム。僕と代わるかい?】

「……黙れ、テル!憐れむような目で見るな……失せやがれッ!」


ガルムは舌打ちするや否や、水面を右腕で、激しく殴りつけた。水底まで穿たれた衝撃が、池の水や小魚や水草を吹き飛ばし、ばらばらばら……と天上から降り注ぐ。

池だった場所は一瞬にして枯れてしまい、大穴だけが残された。

当然ながら、騒ぎを聞きつけて駆けつけたステラとヴィオが、顔を真っ赤にして怒り狂ったのは言うまでもなく。


「はー、あんなに大量のスライムが出るなんて聞いてないわ。えらい目に遭っギャーッ露出狂!」

「ちょっ、んなッ、何があったのよこれえッ!?どこから口を出せばいいのか!んもう、とりあえず服きてください!」

「おお、ステラ。バンボアの牙手に入れたぞー。ちくとばかし空き地を作ってしまったがな」

「ああもうまた派手に暴れて!呑気に言ってる場合ッ!?ちょっと目を離したらすぐ何もかも滅茶苦茶にしちゃうんだからッ!っていうか服着て!」

「そう怒るな。後で川の流れくらい元に戻してや……」

「まずお尻を隠せと言ってるのよ!この、露出魔──────ッ!!」


ステラの渾身の絶叫が、森じゅうの木々を揺らす。

そして頭上から落ちてきた無数の木の葉の群れが一斉にガルムへと密集していき、木の葉の塊に変えてしまったのだった。

後から駆けつけたマグニは、首を残して真緑のまん丸なオブジェと化したガルムと、ぷりぷり怒るステラとヴィオを交互に見やり、困惑するばかり。


『……旦那ァ、なんで木の葉責めを喰らっているンです?』

「金持ち気取りの家にある、中庭のださいオブジェみたいね」

「どうも、おひいさまは虫の居所が悪かったらしい。おい、いい加減出してくれ」

「さっさと服を着て、それから水場をなんとかしなさい!ギルドの人達に叱られるのは貴方だけじゃないのよ!」

「はいはい。ったく、ちょっと暴れただけですーぐコレだ」

「ギャーッ!なんで本当にズボン履いてないのよ!ガルムの変態!」

「履いてないんじゃない、破けたんだ。おいマグニ、俺様のマント取ってくれ」

「あ、はい……ひとまずあっちの茂みにいきましょっか……」


その後、結局ステラの主導で池やえぐれた地面を日が暮れるまで戻し続け、死んでしまった小魚たちは料理なり醤漬けの保存食なりにして、ギルドの面々に配ろう、ということで手打ちとなった。

誰も未だ討伐できなかった、巨大なバンボアの骸を前に、冒険者たちやコウ・リウランは絶句していたものの、依頼人である開拓団のメンバーからは「これでやっと湿地に手を入れることが出来るよ!恩にきる!」とたいそう感謝されたので、まあ、結果オーライなのだろう。


「で、マグニ。スライムはどうなった。手懐けられたか?」

「チチフが嫉妬して次々スライムに噛みついちゃうんで、今日は駄目でした……」

「チフッ!」

「先は長いわね~」



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