27話 君と共に
「……青い、薔薇……?」
マグニは一瞬、己が咲かせた花を見上げ、呆気にとられた。
自分たちに襲いかかった根の脅威は、美しい青を讃えて洞窟を彩り、自分たちを見守るように枝垂れている。露に濡れる花びら一つ一つが、少年を祝福するかのようだ。
はやる鼓動を律して、ゆっくりと剣を握りしめたまま、マグニは根の卵の残骸へと歩み寄る。塵となった根の残骸を踏みしめると、乾いた音を鳴らして塵は消えていく。
根の中には、石の棺が埋もれていた。重たい棺の蓋をそっとこじ開け、……一同は、沈黙した。
「…………そんな。神様、こんな……こんなに惨い事って……」
モルトーは膝をついて突っ伏し、項垂れる。
最初は、枯れ木かと見紛うほどだったし、ただの枯れ木だと思いたかった。
黒ずんで水分のない、老女のように皺だらけの萎びた肌。肉もなく、肌が骨に直接べっとりとへばりつくかのように体は痩せ細り、ぼろぼろの端切れのみを纏っている。
きっと元は艶やかだった長い髪も、ごわごわに渇いて、どうにかサクラ色だと分かるくらいに土の色へと変色してしまっている。
認めたくないが──無惨にも変わり果てた、ヴィオレッタその人が眠っていた。百年もの間、愛しい人を待ち続けて。
モルトーは肩を震わせ、嗚咽し、やがて慟哭へと変わる。頬を伝う涙には、彼とヴィオレッタの想い出が混ざり合っていた。石の床が、滝のような雨を吸い込んでしとどに濡れる。ステラは労るように、騎士の肩を優しく撫でた。
「文字通り、百年も土の養分になっていれば、無事でいられるわけがない。萎びていようが、姿がしっかりある分だけまだマシな方だろうな」
「ガルムッ!モルトーさんがどれだけ傷ついていると思って……!」
「……いえ。いえ、いいんです、ステラさん。旦那の言う通りだ、まだ体がちゃんと残ってるだけでも……マシってもんです……せめて、……せめて、陽の差す場所で……弔わせてください……」
溢れ出る涙を腕で拭い、モルトーはヴィオレッタに近寄ろうとするが、マグニの腕に制止された。
マグニだけは違った。誰もが生存を諦めるであろう少女の姿を前にして、その銀の瞳には一種の高揚と、希望の色で溢れている。
何を、と困惑するモルトーの肩をガルムがしっかと掴んで、「黙って見ていろ」と囁いた。マグニとガルムの顔を交互に見やり、モルトーは唇を噛みしめる。
「モルトーさん。僕はヴィオレッタを助けたいって気持ちは、まだ変わらない」
「……坊ちゃん、気持ちは嬉しいんですが、こうなってしまっては、もう……」
「僕を信じて」
マグニはヴィオレッタから視線を外さないまま、力強く言葉を刻む。
「《《僕が彼女を救うんだって、他ならぬ貴方がそう信じてくれるんでしょう》》」
モルトーは少年の内から溢れる力強さに、言葉にのせられた言葉の重みにただ、圧倒された。ゆっくり祈るように目を閉じて、首を縦に振る。少年にとっては、それだけで意思表示は充分だった。
少年の掌が、モルトーの手が、萎びた少女の手と重なる。壊れそうな体を、ぼろぼろの少年の両腕が優しく抱き上げた。その様子を覗き見るように、葉の擦れ合う音を震わせながら、天井の薔薇たちが徐々にその首をのばし、花びらの雨が少年と少女、そして騎士を包み込んでいく。
無数の茨が天井や壁に突き刺さり、時折どくん、どくん、と脈動する。心の臓を巡る血管を思わせた。その様子を、ステラとモルトーは不安げに見守る一方で、ガルムは唇の端を吊り上げ、食い入るように見つめていた。
「魅せてみろ。お前の奇跡を」
◆
──少年は光の中にいる。穏やかな春の日差しのような、あたたかな場所だ。
かぐわしい花の香りに包まれている。瞬きすると、足元に、薄紫色の星の形をした、可愛らしい小さな紫星花の花畑の中にいた。
青い空の下で、少女がたった一人、花をつんでいる。懐かしさを覚える歌を口ずさみながら、花冠を編んでいる。
「ヴィオレッタ。迎えに来たよ」
マグニの口が、少女の名を呼ぶ。ぱ、っと少女が嬉しそうに顔をあげるも、マグニの顔を見て、寂しげな落胆の表情を見せた。
マグニの側にいたモルトーが駆け寄って、「ヴィオレッタ様」と声をかける。だが一歩ずつ近寄る毎に、その体はボロボロと劣化して崩れていく。
しまいには足を失って、ばたりと倒れ込んでしまった。ヴィオレッタはそんなモルトーを抱き上げると、「お帰りなさい」と微笑んで、そばに座らせて、また花冠に視線を落とす。
マグニは花を踏み潰さないよう、ゆっくり歩み寄って、少女ヴィオレッタの前に片膝をついた。ヴィオレッタは結んだ髪を軽く揺らして、ぐずるように小さく呟いた。
「あの人が迎えに来るまで、待ってるもん。モルトーが言ってたでしょ」
「はい、ですが……ヴィオレッタ様。もう、貴女は充分に待ちました。もう良いんですよ。ここに留まらなくても、いいんです」
「ずっと閉じこもっていても、あの人には……王様には、会えないよ」
「あの人が!迎えに来てくれるって信じてるんだもん!絶対見つけてくれるって、モルトーが言ってくれたんだから!信じないといけないの、私が……私だけは!でなきゃ、モルトーの百年を無駄にしてしまったことになるじゃない!」
ヴィオレッタは花冠を握り潰し、叫ぶ。大粒の涙がはらはらと肌を伝って、手の先から、少しずつ萎びた黒色が少女の肌を侵していく。
モルトーはショックを受けたようで、黙り込んでしまった。自分が枷をつけてしまっていた事実に、打ちひしがれている。
少しずつ色褪せていく両手をマグニは優しく握って、萎びゆく体を優しく抱きしめる。堰を切ったように泣き喚く少女頭を撫でるうちに、ヴィオレッタの肌が瑞々しい肌を取り戻していき、代わりにその体は縮んでいく。
「ねえ、ヴィオレッタ。王様を、探しに行こう」
「……いやだ……外は、怖い……」
「僕たちが守るよ」
「私、怖いの。もし、もう王様が、どこにも居なかったら……私を忘れていたら……もう二度と会えなかったら……どうしようって……」
「王様は、君を忘れるはずがない。だろう?君を愛してるから。きっと、必ず君を探してる。君に会うために、きっと今でもどこかで、生きてるはずだよ」
「…………ひとりは、いやよ……」
「僕たちが一緒だよ。モルトーさんも一緒だ」
「えっ?」
今度はモルトーが驚き、疑わしげにマグニの顔を覗き見た。
マグニは微笑んで、崩れていくモルトーの手を握りしめる。途端、騎士の体の崩壊が止まり、少しずつ輪郭を取り戻していく。己の体を見下ろして、言葉を失うモルトーに、マグニはしっかりと言葉を紡ぐ。
「貴方も一緒に、行こう。騎士は姫を守るものでしょう?」
「だが、私は……迷宮の一部だ。一緒には行けない」
「来るんですよ。僕たちと一緒に。迷宮深殿は……踏破者の命令に従う。そういう誓約だと教えてくれたのは貴方です」
重たく見えない枷が、軽やかに砕け散る音を聞いた。やおら、マグニの懐がモゾモゾと動いて、プハ!とチチフが顔を出す。
ヒクヒク鼻を動かして、モルトーに駆け寄ると、「チフ!」と鳴いて短い前脚でぺしぺし叩く。その様子をモルトーはボンヤリ見下ろして、「良いのか?本当に?私も一緒に行っていいのかい?」と声を戦慄かせると、安らかな顔でその場に蹲り……チチフの中へと、消えていく。代わりに、チチフの額にポッコリと、小さな銀色のマナ・クォーツがくっついていた。
ヴィオレッタは驚くやら戸惑うやらで、眉尻を下げてマグニの顔を見上げる。
「……どうして、そんな風に私たちを受け入れられるの?貴方は……私たちとは、何の繋がりも、関係もないのに。ただ巻き込まれただけなのに」
「どうしてって」
マグニはそんな風に問われて、困ったように笑った。
脳裏をよぎるのは、あの月の夜。初めてガルムに出会った時の、あの眩しい月と、頬を撫でる夜風の冷たさ。自分をまっすぐ見つめる、金色に輝く瞳。
あの日どうしてだか、彼はマグニを探して、見つけ出してくれたような、そんな気がしたなんて──今になって、そんな風に思えたから。
「君を助けたいって、その願いを叶えたいって思っている人が、ここにいるから」
「…………貴方って、もしかして考えなしのお人好しなの?」
「そうかもね。ううん、そうじゃないかも」
「変な子」
少女はやっと、ぎこちなく噴き出した。小さな手がマグニの背に回された。
空の青が、花びらのように剥がれ落ちていく。天上から茨がゆっくりと降りてきて、二人の体を優しく絡め取った。
マグニはしっかり茨を握りしめ、「一緒に行こう」と微笑む。ヴィオレッタもゆっくり頷いて、しっかりと少年にしがみついた。
体が引き上げられていく。目の前の幻想の世界は、ゆっくり崩れ消えていく。少しだけ名残惜しそうに、少女は己の創り上げた夢の世界を一瞥して、少年の胸に顔を埋めるのだった。
「今まで、ありがとう。──さようなら」
◆
マグニが再び目を開けると、木製の天井が視界に映った。
背中が柔らかい。冷たいシーツの匂いがする。かなり質の良いベッドであることは確かだ。
ここはどこだ?ヴィオレッタとモルトーは?ガルムたちは?迷宮深殿はどうなったのだろう。
思わず立ち上がろうとし、全身を引き攣るような痛みが走る。「イ"ッ!?」と情けない声をあげて、ぼふんと再びベッドに倒れ込んだ。
「やっと目が覚めたか」と横から聞き慣れた声がして、首だけを動かすと、椅子にふんぞり返ったガルムが見下ろしている。
「ガ、ガルム様。ここは?」
「コマタの宿だ。あの後、迷宮深殿が崩壊してな。脱出した」
「そう、だったんですね……ヴィオレッタとモルトーさんは!?」
ガルムはクイッと親指で隣のベッドを指差す。
どうにか上半身を捻って視線を向けると、ステラに看病されている、幼い少女が眠っていた。髪色や顔立ちからして、幼いヴィオレッタに相違ない。目を丸くする少年に、ガルムが語る。
「小僧が咲かせた花が全て散ると、あの幼い小娘がいた。同時に迷宮が崩壊を始めたんで、ひとまず壁や天井を全てぶっ壊して出てきたんだ」
「(相変わらず全てを腕力で片付けてる……頼り甲斐しかないけど……)」
「ともあれ。中々面白いものが見れた。なあ?騎士よ」
ガルムが愉快げに声をかける。その視線の先はマグニの胸の上、ちょこんと居座るチチフだ。
頭には相変わらず銀色のマナ・クォーツが、飾りとなってしっかり頭にはまって、きらきらと朝日を受けている。
心配そうに顔を覗き込んでいるので、いつも通りに頭を撫でようと、痛む腕を持ち上げた時だ。
『色々と迷惑をかけやしたね、坊ちゃん』
「…………………………………は?」
愛らしいチチフの小さな口から、渋く低い声が出てきた。
混乱のあまり固まるマグニ。チチフはチョロチョロと胸の上を回ると、申し訳なさそうに後ろ足で立ち上がる。
『驚くのも無理ないか。私です、モルトーです』
「は、はあ……って、モルトーさん!?か、体は!?」
『そりゃ百年も経ってますから、流石に壊れちまったんでしょうね。でもチチフの嬢ちゃんが私を迎え入れてくれたんです。
だから魂だけは、このの身体に乗り移って、体を分かち合ってる状態なんです。
本来ならあり得ないこと、なんですがね。これも勇者の奇跡がなせる業なんでしょうか?』
事実を理解するためにたっぷり時間を要した後、マグニはすっかり脱力して、肺の中の空気をたっぷり吐き出すほどの溜息をついた。
モルトーは安心させたいのか、「チチフの嬢ちゃんの負担にゃなってないようですがね」と慌てて付け加えると、まるで人間と同じように足をそろえて向き直る。
『魂だけの身じゃあ、なんの手助けにもなれやしないとは思いやす。
ですが坊ちゃん、貴方たちのお陰でまた希望を持てた。人生の続きをまた歩めることを、心から感謝しやす』
「いやそんな。感謝されるようなことじゃ……」
『いえ、胸を張ってください。貴方は迷宮深殿を突破して、ヴィオレッタ様も私のことも救ってくださった。坊ちゃんは立派な英雄、いえ……勇者です。本当に、本当にありがとう』
「チフ!」
チチフの口からもやっと、チチフ自身の嬉しそうな鳴き声が飛び出した。
『ありがとう』。その言葉にじいんと、胸が熱くなる。
感謝をされたのは、これで二度目だ。ゆっくりと腹の奥から、叫びたくなるような喜びで満たされていく。
また、瞼ががくっと重たくなった。近寄ってきたステラが「あれだけの大冒険だったんだもの。もう少し休んでね」と、マグニの瞼に暖かな掌をのせる。マグニは首を僅かに振って、安らかな顔で、柔らかな眠りに包まれるのだった。




