迷宮の決着
モレーノが受けたダメージと対象が放つ異質な圧から、俺は焦る。
舞い散っていた灰が消え、姿がはっきりと現れた。
なんだ!? まさかゆう……
え? 誰? というよりキモチワルイ。
目の前の光景を信じることが出来ず、行動が数舜遅れる。
赤竜だった灰の山に人間大の竜が立っていた。
短い両足を地面に着け、飛ぶことを放棄した羽は最小限の大きさに縮んでいる。
頭は竜のままなので、体が異常に小さく見える。非常にバランスが悪い。
まるで爬虫類が人へと進化しようとしている途中のような、異形の生命体だ。
それでもあれは赤竜なのだろう。
赤竜が大きな口をあんぐりと開け、喉奥に棘を見せた。
「勇の盾!」
出し惜しみをしている場合ではない。
両手を前に出し、白光の壁を作り出す。
赤竜から飛んできた棘はそれに衝突し、罅を付ける。
おいおい、まじかよ……
俺が人間として出せる最強の防御魔法だぞ……
「フォス、ありがとう。恥ずかしいところを見せてしまったね」
「モレーノさんは治療に専念してください!」
腹部に刺さった棘を抜き、赤竜に向かおうとするモレーノを全力で止める。
彼女の傷口は溶岩のように泡立っていて、少しづつ体を蝕もうとしていた。
魔物が会話を待ってくれるはずも無く、俺の視線が逸れた瞬間に棘を吐きだした。
棘は少女を狙う。
魔法を……間に合わない。
コンマ数秒にも届かない時間の中、俺の思考は巡る。
使うか? 魔王としての力を。
使ったとして、その後どうやって誤魔化す?
モレーノと少女は良い人だと分かっている。
でも、それとこれとは話が違う。これは魔族と人間の問題なのだ。
今後の平和のため、ここは……
ああ、くそっ、見捨てられるわけ無いだろ!
魂の奥にある自身の”魔”を一部開放する。
俺の目が黒色に染まりはじめ……
「オラァ!」
モレーノが気合の掛け声とともに、握った斧で飛んできた棘を打ち返した。
「ドンピシャだぜ! ぐはっ」
はじき返された棘に当たった赤竜は、衝撃波と共に壁へとめり込んだ。
赤竜がカウンターで受けたダメージは相当なものだったようで、片腕を失っている。
それでも立ち上がり、こちらに向かおうとしてきた。
「勇の盾、6枚!」
俺は光の壁で赤竜を囲んだ。防御魔法の応用だ。
「これでしばらくは持ちます」
赤竜は壁を壊そうと棘を打ち続ける。
「フォスには助けられてばっかりだな。俺としたことが情けない。油断した」
「大丈夫です。きっと助かります」
膝をついているモレーノに回復魔法を使っても、傷が塞がらない。
隣にいる少女も必死に魔法をかけている。
「まさか……これは……」
「ああ、私の魔力が書き換えられている。強制的な変異だ」
モレーノの魔力情報自体が書き換えられていた。
魔力とは個人を形成する万物の元にして、この世界に一つとして同じ質を持つものはいない。
彼女は現在進行形で”モレーノ”では無くなろうとしていた。
「それではもう……」
「あいつの核を壊さなかった私のミスだ。少女を連れて逃げろ」
モレーノの左目に付けていた眼帯が外れ、黄金の瞳が露になっていた。
きっと、奥の手があるのだろう。
はあ……もうメチャクチャだ。
なんでこんなことになったのだろう……
こっちは人間としての初戦闘だぞ。
「いえ、問題ありません。私がやります」
モレーノと少女の周りを光の壁で囲み、赤竜に向けて歩き始める。
「何をしているフォス!? 君たちはにげ……」
「モレーノさん忘れたんですか?」
俺は振り返り、精一杯の笑顔を見せた。
「私は”勇者”ですよ」
ちょうど背後の赤竜が壁を壊し、光の壁が破片となって空中を舞った。
トカゲのくせに良い演出をしてくれる。
俺に向けて棘が放たれる。
余裕をもって光の壁を展開させた。
続けて棘が放たれる。
え? それしかできないの?
煽りにも似た表情を浮かべて防御しながら赤竜へと歩く。
こいつ、そんなに強くない。
気味の悪い見た目に騙されていたか。
”力”を使わざるを得ないかと覚悟していたんだけどな。
またもや棘が放たれる。
俺は魔法すら展開しない。頭を傾けて躱す。
そういえば魔界でもいたな、こういった魔物が。
昔実施した”魔界のお掃除大作戦”という企画を思い出した。
討伐した魔物の強さによってポイントを振り分けて、上位の参加者には俺の手料理を振舞うという、楽しい催しだ。
俺が自分の仕事をサボりたかった訳では無い、決してだ。
魔物の核は周囲の情報を読み取って形を変え、体を再構築させる。非常に稀にだが。
この赤竜レベルでの変化は見たことが無かったから焦ってしまっていた。
人間界の赤竜といったことが関係していたのか。
赤竜の赤は生命の赤、か……イチゴドラゴンとかにしてくれよ……
赤竜は凝りもせず棘を放ちつづける。
モレーノに炎が効かなかったことから学んだのだろうが、非常につまらない。
ついに俺は赤竜が触れられる位置まで近づいた。
赤竜は動かない。
情報の処理が追い付いていないのか。無理もない。
俺は即死技を恐れもせず、淡々と歩いていたのだ。
赤竜が口を開ける。
俺は右手を口の中に突っ込んだ。手のひらに棘が刺さる。
赤竜は言葉など話さないが、もし人間だったら『勝った』とでも言っていたはずだ。
ここならバレないか。
それに勇の盾には魔法を防ぐ効果があるからし、大丈夫だろう。
俺の両目が漆黒に染まり、瞳の紅が妖しく光る。
魔物風情が、誰が相手だと思っている?
──我は”魔の王”ぞ。
「勇の炎」
白青色の炎が赤竜を体内から燃やす。
魔王としての力を一部使った魔法は、その場に塵一つ残すことが無かった。
感情の無い目で核が消えるのを見届け、モレーノと少女の所に戻る。
「ははは、流石勇者様だね」
弱々しい顔で笑顔を見せるモレーノ。
俺はいつもの勇者の顔で、彼女の右手を握る。
俺の手は綺麗に治っている。
本当に不甲斐ない……
「モレーノさん、楽しかったです」
俺は魔王だ。
不変で不滅で不老で不死なのだ。
今までたくさんの命を見送ってきた。
慣れたくもない感情が涙として溢れ出る。
「フォス、最後くらいは笑顔で送ってくれよ。ほら、ふたりとも」
俺は隣で泣いていた少女と共に、モレーノさんに抱きよせられた。
「また会おうな」
「はい。平和な世界で」
俺は振り絞ったように笑みを作る。
俺は目指す。魔族と呼ばれる魔界に住んでいるだけの人、人間と呼ばれる人間界に住んでいるだけの人、姿かたちが違うだけで区別されない”人の世界”を。
さようなら、良き人よ……
「あ、ああ゛……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
モレーノの息が途絶えそうになった時、少女が叫び始めた。
俺とモレーノは発生した突風によって地下空間の隅に飛ばされる。
何が起こった?
普通の攻撃ではない。
俺の意識が飛んでいた。
気がつくと俺の隣には、全身の傷が治ったモレーノがいる。
そして何よりこの感じは……
「これは、どういうことですか!?」
俺は大声で叫ぶ。
空間の中央で、少女はうめき声をあげて苦しんでいた。
「くそっ! 俺の命で済む問題だったんだ。俺のバカ! こうなると心のどこかでは分かっていただろ!」
モレーノが黄金に輝く左目を見開き、少女を凝視している。
俺の声は聞こえていない。
「この力でも封じられないのか!」
モレーノの左目から血が流れ始める。
「モレーノさん! 説明してください!」
吹き荒れる暴風の中、俺はモレーノに掴みかかった。
これは異常だ。何より状況が読めないことには対処の仕様が無い。
「あの娘は……人工的に作られた”聖女”だ」
「人が作ったって……」
「強大すぎる魔王に対抗するため作られた”女神の再現”。神族の細胞を埋め込まれた子供だよ……」
「なんてことを……」
人間はなんということをしたのだ。
無垢な子供だぞ。
「器が耐えられなくなって暴走が始まってしまった。そのための俺なのに……ちくしょう!」
モレーノの自責にも似た説明が終わる前に、俺は躊躇せず少女へと向かった。
吹き荒れる暴風は聖のオーラ、俺の魂と対になるものだ。
それでも俺の中の怒りが痛みを忘れさせる。
「よせ! いくら君が勇者だからって、この聖力には耐えられない!」
モレーノの叫びを無視して進む。
やっぱり痛い……痛い痛い痛い痛い。
俺の中にある”魔”をぶつけて無理やり”聖”を中和する。
身を削られるような痛みに耐え、一歩一歩少女へと近づく。
強すぎる聖のおかげで、魔が気づかれることは無いはずだ。
永遠とも思える時間の後、少女の前へとたどり着いた。
「大丈夫。あなたの全てを私は受け入れるわ」
少女をぎゅっと抱きしめて頭を撫でる。
俺の服は破れ、肌はところどころ焼けていた。
「あなたの苦しみ、悩み、そして使命、全部私のものよ」
俺の脳裏に浮かんだ遥か昔の記憶。
『生まれ変わってもまた、僕と遊んでくれるよね?』数百年前のことなのに、消えることのない言葉。
利用され、蔑まれ、そして命を落とした人間の友達。
魔族だ人間だ? もうウンザリだ。
「いろいろ言葉はあるけれど……」
俺は少女の頬を両手で包み込み、傷だらけの顔で笑顔を見せる。
「この世界って、クソでしょ?」
辺り一帯が晴れ渡り、天から光が差す。
吹き荒れていた嵐は過ぎ去り、世界に安寧が戻ってきたようだった。
少女が泣きながら俺に抱き着いてくる。
俺は頭を撫でるしかできない。
「大丈夫か!?」
急いで近づいてきたモレーノが、大粒の涙を落としながら飛び込んでくる。
「ふたりとも……ありがとう……」
俺と少女とモレーノ、三人は抱き合っていた。
ああ、この感情は大好きだ。
とても温かい……
しばらく経った後、モレーノはいきなり真剣な顔をした。
「フォスは重症じゃないか」
「問題ありません。このくらいなら自分で……」
最上級の聖属性魔法を当てられ続けていたのと同じだった。
正直に言うと、座っているのも精一杯だ。
「大丈夫大丈夫、もしもの時のこれだから」
モレーノは俺を横に寝かし、小瓶を取り出す。
それって、まさか、聖水!?
少女も手をワキワキさせて、俺に迫る。魔法を使う気だ。
うん、俺死んだかも……
「痛い痛い痛い痛い、まじで痛いって」
「少し染みるかもだけど、我慢してね~」
大丈夫だから。聖水や魔法が無くても治癒できるから。
魂が削られる音を聞きながら、俺は最後まで我慢するしかなかった……
俺は何とか聖属性の波状攻撃を乗り越え、孤島の端で帰還するための船を待っていた。
「クレ……」
「ん? どうしたの?」
声が聞こえる。
少女からだ。
「わたし、なまえ、クレリクス……」
「!? ありがとう」
しゃべれるのか!? というより……
この娘があのクレリクスだったのか……
前世で、魔王である俺を苦しめることになった唯一の人間。
勇者以外に興味が無かった俺が、焦りまくって醜態をさらした要因だ。
えっと……その……痛いです……
クレリクスのキラキラした目と彼女が発する聖のオーラに、俺は再度魂を焼かれることになった。
「クレリん、しゃべれるようになったんだね~。偉い偉い」
クレリん……
そして素に戻ったモレーノが、クレリクスに対してデレデレしている。
元はといえば俺の監視だったはずの聖騎士の顔は、今にも溶けそうだ。
俺はこの後ふたりと別れてしまう。次会うのがいつになるかは分からない。
でも、この人がいるなら大丈夫だろう。そう思うくらいにはモレーノを信頼していた。
心配する相手が敵であるのに、俺の心は安堵する。
後はエクテへのお土産を買って帰るだけ。
俺の計画に支障なし、だ。