銀色の子供2
狼にも似た銀髪の女性は近寄りがたい雰囲気を纏っている…そうユキは思った。
氷のように透き通っていて…そして氷のように冷たく鋭い。
近づけば喰いつかれ、氷柱のような牙で肉を千切られ「中身」を引きずりだされてしまいそう…そんな恐怖を感じる。
だが同時にそんな恐怖を纏っているからこそ綺麗だとも思える。
とにかく不思議な存在だった。
しかしなんにせよユキの脳裏に浮かんでいたのはこの場から立ち去るべきだという考えだ。
このままここにいれば殺される。
そうでなかったとしても…こんな神聖な雰囲気が満ちた場所に自分のような存在がいるべきではない。
恐怖と場違い感がごちゃ混ぜになり、脚が震えた。
だから無意識に隣にいたカナレアに手を伸ばすが…その手が届くよりも先にカナレアは走り出してしまった。
「おーい!ママおきろー!いぃーつまでねてんだぁー!」
ものすごい勢いで走り出したカナレアはソファーの前方数メートルほどで飛び上がり、その上で眠る銀髪の女性の腹に目掛けて墜落した。
衝撃はソファーにも伝わり、ギシッ…!と音をたてる。
「あ…あわわわ…」
どう考えても冗談で済む一撃ではなかった。
小さな子供とは言え、かなりの勢いがついての一撃を腹に受けては間違いなく内臓にダメージを受けるだろう。
その後に起こるであろう悲惨な状況を想像しユキは目を閉じた。
…しかしどれだけ時間が経とうとも外の冷気が流れている教会内では何も起こらず…恐る恐る目を開くと銀髪の女性と目が合った。
「っ…」
眠たげでありながら、しかし切り裂くような鋭さを持った瞳がユキの姿を捉えている。
まるで蛇に睨まれた蛙のように…ユキはその場から動けなかった。
「おぉ?やーっとおきたかー?おはんーママ」
「…」
女性は何も言わない。
腹部にかなりのダメージを受けていたはずだが、なにも起こっていないかのように…ただ静かだ。
「あ、そうだ。あの子なーユキって言うんだってー。また投げ込まれてきたんだけど生きてたんだっ!すごくないかー!?そんなわけでユキは私ちゃんの妹にするからー。いいよなーママー」
「…」
銀髪の女性は腹の上で喋るカナレアの言葉に一言も返さない。
呼吸をしているのかすらわからないほどに口が動いていない。
やがて女性はユキから視線を外すとカナレアの事も気に留めないまま再び目を閉じてしまった。
「ありゃ…また寝た…だーめだなこりゃっ」
カナレアは女性の腹からぴょんと飛び降りるとユキの手を引いて別の部屋に連れていく。
ここに来てからの全てをいまだに頭の中で処理できていないユキは手を引かれるままに歩いていき…大きなテーブルが置かれている部屋にたどり着いた。
「ほらーとりあえずそこ座っとけー」
「あ…はい…」
「はい?おーいそんな敬語なんて使うなよーむず痒いぞっ」
「ご、ごめん…」
勧められるままにテーブルの前に置かれた椅子に座っているとカナレアが奥から何かを引っ張り出してきてテーブルに置く。
それは…鍋に盛られたスープのように見えた。
しかし湯気のようなものは立っておらず、よくよく見てみると凍っているように見えた。
「え…これ…?」
「昨日のご飯の残り―。余り物でごめんだけどお腹空いてるだろー?早くたべたいだろー?…とりゃっ!」
カナレアが左手を顔に当てながら奇妙なポーズをとり、右手をスープに翳す。
すると凍っていたスープの表面が波打ち、個体から液体に変わっていき…やがて美味しそうな香りと共に湯気が立ち昇る。
「よぉしうまくいったっ。ほんじゃあこれをお皿に盛りつけてー…ほいどうぞっ」
スープが注がれた皿がユキの前に置かれ、続けて自分の分を注いでカナレアは食事を始めた。
だがユキはもじもじとするばかりでスープに手を付けようとはしない。
「おん?どうしたんだー?嫌いなものでも入ってるかー?」
「う、ううん!ちがくて…」
「?じゃあはやくたべろよー。冷めるぞー?まぁまた温めればいいけどさっ」
「でも…私なんかが…それに勝手に食べたらあの狼さん怒るかも…」
「んん?私なんかってなんだよー。それに狼さん?…ママの事かー?なんでユキがご飯食べてママが怒るんだよー」
「勝手に人の家でご飯食べたりしたら…おこると…おもう…」
「人の家じゃないだろーっ!ユキは私ちゃんの妹になったからこの家の子!」
「そ、それさっきも言ってたけど…そんなこと急に言われても…それにあの狼さん…了承してなかったし…」
ユキはとにかく怖かった。
あの銀髪の女性の不興を買うのが恐ろしくて仕方がなかったのだ。
思い起こされるのはここに来る前の生活。
理由は分からない。
しかし周りにいた大人たちはユキが勝手に何かを食べると火が付いたように彼女を怒鳴りつけた。
与えられていたのは最低限の食事…辛うじて生をつなぐことのできる程度のそれだけで、常にユキは空腹だった。
それに耐えられず、盗み食いをしようものなら悲鳴も上げられなくなるまで叩かれ、もう二度とそんな真似をしないように恐怖と痛みを結び付けられた。
だからユキはどこにでもある雪を固め、それを齧って飢えをしのいだ。
当然、それも見つかればただでは済まない…ユキにとって食事とは常に恐怖と隣りあわせ。
だから目の前のスープをどれだけ体が欲したとしても、刻みつけられた痛みがそれを押さえつける。
「わーけのわかんないこと言ってんなよー。しかたがないなー…ほらぁアーンしろー」
「え…」
カナレアが匙でスープを掬い、ユキの口に向かって差し出す。
たとえ匙の一掬いだとしてもほわっと香る匂いにユキの腹が鳴る。
「私ちゃんがお姉ちゃんだからな―妹の面倒は見てあげないとだからなーしかたがないからなー」
「うぅ…」
それでもユキはそれを口にはしなかったが次の瞬間、カナレアがユキの口の中に無理やり匙を差し込み、スープを飲ませた。
口の中に暖かなものが広がっていく。
「おいしい…」
「そーだろー?じしんさくっ!」
ひとたび口にしてしまったらご飯を求めていた身体は止まらない。
今までの足りていなかったそれを補うかのようにユキはスープを自ら口に運び続けた。
やがて自分に継がれたスープを全て飲み干し、物足りなさを感じていたところ何も言わずカナレアがお代わりを注ぐ。
もしかして顔に出ていただろうかと気恥ずかしさを感じながら匙を再び手にしたところで…テーブルに影が落ちていることに気が付いた。
誰かが背後に立っている。
カナレアではない。
なぜなら彼女は向かい側に座っているのだから。
ならば…。
「おおっ、こんどこそ起きたか―?ママー」
「ひっ…」
「…」
背後に立っていたのは銀髪の女性。
鋭い瞳がユキの姿を捉え、次にその手元にあったスープに移る。
サーっとユキノ顔から血の気が引いていき、次の瞬間には反射的に頭を下げていた。
とにかく謝らないと…そうは思っても言葉が出ない。
すっと女性の腕が動く気配がした。
(叩かれる…!)
そう思い目をぎゅっと閉じてくるであろう衝撃に備えたが、いつまでたってもそれは訪れない。
やがて女性の気配がユキの背後から移動していき、がたりと近くの椅子が引かれた音がした。
恐る恐るそちらを見ると女性は静かに皿に盛ったスープを飲んでいた。
「二日目だから悪くなるかなーって思ってたけどママが凍らせたから新鮮だったな―。これなら今度から作り置きしておくのもありだなっ」
「…」
「西の方にあるあの果物そろそろ収穫できそうだったからあとで行ってくるけどママもくるかー?」
「…」
「そーいえばさー向こうの道のところそろそろ雪かきしないと危なくなってたなー。あとでやっとかないとだなー。ママがやるかー?まぁすぐに使う道でもないからゆっくりでもいいんだけどさー。ほらあっちの方じゃないとお肉の調達がめんどくさくなるじゃんー?冷凍してるのがまだまだあるけど不安ちゃ不安だよなーっ」
「…」
一人で喋り続けるカナレアだったが、女性はそちらに一瞥もくれることはなく、淡々とスープを口に運ぶだけで声を出すことすらしなかった。
どう見ても無視をされているようにしか見えないが、それでもカナレアはずっと楽しそうにしゃべり続けている。
やがてスープを食べ終わった女性は静かに立ち上がり、来た道を戻って行ってしまった。
「明日のご飯の用意と洗い物はママの当番だからな―。そして逆に言えば今日は私ちゃんの当番だっ!」
ぱたぱたと食事の後片付けを始めたカナレアの後をついていき、なんとなく手伝うユキだったが先ほどの光景を思い出し、つい疑問をぶつけてしまった。
「あ、あの…なんか…無視…されてた…よ、ね…?」
「んん?あぁママ?無視って言うか…無口なだけだぞー。あれでもちゃんと話は聞いてるんだー」
「そ、そうなの…?」
「そうなのー。てかさっきからずっとママのこと怖がってるけど、そんなびくびくしなくていいぞー。ママは優しいからな―」
とてもそうは思えない。
喉まで出かかったその言葉をユキは飲み込む。
話は聞いていると言われてもやはり無視をされていたようにしか思えず、優しさを見出すことなどできなかったから。
「…そもそもママが怖い人で怒ってるならさっき怒ったはずだろー。でも別にユキがご飯食べてても何も言わなかったろー。そう言うことだってー」
「…うん」
確かに結局さきほどユキは何も言われることもなければ手を出されることもなかった。
知らない子供が家で食事をしているにもかかわらず…まるでそこに誰にいないかのように女性は振舞っていたのだから。
しかしそれはやはり無視されているだけなのではないのか…とどうしても考えてしまう。
「まぁママについてはそのうち慣れるさー。そんなことよりまだ眠くないかー?一か所だけ付き合ってもらっていいかー?」
そう言われてユキが手を引かれ連れてこられたのは…雪が降り積もるお墓だった。




