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争う理由

 白神領の中心に位置する目が眩むほどの白で組み上げられた大きな教会…聖白教会。


その巨大で荘厳さを感じさせる扉をセラフィムがゆっくりと開いた。

ちょうど昼時であったためか教会の大きさに対して人数は少なく…白神領にて最も高い地位を持つセラフィムが現れてもそこまで大きな騒ぎにはならなかった。


それでもセラフィムが横切ればそこにいた人々は頭を下げ、またある者は丁寧なあいさつを口にする。

それらを律儀に返しながらセラフィムは教会の中を進んでいき…とある青年の傍で脚を止めた。


教会に置かれているひときわ大きな白い像に熱心に祈りを捧げていたその青年は、セラフィムの記憶が正しいのならば初めて教会内で目にした人物だった。


旅人だろうか?普段はそこまで気にしないが、なぜかこの時ばかりは無性にその青年の事が気になった。

なにか予感のようなものを感じたのだ。


「…そこのあなた、この辺りでは見ない方ですね。旅の方でしょうか?」

「え、あ…」


よほど集中していたのか、声をかけられて初めて青年はセラフィムがそばにいたことに気が付いたようで、驚いたように目を丸くしていた。

しかしそれも一瞬、彼女がこの国で聖女と崇められている人物だと気が付き慌てた立ち上がって腰を折る。


「す、すみません!俺その…」

「あぁそんなに畏まらなくて大丈夫ですよ。突然声をかけてしまってすみませんね。最近は外からの旅行者など珍しいものでしたからつい」


「い、いえ!とんでもないです!できれば挨拶でもできればと思っていたので!あ、俺…その、赤神領で執行官をしてます!スレンっていいます!」

「赤神領の執行官…」


ほんの一瞬だけセラフィムは目を鋭く尖らせた。

セラフィムにとって赤神領は明確な敵だ。

そこに所属している執行官となると友好的な態度をとるのは難しい。


しかし同時になぜか教会側はセラフィムの正体、そして敵対していることも把握しているはずなのになぜかそれを公表すらもしていない。

つまりいくら赤神領所属だと言っても下っ端であればセラフィムの事情など知らされていないはずなのだ。


仲良くとは言わずともせいぜいお互いをけん制し合っている…程度としか認識はしていないだろう。

そこで問題になってくるのはこの目の前の青年が事情を知る側の人間なのかどうかだ。

セラフィムは漏れ出しかけた殺気を抑え込み、にこやかな笑顔を形作って見せた。


「まぁそれはそれは遠くからご苦労様です。よろしければ我が白神領に立ち寄った理由を聞いても?」

「それが俺もよくわかってなくて…あの、俺以前までは赤神領内の治安維持の仕事をしてたんですけど先日…その、大司教様が亡くなる直前くらいによくわからない辞令が出まして…」


「よくわからない辞令ですか」

「ええ…なんか昇進?的な感じではあるらしいんですけど、それ以外は何もわからなくて、新しい上司って人からここで合流して顔合わせって連絡が来てて…もしかしたらこの教会の人の関係なのかと思ったんですけど…その様子じゃ関係ない…感じですかね?」


「ええ、ウチは関与していないはずですね。我々は赤神領の人事に口を出す権利なんて持っていませんし、同時に向こうもこちらには最低限干渉しないことになっていますから」

「そうですか…少し残念です。俺、ここに来たのは初めてですけど、こんな場所で働けたらなって思ったので」


スレンは照れたように鼻を掻きながら笑った。

そこに邪気や悪意のようなものは感じられず、油断はしないまま…しかしわずかにセラフィムはスレンへの警戒度を下げた。


「あら、そんなに気に入ってくださったのですか?」

「はい!あの…なんていうかこの教会はとても雰囲気が良くて…温かいって言いますか…それにお祈りをしている人たちもみんな幸せそうに笑ってる感じがして…俺は人の役に立ちたくて…少しでも悲しい思いをしてる人たちに手を差し伸べられるようになりたいって執行官になったんで」


「…そう、それは素敵な話ですね」


セラフィムの胸に複雑な思いから出来る影が落ちた。

人間の…いや、この世界はどこまでも歪んでいる。

自分たち龍の存在もその歪みの一因ではあることを自覚はしつつ、この世界にまっすぐな物なんてもはやほとんど残ってはいないだろう。


そんな中で人によっては目を背けてしまいそうな気恥しい想いを吐き出したスレンが少しだけ異質に映ったから。

歪んだ世界でまっすぐな言葉を吐く…はたして異物はどちらなのだろうか。

セラフィムはその疑問に答えを出すことができなかった。


「はは…ありがとうございます。あ、そうだ。この後は上司と合流して銀神領に向かうってことになってるらしいんですけど…あの場所ってどういうところなんですかね?誰に聞いてもあんまり知らないみたいで…聖女様ならって思ったんですけど…あ!もしかして失礼でしたかね…?」

「いえ、そんなことはないですよ。でも銀神領ですか…何をしに行くのか知りませんが、あまりお勧めはしませんよ。最悪死ぬかもしれません」


セラフィムはスレンの身体を一瞬で見渡し、そう言った。

体つきや雰囲気から見るに一方的に守られるだけの無力な人間ではないようには見えた。


しかしそれだけだ。

龍はもちろんとして上級の魔物を相手にして生き残れるほどの実力はないだろう。

そんななかで今の銀神領に行くというのは自殺行為以外の何物でもない。


それに…メアとソードを送り出しているために余計な波風を立てたくはなかった。

だからやんわりと引き留めたつもりだったがスレンは苦笑いを返してきた。


「あー…そう言う感じなんですね。でもぼんやりと困ってる人がたくさんいるって聞いてます」

「…まぁ困っている人はたくさんいるでしょうね」


それこそ死ぬほどね。という言葉をセラフィムは飲み込む。


「なら俺は喜んでいきますよ。困っている人のために動く…それが執行官ですからね」

「そうですか。ではお気をつけて…あなたの無事を神に祈っておきますよ」


果たしてその祈りを聞き届ける神など存在しているのかもわかりませんが…という言葉をさらに飲み込んだ。


「ところで人の役に立ちたいとは言いますが、なにか具体的にこうしたいというのはあるのですか?」

「あー…自分で言うのもあれですけど俺って恵まれた環境で育ったんですよ」


「はぁ…それはいいことですね」

「はい、いいことでした。両親は何不自由なく俺を育ててくれましたし、小さな村で育ったんで近所の人たちも皆家族みたいだったていうか…とにかくみんな良くしてくれて、とにかく恵まれてたんです」


セラフィムはスレンに気づかれないようにその髪に一瞬だけ視線を動かした。

白に近い灰色だろうか。

あとほんの少しでも黒に寄っていれば彼の人生は恵まれていたなどと口にできない悲惨なものとなっていただろう。


そう言う点で見ても確かに彼は恵まれているのかもしれないとセラフィムは思った。


「それで俺は何か皆に恩返しがしたいって…漠然と考えていた中で近所の婆ちゃんの息子さんが執行官として働いてるって話を聞いたんです。そして俺もそれになりたいって思って…ほら世の中何があるかわからないじゃないですか。変な名前の殺人鬼の噂も村にまで届いてましたし…小さな村だったから魔物の対策も万全だとは言えなかった…だからそういうのから俺がみんなを守れるようになりたいって!」


拳を握りしめながらスレンは熱のこもった瞳で語る。

それをセラフィムは静かに聞き続け、周囲にいた礼拝客たちも熱心な若者がいるなとでも言いたげな視線を送っていた。


「そしてそのおばあちゃんに口をきいてもらったりして執行官の適正試験を受けたりでなんとか無事になることができたんですけど…正直驚きました。こんなにも執行官には仕事があったのかって」

「…思ったより仕事が辛かったと?」


「いえ…そうではなくて、人のために動くって仕事がここまで途切れのないものだとは思わなかったっていうか…なんて言えばいいんだろう…そう…俺の想像以上に世界には困っている人であふれかえっていたんだって…。毎日どこかしらで魔物が被害を出す…平和だと思っていた場所ではある日突然凶悪な犯罪が起こる…昨日までは笑っていた人が…突然笑顔を奪われる。もっと悪ければ…死んだりしてました。それがとにかく衝撃的で…改めて自分がどれだけ恵まれた環境にいたのか思い知りました」

「…」


悲劇と言うのはどのような平和な時代だとしてもありふれている。

日々を平和に生きている人にはそれが降りかからないから…気が付かないだけだ。


スレンは執行官という職に就いたことで一般人なら気づかないままでいられたそれに向き合わされてしまったのだろう。

実際その現実に耐えられずやめて行ってしまう新人は多い。


だが、今ここにいるという事は彼は違ったのだろう。


「だからその…俺が何かしないとって…俺が執行官になったのは何か意味があって…だから困ってる人の助けになれればいいなって思ったんです。変ですかね?やっぱり」

「…立派なことだと思いますよ。あなたの両親に話に出た村の方々もきっとあなたのことを誇らしく思っていることでしょう」


「だったらいいですけどね…結局何もできないまま永遠の別れになってしまったので」

「おや…それは…理由を聞いても?」


「数年前に赤神領に魔物の襲撃があったって事件があったじゃないですか。結果として紫神領が死の国になってしまったっていうアレです…あれに巻き込まれたんです。ちょうど俺は仕事で赤神領を離れてて戻った頃には…」

「…そうですか」


セラフィムはそれ以上何も言えなかった。

なにせその事件を起こしたのは…自分なのだから。


最も記憶に新しい人と龍の戦争…それがスレンの話に出た事件なのだから。

ただし紫神領を占領したのは赤神領を襲った魔物…龍ではなく、赤神領側の存在なのだが、それを証明する手立てはないので何も言わなかった。


「いや…なんだか突然話を聞いてもらってすみません!勝手なんですけど、なんかスッキリしましたし聖女様に話したことで決意を新たにできました!ありがとうございます!俺の漠然とした誰かの役に立ちたいって夢も叶う気がします」

「…あなたの夢は正しくまっすぐな物なのでしょう。しかしこの世界でそれを貫くというのなら覚悟がいりますよ。正しくて眩しい綺麗な夢物語がまかり通る世界ではないですから」


スレンは驚いたような顔でセラフィムを見つめていた。

無理もない。


表向きは白神領という赤神領の次に大きな教会の聖女という最高責任者が正しさを貫くことはできないと言ったのだから。

そしてそれを最後にセラフィムは口を噤んでしまったのでスレンもそれ以上は何も問い詰めることはできなかった。


(…少々「我」を出しすぎましたか…反省ですね。なにせよこの場所から銀神領に通常の手段で向かうのならどれだけ急いでも一週間はかかる…無理に引き留めなくてもよいでしょう。変に思われるのも避けたいですからね)


その時だった。

セラフィムは背後に不快な気配を感じ、振り向いた。


そこに一人の男が立っていた。

服装を見るに踊らく協会の関係者だろうが、白神領の者ではない。


「…スレン。あの方があなたの上司なのではないですか」

「え?あ…確かに伝えられてた特徴そのままだ」


セラフィムは男をじっと見つめ、それに気が付いたのか男はニタリと笑って頭を下げた。


ゾワリとセラフィムの背筋を不快感が逆撫でる。


「じゃあ聖女様…俺もここで失礼します!えっと…今日はありがとうございました!」

「…ええ」


遠くの男のもとに消えていく背中を見送りながらセラフィムはため息を吐きだす。


「ほら…正しさを貫くことはこんなにも難しいのですよ」


スレンとともに聖白教会を去っていく男からは…「呪骸」の確かな気配が感じ取れていた。


今、事を構えることも可能だが…向こうにそのつもりはなかったようで、セラフィムにもない。

ここで全てを無視して戦えば無視できない被害が出る。

セラフィムは基本的に人と言う種が嫌いではあるが、それでも全てを憎んでいるわけではない。


むしろ最初は人への当てつけで始めた国の運営を続けるうちに自国の者たちについてはある種の愛情を抱くようになったと言ってもいい。

だからこそ時折、選ばれた民を享楽のために褥に誘うのだから。


「…はぁ。すべてはソード…そしてメア。あなたたちにかかっています。どうか頼みましたよ」


今はできることがないとセラフィムは教会内を進んでいき、いくつもの扉を潜り抜ける。

そうしてたどり着いたのは聖白教会の関係者でもほとんどがその存在を知らない秘密の部屋…いわゆる密談等に使われる場所だった。


その扉を一息で開き、中にいた人物に声をかける。


「大人しくしていてくださいとお願いしましたよね。あなた…表に出て先ほどの会話を聞いていたでしょう」

「ひゃはははは!やっぱりバレちょったか。まぁそー硬い事言わんちょくれ。性格柄おとなしくするちゅーのは苦手なんじゃ!ひゃはははは!」


そこにいたのは赤髪を携え派手な着物を着た男…世間からは「悪斬り」と呼ばれている人物だった。

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[一言] ・真っ直ぐすぎてむしろ異物な男 ・なんか強そうな男 ・ヤバい男 さて生き残るのは何人になるでしょうか…
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