裏切り
リョウセラフがウツギのもとに迷い込んだその日、壁の修復がほぼ完了したアザレアの執務室にセンドウは一人呼び出されていた。
センドウが入室するとそこにいたのはアザレアだけではなく、露出の激しい白髪の女性…ソードの姿もあり、どういうわけか扉に鍵をかけられた。
そんな通常とは違う…ある種の物々しい雰囲気にセンドウはついにこの日が来たかと覚悟を決め、しかしそれを悟られないようにアザレアとソードに向かい合うようにして新品のソファーに座る。
茶菓子を進められるも、誰も手を付けない中で最初に口火を切ったのはアザレアだった。
「さてセンドウ。あなたがウチに来てもうずいぶん経つわね。あのクズ…ウツギが連れてきたときは正直怪しさしかなかったけれど…今でも驚くことにその印象は変わらないわ。怪しすぎる。少しは見た目にも気を使いなさいよ」
「ひっひ!これでも体臭などには気を使っているのですがね…容姿は生まれ持ったものです故どうにも…ひっひ!」
「いや容姿とかではなくて…なんかこう、言葉にできないけれど怪しいのよアナタ。立場柄初対面の相手には疑ってかかる私だけど、そんなの抜きにして大半の人間があなたを一目見て「怪しい」って思うわ。せいぜいメアたんくらいでしょう?最初からあなたに友好的だったのなんて」
「ええまぁ…ひっひ!…しかしなんでしょう?私はこの場に容姿の…というより雰囲気の改善のために呼ばれたのでしょうかねぇ…ひっひ!だというのならお世話になっている身としては努力をするつもりですがぁ…ひっひ!」
「必要ないわ。怪しかろうが怪しくなかろうが私には大した問題じゃないもの。私が重要視するのは利益になるかどうか…私と黒神領、そしてメアたんにね。仮に相手が連続殺人鬼だとしても、そこに大きな利があるのなら私はだれでも受け入れるわ。私自身、清廉潔白な身というわけでもないしね」
そう言うとアザレアは自分の隣に置いていた書類の束をセンドウの目も前に来るように投げた。
手に取るまでもなく、それが何なのかセンドウには分かってしまう。
一番先頭にまとめられている紙にすでにほぼすべての問題点が記されていたからだ。
「元赤神領教会所属、特殊研究機関支部長センドウ・カラナマツ。この経歴に間違いはないかしら?」
「…ひっひ!よく調べが付きましたねぇ…おそらくですがどこにも情報など残っていなかったでしょう?」
センドウのその言葉はアザレアが持ち出した経歴が間違いではないと認めたも同然だった。
赤神領に所属していた研究員…それも支部長と言う立場を任されていた人物。
それがセンドウの正体だったのだ。
「それについては調べてくれたのは私ではなく…」
「僕だよ。ここにきてキミを一目見たその時からどこかで見覚えがある気がしたんだ。でもそれはおかしな話だろう?僕がこの黒神領に立ち入ったのは初めてだったはず…なのに顔見知りに出会うはずなんてないのだから」
アザレアの隣に座っていたソードがその胸を片腕で支えなながらセンドウの前の書類を指さす。
「そこで少し調べてみた。というか調べてもらった。エクリプスがアレでそういうのは得意でね?勝手で悪いのだけれど、しばらくキミに張り付いてもらっていたんだ。気が付かなかっただろう?」
「ええ…まったく。これでも情報の漏洩防止などには自信があったのですがぁ…言われて思い返してみてもこれっぽっちも心当たりすら思い浮かびませんねぇ…しかし私に張り付いていたという事はなるほど…通信の傍受でもされましたか」
センドウは諦めたかのように懐から通信機を取り出し、首を振りながらそれを書類の横に置いた。
「ああその通りさ。エクリプスは機械にも強いからね。そしてキミがここの情報を赤神領の問わる場所に報告しているという証拠を得ることができた。これについて詳しく僕らが口にする必要はあるかな?」
「…いいえ、ありませんねぇ。確かに私は情報をとある場所に…現研究機関支部長に報告をしていました。認めましょう」
ついにセンドウ自ら直接的な言葉を口にした。
行為の確かな自白…裏切りを認めたのだ。
「センドウ…私はこれでもあなたをそれなりには信頼していたわ。医者がいないこの地においての医療行為に、通信機をはじめとしての技術的な提供…なによりメアたんと仲が良かった。なにか裏があることは分かっていたけれど、それでもある程度は黙認していた。でも今の私の立場は分かるわよね?これから赤神領に一矢報いようって時にあなたのこの行為は看過できない。それでもここまでウチのために働いてくれた情もある。なにか言い分があるなら聞くわよ。言ってみなさい」
「では少しだけ時間をいただきましょうかねぇ…ひっひ!」
センドウは先ほどのアザレアと同じように書類の束を取り出し…そっと二人の前に差し出した。
アザレアとソードは目配せをして…その書類をアザレアが受け取りぺらぺらと捲る。
それで文字が読めているのか疑問に感じるほどの速度であったが、レンズの奥のアザレアの瞳は書類を見るたびに見開かれていった。
「アンタこれ…」
「アザレアさん。私もひくに引けないところまで来ているのです。ここで私を殺すというのならそれもよいでしょう…ひっひ!許されるとは思っていませんし、甘んじてそれを受け入れます…しかし、そちらの資料をみて少しでもまだ私に価値があると思うのなら…取引をしませんかぁ?」
ニタリとセンドウが怪しげな笑みを浮かべる。
アザレアは表情を変えず、ソードに資料を回すとしばらく何かを考えるようなしぐさを見せ…テーブルを指でコン…と一度だけ叩いた。
「あなたに信頼なんて元々なかった。それが今回の件でこれからも培えないことが確定した。それは分かるわよね?」
「ええもちろん」
「なのにここに残ろうとする理由は何?こんなものをあらかじめ用意していて、しかも渡してくるのだもの。そのつもりってことよね?まだ、この場所に居座るつもりなのでしょう?」
「ひっひ!アザレアさぁん…私はねぇ、どこまで行こうとも研究者なのですよぉ。研究し探求し調査、実践することこそ我が人生…それこそが生きる理由なればこそ、それ以外は些事なのです。そしてこの場所には私のその知的好奇心…いや、生命的活動を満たしてくれるものがたくさんある…!このような環境、逃すわけにはいきません。そうなるくらいならそれこそ死んだほうがましだぁ」
メアに始まり、龍やノロと言う正体不明の少女…次々に起こる魔物の襲撃や、それに伴う黒神領という場所そのものの特異性…それらすべてがセンドウにとっては宝石箱のように煌めいて見えた。
故に手放すわけにはいかない。
それは誰からも指をさされて怪しいと突きつけられる彼の心からの純粋な欲求だった。
「そう…取引の内容は?身の安全の確保?」
「いえ…我が身を置いていただけるだけで結構です。それ以上は私の立場からは望むのは文字通りの高望みという物でしょう」
「明確な利敵行為をしておいて身を置けって時点で結構なものだと思うのだけどね。…いいでしょうセンドウ。アンタの身柄はこれまで通り家で預かる」
「…いいのかい?アザレア」
アザレアはソードからの問いに頷くと眼鏡の位置を直し、センドウの顔を見据える。
「構わないわ。もとより私は捨て身…センドウを受け入れた時点でどこかに何かを持ち出されることなんてわかっていた。それでもアンタの好きにさせていたのはこちらにも利があったから…そしてそれはこれからも変わらないわ。いいえむしろ状況は私の都合のいいように回ってきているかもしれない」
そう言うとアザレアはいつの間にか指先でつまんでいた小さなカプセルのようなものをピン…と弾き、それはセンドウの飲み物の入ったカップの中に沈んだ。
「飲みなさい」
「…これは?」
「毒よ。安心しなさい。飲んですぐに効果が出るものじゃないわ。それどころかアンタの行動次第では一生その効果を発揮することはない。私が合図をしない限り、それは決して牙を剥かないのだから。その代わり一生消えることもないけれどね。信じられないというのなら飲まなくてもいいけれど、その選択の結果何が起こるのかは…わかるわね?」
「ひっひ!えぇ、えぇ…ありがたくいただくとしましょう」
「…あなたならできそうだから一応言っておくけれど、あとで解毒なんて考えているのならそれも無駄よ。それよりも私が合図を送るほうが早いから」
「ひっひ!信じてとは言えませんがご安心を…言ったでしょう?私は研究者なのです。研究以上に優先するものなどないのですよ。興味のあるモノを研究できない…それは死と何ら変わりないのですから」
センドウはカップの中身を一気に飲み干し、ニタリと笑った。
それを見届けてアザレアはふぅと息を吐き、ソードは感情の読み取れない表情で書類をテーブルに戻した。
「なら今回の話はここで終わりよ。センドウ…これからはウチのために働いてもらうわ。まずはアンタが流したこの情報…これに関する「厄介ごと」の対策よ」
「ええ異論はありません…」
「この話を持ち掛けた身として、僕も協力するよ。それに…ほんとうにこの書類通りなら例の噂に聞く「枢機卿」とやらに会えそうだしね」
誰からともなくため息を吐き…何かを思い出したかのようにアザレアが「あ」と声をあげた。
「いかがなさいましたかぁ?」
「そうよ忘れるところだったわ。センドウあなた例の物の準備は進んでいるのでしょうね?」
「はて…例の物と言いますと…?」
「カメラよカメラ。今回の件でうやむやにされるところだったけれど、先日頼んだでしょう?メアたんのあんな所やこんなところを記録する装置を作りなさいって。これは命令よ。メアたんが成長してしまう前に、あの神が作りたもうた芸術的ぷにぷにボディーが現存しているその内に、その尊い姿を記録に残すのよ。ほら早く、拒否権はないわ!」
「…」
「ふぅ…アザレア、大人しく顔面を差し出したまえ。頬骨の一つくらいは覚悟してもらおうか」
その数十秒後。
修復がほぼ済んでいたはずの壁に再び穴が空いたことは言うまでもない。
おそらくこの作品で最も己に正直に生きている人間はアザレアかセンドウくんです。