交渉3
「いりません」
ぴしゃりとセラフィムはカルラの提案を切って捨ててみせた。
すでに壁に対して八つ当たりをする姿をさらしてしまっているためか、普段の様に鉄仮面のごとき表情を装う事もなく心底面倒くさそうで、がっかりしたという表情を浮かべカルラを睨む。
「にべもないのう。もう少しこう…なんか悩まんか?聖女さんあんた以前は呪骸に興味あるみたいな口ぶりしとったじゃろ?」
「はぁ…あなたは馬鹿ですか?」
「おうとも。賢いように見えるかぁ?逆に」
「…私はあなたを殺すつもりだというスタンスは表明したはずです。ならば呪骸なんて殺して奪えばそれで済むとは思わないのですか。今現在手元にある品物を質にする交渉は持ち掛ける側の命が保証されている状況でないと意味はないのですよ。ましてや今回のそちらの要求はそもそもが飲めるものではないのです。だというのにあなたの命を保証した取引などに応じると思いますか?」
「まぁそうよなぁ。実はワシもそれは思うちょってワンチャンに賭けたわけじゃが…やっぱ無理か」
「ええ不可能ですね。そもそもアナタ…本当に枢機卿になったのですか?にわかには信じられないのですが」
「そうは言われてもの。本気も本気じゃが…でなければこんなことをする理由がないじゃろ?」
「以前は教会に属するなんて嫌…という主旨の話をしていませんでしたか」
「それはあれじゃろ?ワシのやり方が合わんちゅう話の時じゃったろう?今回の件はワシにもメリットがあったし何よりおもろかった。じゃから枢機卿という立場に収まったんよ。納得はできたか?」
するつもりはないので別に。とそっけなく返したセラフィムの意識は交渉からは離れていた。
提示できるものが呪骸の提供しかない時点で既に見切りをつけており、思考は既にどうカルラを始末するか…の方向に舵を切られている。
何かを隠し持っているらしいカルラをこの場で殺すにはリスクがある…ならば離れた位置で殺せばいい。
何があっても迷惑が掛からない場所(紫神領)に連れて行けばそれで終わり…そう考えていたセラフィムに向かってカルラはあるものを見せつけた。
「聖女さん。これがなんかわかるかぁ?」
「?」
その手にあったのは鈍く濁ったような光を滲ませる小さな石…言うまでもなく呪骸だ。
セラフィムは視線だけをテーブルの上に動かしてそこにまだ先ほどの【斬殺】の呪骸が置いてあることを確認し、視線を戻す。
「二つ目の呪骸ですか」
「ああ、ほうじゃ。ほれ」
一度目と同じように無造作にカルラは呪骸を放り投げ、テーブルの上に転がす。
この世の理から離れたかのような異質感はまさに呪骸のもので偽物の類ではないように思えた。
「…何のつもりです?数を増やしたところで意味は変わりませんよ」
「わかっとるわい。じゃが二個目があったのなら三個目、四個目があるとは思わんか?」
「何が言いたいのです?」
「ワシはアンタと交渉するつもりでここに来た。それに当たりいくつかの保険と仕込みをしてきたっちゅうことじゃ。呪骸をいくつかとある場所に隠しちょる…その場所を教えるっちゅうのはどうじゃ?」
カルラの切った手札に真っ先に動揺を見せたのは成り行きを見守っているストガラグだった。
呪骸は枢機卿である彼をしても貴重品であり、そこまで数が無いことを理解している。
それを大量に敵である龍に譲渡するつもりなのかとカルラを問い詰めそうになったが、それをしてはどちらが敵なのかという話になってしまうので何とか飲み込む。
もっともストガラグが黙ったのは他にも理由があったのだが…それを口にする資格こそ自分にはないと一瞬だけスレンの方を見てやはり口出しをすることをやめたのだった。
「なるほど、そう来ましたか。多少は頭を使いますね」
「じゃろ?ワシを殺しちゃら永久に呪骸の隠し場所は分からん。それは困るじゃろ?」
「惜しかったですね。ですがまだギリギリ赤点と言ったところでしょうか」
「おろ?」
「何度も言いますが我々は呪骸に触れることはできないのです。つまりいくつ数を持っていても使えない…そんなものをいくつ持っていても意味はないのですよ。それでも回収している理由は研究用とアナタたちの戦力を削ぐ目的のためです。分かりますか?数の話で言うのなら1つも2つ、極端な話100も変わりはない数なのですよ。戦力を削ぐという目的でも枢機卿二人を逃がすという条件の元ならむしろマイナスです。そうでしょう?」
「はぁ~ほんに…ほんっっっっっっとーーーーっに手強いのう!無理じゃ無理じゃこんなん!やっぱ頭使うのはワシの性分じゃない!やめじゃやめじゃあ!」
「それは諦めたと受け取ってもいいのですね?」
「そうじゃのう…じゃが諦めたのは駆け引きであって仕事ちゃうぞ。じゃからワシが出せるもん全部ひっくり返して見せようやないかってな」
着物の袖の下からカルラはまとめられた紙の束を取り出し…そのうち何枚かをセラフィムの足元にひらりと投げた。
しかしセラフィムはそれを拾う事はなかった。
地面に視線を向け、しゃがんで紙を拾う…そこに産まれる隙は無視できないからだ。
だから直接口にして問いかける。
「これは?」
「教会…というより教皇の旦那の部屋からかっぱらってきた資料じゃ」
セラフィムは目を見開き、ストガラグは格子を突き破らん勢いで立ち上がった。
「貴様…!何物かは知らんがそんな貴重な資料を…!どうかしているのか!?」
「おーおーワシはアンタを助けるために動いとるんやぞ?そんな責めんでええやんか」
「許しは…教皇様からの許しは出ているのか!?」
「いや?」
「なっ…!?」
「ワシが受けたのはアンタさんの救出、それだけじゃあ。許しは出てないが…逆に言うのなら禁止もされとりゃあせん。じゃからセーフじゃろうて」
「そんな馬鹿な話が…!」
「そげん言われてもこれがワシの仕事なわけじゃし、なん言われてももうしゃーないやろ?のう?聖女さん」
セラフィムはそれを拾わずにはいられなかった。
あえてゆっくりと身を屈め、ゆっくりと紙に手を伸ばしてみたがカルラが動く様子はなく…ほんの一瞬だけそれに目を通した。
「…なるほど…これは確かに…」
「お眼鏡にかなったかの?まぁワシは内容を見らんと適当に抜き出してきただけじゃけん、何が書かれちょるかは知らんが…賭けに勝ったようじゃの。ほいでもうわかっちょると思うけども、持ち出した資料の大半は例の如く別の場所に隠しちょる。その場所を教える代わりに…あとは言わんでもええかのう?」
「…」
さすがのセラフィムも言葉を失い、ようやく手ごたえがあったとカルラはニヤつきながら手元に残った資料の一片をテーブルの上に置き…とあることに気が付いた。
「…おろ?」
おもむろにテーブルの上に置いた資料を持ち上げてみたり、テーブルの下に潜りこんでみたり…突如として奇行に走り出したカルラに何やっているんだお前という視線が突き刺さる。
「の、のう聖女さん…ワシ…確かにここに呪骸を二つ置いといたよな…?」
「は…?」
なぜそんなことを聞くのかとセラフィムもテーブルの上に視線を向けて…そこに確かにあったはずの二つの呪骸がなくなっていることに気が付いた。
「カルラ…随分と手が込んだ仕込み───」
「いや!まっちょくれ!ワシじゃない!ほんまに!マジで!こればっかりはマジのガチじゃ!ワシがこんな必死に探してる様子からもなんとなくわかるじゃろ!?急に呪骸が消えたんじゃあ!もしかしてストガラグの旦那あんたか!?」
「俺…?牢の中にいるのに何ができるというのだ…?だが確かに俺もそのテーブルの上に先ほどまで呪骸があったのは確認しているが…」
セラフィム達がテーブルの上から完全に意識を外したのはほんの一瞬…カルラが資料を取り出し、それを放り投げ、それがなんなのか説明した時だ。
時間にして20秒もあればいい方だろうか。その間に二つの呪骸はきれいさっぱりと消えてしまった。
セラフィムは直接呪骸に触れることはできないために犯人たり得ない。
牢の中にいるストガラグやスレンにも手を出すことはできず、ならばとカルラが最有力候補にはなるが、カルラはそれを全力で否定し、現に本人に身に覚えはない。
ならばほかに考えられるのは…。
「あなたですか紫」
テーブルで我関せずとお茶を楽しんでいたヴィオ以外には考えられない。
だがヴィオは龍であり、枢機卿ではない。
教会の陣営にいた龍と言えども呪骸に触れることはできない。
なので当たり前のようにこう返した。
「私「は」やってないわ」
「おいおい…煙みたいに消えた言うんか…?確かに小さいがあんな存在感ある石が突然消えたらさすがに気づかんか…?」
「呪骸が忽然と消えるなんて聞いたこともありません。一体何が…」
「…」
ヴィオはカップの紅茶を飲み干し、テーブルの上に音も立てずに置く。
この交渉が始まってヴィオはずっと暇をしていた。
元より生きた人間に興味はなく、枢機卿がどうなろうがセラフィムがどういう判断をしようがどうでもよく、この場において唯一どこまでも他人事で蚊帳の外。
だからこそカルラの放り投げた資料にも関心はなく…1人お茶を楽しんでおり、故にヴィオだけが「それ」を目撃していた。
全員の意識が宙を舞った資料に惹きつけられた瞬間、ストガラグ達が捕らえられている牢の天井に空いた大穴からシャカシャカと両手両足を動かしながら壁を這う黒髪の幼女が現れ…そのまま鉄格子を潜り抜けてカサカサと音もなく壁を伝い…テーブルの上に置いてあった呪骸までたどり着くとそれを回収したのだ。
その際にヴィオと目が合った幼女…言うまでもなく戻ってきたメアは何故かヴィオに向かってサムズアップをすると、来た時と同じようにカサカサと四肢を動かし、壁を伝って大穴の向こうに戻っていった。
その際にチラッと服のポケットに入っていた大量の呪骸が見えたのは…気のせいではないだろう。
(たぶん隠したとか言ってた呪骸も回収されたんでしょうね…あの物の怪に)
その場の全員が困惑する中、ヴィオは何も喋らずに紅茶のお代わりを注いで一人気を抜く。
彼女こそ究極のめんどくさがりにして事なかれ主義の引きこもり系ドラゴンなのだった。
妖怪 呪骸攫い現る。




