家族のつながり
エナノワールの屋敷は黒神領において無駄に広い。
無駄と言うのはその意味通りで必要がないほどに広く、何の用途にも使っていない部屋が複数あるのだ。
いくら黒神領と言っても国を治める家系の屋敷…みすぼらしくあってはならないと遠い誰かが考えたのか、それとも別の理由からなのか…もはやその答えを知るものはいない。
アザレアはそんな屋敷の空き部屋の一つの扉を開き…扉のすぐそばの壁に寄りかかってすでに部屋の中にいた椅子に座っている男に視線を向けた。
「こんなところに呼び出して何のつもりよ。告白とか言い出すんじゃないでしょうね。死になさいよカス」
「いや…嫌いな相手と言えどもいきなりご挨拶過ぎねぇか…?」
疲れたような、呆れたような顔でツッコミを入れたのはアザレアの義理の兄にして現エナノワール当主であるウツギだった。
アザレアはウツギから人知れず呼び出しを受け、何の用途にも使われていない空き部屋に足を運んだのだ。
「こっちだって忙しいのよ。用件をサッサと言いなさいハゲ」
「ハゲてねぇし…つーかその…ひとまず座れよ」
ウツギはアザレアに椅子をすすめたが、それを無視して壁によりかかったままの姿勢を維持した。
気を許すつもりはなく、対等に目線を合わせて話すつもりはないという意思の表れだろうと解釈してウツギは俯きかけたが、それを何とかぐっとこらえて顔をあげる。
本来ならばウツギも立つべきなのかもしれないが、目線を合わせたくないのならとあえて座ったままで話すことにし、口を開いた。
「…その…色々落ち着いたかと思ってだな…お互いに…それで…」
「オドオドすんじゃないわよ気色悪い。話があるのならハキハキと簡潔に喋りなさい。それでも当主なの?」
「…悪い。だが改めてその話をしようって思ったんだよ…。この指輪の事だが…」
懐から当主の証である指輪を取り出し…机の上に置く。
古めかしくも独特の輝きを持ったその指輪が外からの光を反射し、それがさらにアザレアの眼鏡のレンズに映り込む。
「なに?」
「いや…なんつーかその…話ができてなかっただろ?この指輪の事とか…」
「今更話も何もないでしょ。それの持ち主がこの屋敷の主人…ただそれだけの話よ」
「お前はそれでいいのか…?あんな唐突に俺に当主を譲って…そもそも俺が当主ってのも…」
「はぁ…そもそも私というイレギュラーがいなければアンタが当主だったでしょうよ。ただそれが戻っただけよ」
「でもこれはお前が勝ち取ったものなんじゃ──」
「価値のあるものみたいに言わないでくれない?あの時はそうするしかなかったから義父からそれを奪っただけ。私にとってその指輪は何の価値もない石ころと変わらないのよ。それに…そもそもいつかは誰かに譲るつもりだったのよ。候補も考えてた。まぁ当時はアンタは候補にもいなかったけどね」
そんな話は聞いたこともない。
そうウツギは身を乗り出しかけたが、アザレアはレンズの奥の視線だけでウツギを黙らせた。
「アンタも薄々とは知ってると思うけど私は地位を維持するために世には出せない黒も黒でどす黒い行為もやってきた。少し前まではそうするしかなかったけれど、今は状況が変わってきた…メアたんとセラフィムのおかげでね。これからは清廉潔白でやっていける…と言うのはあまりにも綺麗事だけど、私がやってきたことを繰り返す必要もない。むしろその過去自体が膿になる…だから全部の行いを背負って私は地位を放棄するつもりだったのよ。そしてアンタはどういうわけかここ最近「多少まとも」になってきた…そうなれば正当な血筋であるアンタに譲るのが一番面倒がないし丸い。それだけの話よ」
「なんだよそれ…それじゃあお前だけが…!」
「気持ち悪いからそう言うのやめてくれる?同情?哀れみ?そんなのアンタから向けられても吐き気がするだけ。前にも似たようなことを言った覚えがあるけど、元々はアンタがやるべきだったことを私が肩代わりしていただけなの。だからめんどくさいこと考えないで当主としてやるべきことを考えてればいいのよ。そこに変な感傷を持ち込むな。この期に及んで覚悟がない…なんてまさか言わないでしょう?」
「あぁ…これは俺が負わなくちゃならない責任だって理解はしてる。ただ…お前が不本意な中でこれを渡してきたのなら、返すべきだって思って話をしたかっただけだ」
「どんな理由であれ一度当主の座を手にした人間が気軽にそれを手放そうなんて口にするんじゃないわよ。私が言うのもなんだけどね」
たしかになとウツギが返し、しばし無言の時間が流れた。
まだエナノワールの屋敷についてすべての話し合いが終わったわけではない。
先日の会議が中断されたことで例のたどり着けない部屋のことに加え、すり合わせも出来たない部分も多く…さらにセラフィムに用事が出来たことで話自体が保留され、先送りにされているのが現状だ。
だからこれ以上今は話すことはなく…ここで解散となってもよかった。
だがウツギにはまだやらなくてはならないことがあり、そして意を決したようにウツギは立ち上がるとアザレアの手前数歩ほどまで近づいて…その眼前で指輪を嵌めて見せた。
「俺…やるよ。お前がこの国のためにしてきたことの…何分の一もうまくはやれねぇんだろうけど…それでもやって見せる…だから…今まですまなか──」
「うるさいのよ。ことあるごとに謝罪ばっかりでうんざりよ。どれだけ謝られても私は受け入れないし、謝らない。なぜなら今更関係の改善をしようとは思わないから。これからどれだけ時間が流れて状況が変わろうとも私とアンタの中が深まることは微塵もない。それに私はこの国のためだなんて考えたことは一度もない。すべては自分のためだから。だから…」
「あぁわかってるよ。言葉を間違えたて。…ありがとうなアザレア」
「きっっっっっしょっ!!!…慣れ合いはしないけど、国の運営に関して必要なことは教えるし、手助けもする。でもそれだけ。仕事以上の関りは持たない…それでいいわね」
「…ああ」
ウツギが投げうってしまった関係。
修復不可能な過去。
自分が選択を間違えなければ違った現在があったのだろうかと悲しい気持ちが一瞬だけウツギの心の中をよぎったが、自分がそれに酔う資格はないと気を引き締めた。
取り戻せず、やり直すことすらできないことが確かにある。
その後悔と傷を抱えたまま、それ以上悪くはならないようにと進むしかないのだから。
終わってしまった、家族になれるはずだった過去という名の未来に別れを。
もうアザレアに仕事以外の事で関わるのは最後にしようと心に決め…こちらを見ようともしないアザレアの横を通り過ぎて扉を開けた。
「じゃあな義妹。お前は…何も悪くなかったよ。それと…いや…なんでもない」
「あっそ。私は───私は、私が悪かったって思うけどね」
「…」
ついまた口から出そうになった謝罪の言葉を飲み込み、部屋を後にする。
部屋の中と外。
隔たれた空間に立つ二人…今日この日、一つの義家族の関係が終わりを迎えたのだった。
「あっ!ウツギお兄ちゃんいた~」
「うおっ!?びっくりしたぁ?!ってチビかよ…どうしたんだよ」
部屋を出た瞬間、ウツギに待ち構えていたのかリョウセラフがしがみついた。
体勢的にかなり不安定だったので、慌ててその小さな身体を抱き上げ…それに気を良くしたのか満面の笑みでリョウセラフはさらに強くウツギにしがみつく。
「えっとねりょーね、今日はお兄ちゃんとおやつ食べたいな―っておもってねー、さがしてたんだよーこれがねー」
「いや…俺は忙しいんだよ。暇な奴を探せって…」
「えー、でもりょーは今日はねーお兄ちゃんとねー」
「いや、だから…」
先ほどまでの空気感はどこへやら。
微笑ましさすら感じるその光景を漆黒に染まった瞳で睨みつける存在がいた。
「は…?」
その視線は邪気へと変わり、どす黒いオーラが周囲を押しつぶさんと空気を押しつぶしていく。
そのあまりの悍ましい気配に、特殊な素養のないウツギでさえもそれを感じ取り…恐る恐る今しがた自分が出てきたばかりの部屋へと振り返る。
「あ、アザレア…?」
「…は?」
アザレアのそれは先ほどまでの嫌いな相手を見る目ではなかった。
家族三代における血筋に刻まれた仇を見つけたような…末代まで殺し尽くすという怨念が込められたような…ありとあらゆる苦しみを与えて壮絶な絶望の中で殺してやりたいという煮詰めて圧縮して凝縮して作り出した底の見えない漆黒色に染まった究極の殺意が浮かんだ目だった。
「ま、まて…落ち着けアザレア…なんでそんなキレて…」
「は?なんでアンタごときが幼女とそんなべたべたしてんの?ありえないでしょ。馬鹿なの?死ぬの?いや死ね。違うわ、殺す」
アザレアの殺意がそのまま形になったかのような漆黒の槍がその手の中に現れ、切っ先がウツギに向けられる。
冗談ではなく純度100パーセントの殺意が向けられていることがウツギにもわかった。
「ちょっ!!!シャレにならんって!おい!!」
「私以外が幼女に好かれる光景なんぞ見てられるか!羨ま…幼女に好かれて鼻を伸ばす変態め!このすべてのぷにぷにぼでーの守護者たる私が引導を渡してくれるわ!!!死に晒せこのクソ外道がぁあああああああああああああああ!!!!!!!!!りょーちゃんを私によこせぇえええええええええええええ!!!!!!!私にもイチャイチャさせりょおおおおおお!!!!ペロペロさせろおおおおおお!!!!」
「ぎゃあああああああああああああああ!!!!!?!!!!」
「お兄ちゃんをいじめるなー!」
ウツギに向かって飛びかかったアザレアだったが、腹部と顔面に強い衝撃を感じた。
筋骨隆々の男に全力で殴られたような…そんな途方もない衝撃。
それはまさに…暴緑龍の力だった。
そしてさらにもう一発。
今度は全身に巨大なハンマーを叩きつけられたような衝撃で…アザレアはその衝撃のまま部屋の壁をぶち抜いて外まで吹っ飛ばされてしまった。
「おのれぇえええええええええええええ!!!!ちくしょぉおおおおおおおおおおおおお!!!覚えていろこのロリコン変態やろうがぁああああああ私は必ず戻ってぐるがらぁなあああああああああああああ!!!!!!そしてりょーちゃんとちゅっちゅイチャイチャしてやるうぅうううううう!!はっ!見える!幻覚のメアたんが!違うの!これは浮気じゃないの!あぁああいかないでメアたん!メアたぁああああああああああああんんんんん!!!!」
損な奇声と共にアザレア…もとい謎の怪異は空の光となって消えたのだった。
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それから数時間後。
全身ボロボロになったアザレアは命からがら屋敷まで帰還し、ウツギと話していたのとは別の空き部屋の扉を開いた。
「今日はよく呼び出しを受けるわね。モテ期ってやつかしら?まぁ相手は…一応の家族ばかりだけど」
先ほどが義理の兄…だった男なら、今度は血のつながった妹だった。
アゼリア…いや、ネム。
大人になって…お互いが正気のまま、初めて二人っきりで話す機会がようやく訪れたのだ。
「えっと…いろいろ言いたいことはあるんだけどさ…なんでそんなボロボロなの…?」
「名誉の負傷ってところよ。覚えておきなさい。ママにはね、子供のために身体を張らないといけない瞬間があるのよ」
そんな会話から一つの姉妹の本当の再会は始まったのだった。
エナノワール屋敷、壁に穴あきすぎ問題。




