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恐怖のありか

 エナノワール。その名を得た時からアザレアは常に孤独だった。

当主の座を簒奪したその瞬間、のしかかった責任に対して一人の少女はあまりにも無力だろう…本来ならそれを助け導く者がそばにいるはずなのだが、アザレアにはそのような者はおろか、欠片ほどの信頼を寄せることのできる相手すらいなかった。


だがそんな状況をものともせず、アザレアはほとんど完璧に当主としての仕事をこなして見せた。

時には正道から外れ、その手を血に汚すようなことも平然と行い、立ちふさがる全てを喰い殺してその地位を確かなものとしたのだ。

だがなぜただの少女にそんな真似ができたのか…それは簡単なことで、アザレアの中に【恐怖】がなかったからに他ならない。


先の見えないこれからの人生にも、重くのしかかる責任にも、その手を血に占めることにも…一切恐怖を感じなかったのだ。

恐怖とは一種のブレーキだ。

感情を持った人間がなくすことのなかった本能…命に迫る危険に対して恐怖を抱くことでそれに近づくことを踏みとどまらせる。


アザレアにはそれがなかったのだ。

だからどんな物事にも物怖じせず、たとえ自らの命が危険にさらされたとしても止まることはなく…それがアザレア・エナノワールという人間の強みだったのだ。


「でも私は気が付いていた。私の中に恐怖という感情がないわけじゃないって言うことを」


そう、アザレアの中に恐怖という感情は残っていた。

ただそれがうまく機能しなくなっているだけなのだ。

なぜそんなことになってしまったのか…それは最大級の恐怖というものを知ってしまったから。


「あの日…全てを奪われて死ぬ行く私を見つめて笑うあの女の子…その姿が私には発狂しそうなほど怖かった。今だって思い出すだけで震えと汗が止まらなくなるくらい。そしてその恐怖を知ってしまったからこそ…どうでもいいことに恐怖を感じられなくなった」


先ほど自らの掌にガラスを突き刺した時でさえ、アザレアは微塵の恐怖も感じなかった。

どうせ治るし、死にはしない。痛いだけだ。

なら恐れる要素なんてどこにもない。ただそれだけ。


そのほかの恐怖がお遊びのように思えてどうでもよくなってしまう…それほどの恐怖をアザレアはあの日味わってしまった。


「…正直な話、あの女の子に感じた恐怖を覚えたまま一生を暮らすくらいならあの日死んで全てを忘却の底に沈めれるのならそのほうがマシだった…そんなことを何度も何度も考えた。今でも…そう思ってる…まぁ私がどれほど言葉で説明したところで誰にも伝わらないのでしょうけど」


アザレアが感じたそれは言葉では微塵も表現できない。

自分の中からあふれてくる「怖い」という想いに肉を押しつぶされ、骨を砕かれ、内臓を破裂させられる…そんな幻覚を見てしまうほどの怖さが確かにあったのだ。

そんな恐怖を覚えるくらいなら死んだほうが間違いなく幸せだ。

だからアザレアは…。


「あの女の子は力が成熟した黒髪を迎えに来る…そうなれば私が経験したあの恐怖の中で黒髪は全てを奪われることになる。そんなのあんまりじゃない…黒髪ってだけで人としての権利すら踏みにじられ生きてきて、その最後には脳みそがぐちゃぐちゃになるほどの恐怖の中での絶望が待っている…それがとてつもなく理不尽に思えて…虚しくて…だから私は力が成熟しそうになっている黒髪を殺すことにしているの。せめて人としての尊厳を持ったまま、あの恐怖を体験しないうちに…苦しまずに逝けるようにって」


誰にも言っては無いが実はすでにリンカにもアザレアはセンドウに飲ませたのと同じ毒を仕込んでいた。

いつでもその意志一つで殺せるように…人として、知らなくていい恐怖を知らないまま安らかに死ねるように。


「理解できないでしょう?私の事…頭がおかしくなってるって思うでしょう?でもねそれはあなたたちがアレを知らないからよ!最後に待ち受けるのがあの恐怖だって言うのなら、それを知る前に死んだほうが幸せに決まってる!…まぁ狂ってるんでしょうね私は…でも…」


アザレアはその場に膝をつき、顔を両手で覆い、何かを懺悔するような姿勢でネムに向かって頭を下げる。


「お願い…お願いだから大人しく死んで…あなたの力はもうほとんど成熟してる…このままじゃあの赤い髪の女の子がアンタの所にやってくる…そうなったらおしまいなの!死ぬほど…ううん、死んだほうがマシだって、言葉にできないほどの恐怖をこれでもかって浴びせられて、狂えもしないまま生きていたことを後悔しながら死ぬことになる…そんな思いをするくらいなら…ここで綺麗に死んでほしいの…大切な妹に…あんな経験してほしくないの…お願いだからわかって…」


顔をあげたアザレアの顔と眼鏡は涙でぐしゃぐしゃになっていた。

これまでこの場にいる誰にも見せたことのなかった涙に…誰もが息を呑んだ。

どれだけ想像しても人に涙を見せる様子なんて想像もできなかったアザレアが…人目もはばからず子供の様に泣きじゃくり、妹に死んでほしいと懇願する。

それがどれだけ異常な状況なのか…もはや言葉にするまでもないだろう。


「アザレア…私は…」


ネムが手を伸ばし、口を開こうとした時だった。


「っ!全員下がりなさい!」


セラフィムが大声をあげ、それとほぼ同時に割れた窓ガラスの、その窓枠ごと吹き飛ばしながら尋常ではない魔力を纏った何かがアザレアに激突し…。


「ぐほぇ…!!!?」


そのままアザレアごと部屋の壁をぶち抜いて行ったのだった。


────────────


時はほんの少しだけ遡り、アザレアの独白が始まったのとほぼ同時刻。

会議に参加していない幼女組…メアと銀龍姉妹、リョウセラフの四人は屋敷の中庭に集まっていた。


「おまえー!ちびっこー!ここの子だったのかー!?」

「前からそう言ってたよカナちゃん…やっぱり話ちゃんと聞いてなかったでしょ…」

「おほぉ~カナレアちゃんお久しぶり~、銀龍さんについてきたのん?そっちの妹ちゃんもお世話になっとりますですぅ~」


銀神領以来の再会にメアとカナレアは熱い抱擁を交わし、それにユキも巻き込まれ、その後にリョウセラフとの紹介も済ませた。

そして大人組が会議に参加しているせいで暇になり、時間を持て余した子供たちがとる行動など一つしかない。


「遊ぶぞー!」

「「「おー!!」」」


中央に置かれたお菓子を囲みつつ、何をするかと四人は頭を悩ませた末にメアが立ち上がりそれを宣言する。


「やきうをしませう」

「なんだそれー!知らない遊びだぞちびっこー!」


やきう…もとい野球。

それはメアの中にある母の記憶から引っ張り出された遊び…もといスポーツであり四人で成立するものでは決してないが、それでもそこは子供クオリティー。

足りない分は有り余る元気で補う事が出来るのだ。


「ふむふむ、とりあえず玉を打てばいいんだろー。じゃあ私ちゃんがバッターするなー!」

「カナちゃん、カナちゃん。なんかいい感じの棒があったよ」


「でかしたぞユキ~って、うぉ!?ほんとにいい感じの棒だー!これは驚くほどいい感じだぞー!」

「えへへ」

「ほいじゃあバッターはカナレアちゃんで~…キャッチャーはユキちゃんで。リョーちゃんは…ボール投げる?それとも打ったボールとる人やる?」

「うーん…じゃあリョーがボールとる~」


「おっけー!じゃあ私がピーチパイ…じゃなくてピッチャーだい」


各々の役割が決まり、それぞれの持ち場に移動を始めた…ところでメアは重大なことに気が付いて足を止めた。

そしてあまりに重大すぎるその事実に声を荒げる。


「ボールがない!!!」

「えーここに来てそれはないだろー石でも投げるかー?」

「それは危ないよカナちゃん」

「危ないのはダメだってリョーは思うな」


うんうんと小さな四つの頭を揺らしながら悩みに悩む。

普通なら仕方がないと違う遊びに切り替えるところではあるだろう…しかし彼女たちは実年齢はともかく子供なのだ。

時としてなぜそう考える?という突発的で変則的で不条理な行動を選択する生き物だ。

そしてここにそれを止める保護者はいない。

結果として出力された答えは…。


「なら私がボールの役をしようじゃないか」


まさかのメアがボールの役を買って出た。

決して意味もなく意味不明な発言をしたわけではなく、この時メアの頭の中ではこの答えにたどり着く完璧なロジックが形成されており、


おそらくこの中で一番の年長者は自分→年下の子たちをがっかりさせるわけにはいかない→それにしてもお腹が空いた→バットが木の棒なのだからボールでなくとも、それに近い奴を探してくればいい→そうだ自分がボールになればいい→夜ごはんはなんだろう。


このようにメアの中では筋の通っている提案だった。

そしてもう一度言うがこの場に彼女たちを止める者は誰もいない。


「よーし、いつでもいいぞー!ちびっこー!」


いい感じの木の棒を装備したカナレアがバッターボックスに立ち、ユキもふかふかのクッションを手に位置につく。


そして二人の視線の先…メアがストレッチをして身体を伸ばし…その場に座り込んだ。

さらにそのすぐ背後には野手の役目をおったはずのリョウセラフが何故か魔力を練り上げながら佇んでいる。


「ほいじゃあいくよー。リョーちゃんおねがい」

「うん。3秒でいくね。3…2…1…!」


1のカウント共にメアが座ったままの姿勢で飛び上がり、その背中に向かってリョウセラフが魔力で打ち出した魔素を叩きつけ…その衝撃でメアを射出した。


さらにメアは空中で身体を丸め、そのまま縦に高速回転をはじめた。

その姿はまさに漆黒のボールさながらであり、バッターからアウトを取るために稲妻の如く直進していく。


「くらえ!必殺ドラゴン・ライトニングストレートー!!」

「なんのー!!」


迫りくる黒い稲妻に、しかしカナレアは臆することなく木の棒を構える。

その棒は白いオーラを纏っており、いい感じの形状をしているのも相まって、その姿はまさに伝説の聖剣…いな、バットだ。

ちなみにユキはメアが高速回転を始めた時点で避難した。


「うぉおおおおおおくらぇい!銀龍殺法!ギガアルティメットシルバーオブフレイム…スイングー!!!」


メアとカナレア。

漆黒の稲妻と伝説の聖剣。

玉とバット。

ぶつかることが宿命づけられたそれらがついに接触し…空気を、空間を…世界を揺らした。


バットは完全にそのボールの芯を捉えていた。

だが稲妻を纏いて縦方向に高速回転しているそれは聖剣が纏う白のオーラをガリガリと削りながらその場に残っている。

バチバチバチバチ!ガリガリガリガリ!

鍔迫り合いを続ける二つの力はついに地面に亀裂を走らせる。


「うっ…ぐぐぐぐぐぐ…!ちびっこのくせにぃぃぃぃい!!」


カナレアの持つ聖剣は今この瞬間もその力を削がれていくがメアの勢いはどんどん増していくばかり…そのあまりの回転力に周囲の物が回転により生まれる風に巻き上げられて周囲を襲う嵐へと変貌しつつあった。

このままでは負けてしまう…!だが伝説の聖剣(木の棒)を持つ者として引くわけにはいかないとカナレアは身体の奥底から限界まで力を振り絞る。


だがどれだけ力もうともメアを押し返すことはできず、さらに聖剣にもひびが入り限界を迎えようとしていた。

しかし諦めない想いはいつだって奇跡を呼び起こす。そして今回、その奇跡は聖剣の勇者に味方をした。


「あっお菓子が!」

「あー!りょーのスルメとジャーキーが!」

「ぬっ!お菓子のいい匂いが!!」


メアの巻き起こす暴風に巻き込まれ、ユキとリョウセラフがポケットに入れていたお菓子が飛んで行ってしまい…それに意識を持っていかれたのかメアの力が一気に緩んだ。

そしてカナレアはそのチャンスを逃しはしない。


「いまだぁあああああああああああ!!すぅぱーギャラクシーデラックスシャイニングスラッシュぅぅうううううう!!!」


かっきーん!

そうしてカナレア…いや、勇者は嵐を巻き起こす黒龍をその聖剣で打ち返して見せたのだ。

そして勢いのまま高速回転するメアは屋敷に向かって飛んでいき…壁を貫いてアザレアに激突したのだった。


────────────


「げふっ…な、なにが…」


壁に埋めりこんだまま、尋常ではない衝撃に胃の中のもの全てを吐き出しそうになりながらも、アザレアはそれに耐えた。

敵の襲撃が起こったのかもしれない状況下で弱みを見せるわけにはいかないからだ。


とにかくまずは状況の把握…飛びそうになる意識を何とか繋ぎ止めて体を起こそうと試みた。

すると自分の腹の上に自分ではない別の体温が存在していることに気が付いた。

暖かくて柔らかい…それを認識した瞬間にアザレアはノーモーションで跳ね起きた。


「メアたん!」

「う…?おぉアザレアだ。何してるの?」


「それはいくら何でもこっちのセリフよメアたん。何をしていたの?」

「やきう」


「それはいったいなぁに?」

「えっとね…んみゅ?アザレア泣いてたの?」


「え…?あ…」


敵に涙なんて弱みは決して見せない…襲撃を疑った時点でアザレアの瞳からすでに涙は枯れていた。しかし頬には先ほどまで流していた涙の痕がくっきりと残っており、メアはそれを目ざとく見つけたのだ。


「これは…汗よ。私が泣くはずなんてないじゃない」

「そうかなぁ~でも前もアザレア泣いてたよ?銀神領に行く前くらいに」


「それは…でもこれは涙じゃないの。だから大丈夫…」

「ぺろりんちょ」


メアの小さくピンク色の舌がアザレアの顔を撫でた。

ぼんっ!と爆発したかのように思考が飲み込まれ、何をされたのか脳の処理が追い付かず、アザレアはフリーズしてしまい、ピクリとも動けなくなった。


「ほらやっぱり涙の味がするよ。どちたのなにかあったのん?私でよかったら話聞くよんよん」

「あ…え…?あ…あぁ…?……………………え…?」


「ありゃ…お顔真っ赤にしてもしかして噂に聞く風邪?じゃあ休まないとだめだよ」

「やすむ…やすやすやす…物価安…────────────────あぇぇ…?」


脳内がバグを起こしているアザレアの頭にメアがそっと掌を乗せて、ゆっくりと撫でる。

小さな子をあやすように、ゆっくりと、そして優しく。


「メア…た…ん…?」

「大丈夫だよアザレア。だいじょーぶ。どんなことでもね、なるようになるんだよ。あまり悩まなくてもね、どうにかなるから。それにね私もいるから。だから大丈夫だよアザレア」


「だい…じょうぶ…ほんとに…?」

「うん」


「あのねメアたん…私ね…もうどうしようもないの…色々おかしくなってて…前なんて向けなくて…それでも…大丈夫なのかな…」

「大丈夫だよ。あのね前なんて見なくてもね、後ろを向いたままで後ろ向きに進めば前に進めるんだよ?知ってた?だからね大丈夫だよ」


ぎゅっとアザレアはメアの小さな身体を抱きしめ…その間もずっとメアはその頭を優しく撫で続ける。


「なんとかなるよ。だっていつもご飯はおいしいから。いっぱい食べて、たくさん寝てそうやって過ごしてればなんとかなるから。だからね、悲しいなんて思わなくていいんだよ。泣かなくていいんだよ。アザレアは大丈夫だから」

「うん…うん…!」


「よしよし、アザレアはいいこだねぇ~いいこいいこ、なでりこなでりこ」


落ち着くまでメアはずっとアザレアをあやし続け、セラフィム達はそんな様子を見ないふりして会議を延期させ、そっとその場を離れるのだった。

なおその後に屋敷周辺の惨状を見た保護者達に子供たちはこの世の終わりかというほど怒られたのだった。

シリアス絶対許さない系幼女ドラゴン。


もう少し説明回が続く予定でしたが、書いてるうちに長くなりすぎて物語の構成的に面白くなくなってしまいそうだったので、次回から日常編とまではいきませんが小話をいくつか挟んでその後改めてお話を進めていこうと思います。

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― 新着の感想 ―
バック走すると信じられない転び方とかぶつけ方するので気をつけよう!
お…温度差ァ!(遺言) アザレアさんがシリアス方面でまでバブみへの渇望に目覚めてしまう…
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