喪失のアザレア3
アザレアとアゼリア。
この二人を思い浮かべて姉妹であると関連付けるのは少し難しいかもしれない。
それは印象の違いだ。
アザレアが愛用している大きな丸眼鏡はその顔つきを見事にごまかしており、またアゼリアを見た人間が真っ先に見て、そして記憶に焼き付けるのはその真っ黒な髪であるからだ。
だがひとたび眼鏡と髪色による先入観を外せばどうだろうか。
性格や、それまで歩んできた人生の違いか目つきこそ違えど、顔のパーツの一つ一つはそっくりであり、実際に並ばれると血のつながりがあることに納得できるだろう。
幼き日に引き裂かれた家族。
それが長い時間をかけてようやく再会できた…はずなのだが、お互いの間に漂うのは気まずい空気であった。
「…」
「…」
片や記憶喪失、もう片方も突然の再会…だけならばまだよかったのだろうが、その状況が最悪なものだったことからどうすればいいのか計りかけており、お互いにどう声をかけていいものかつかめず、無言の時間を過ごし…不意に零れた涙をアザレアはとっさに拭う。
「…えっと…なにか…あったの?アザレア」
「…いえ、なんでも…ありません」
「なんか…敬語使われるの変な感じ」
「え…?」
「となり…いい?」
「あ、はい…どうぞ…」
先ほどまでリンカが座っていた場所に、今度はアゼリアが腰を掛ける。
その瞬間にふわっと風が吹き、お互いの灰と黒の髪を舞い上がらせて交わらせる。
「…髪どうしたの?昔は黒かったのに」
「あ…そうなんですね…ごめんなさい記憶がなくて…」
「うん…とりあえず敬語やめない?なんか…やっぱむずむずする」
「そうですか…?でも…なんとなく…ため口は…ちょっと…」
「そっか。じゃあそのままでもいいけど…一応聞くけど私のことも覚えてないんだよね?」
「…ごめんなさい」
「謝らなくてもいいけど…一応妹なの…あなたの」
「みたいですね…なんとなくですけどそんな関係らしいってくもたろうさんに聞きました。詳しくは分からないみたいでしたけど…」
実のところアゼリア…ネムは黒神領に連れてこられた後、くもたろうやニョロとほとんど話してはいなかった。
何か言いたげな二人ではあったが、「色々言いたいこととか聞きたいことはあるっすけど…ひとまずお嬢様が返ってくるまでは保留っす!二度手間っすからね!」とくもたろうが言い、それから最低限しか顔を合わせていない。
それは話したいことが多すぎて何を話せばいいのかわからなくなってしまうので、少し時間を空けよう…というくもたろうなりの気遣いであり、その状況こそが今のネムの状況そのものでもあった。
ようやく逢えたたった一人の血のつながった家族…色々なことを問い詰めたいが…今はそう言うわけにもいかない。
記憶喪失の相手にそんなことをしても無駄だから。
でも…どうしても気持ちを抑えきれなくて…でもアザレアの事を考えるとやめておいた方がいいと理性は止めて…結果として何も話せなくなる。
「まぁ…とにかくアザレアと私は…血のつながった姉妹で…今ね結構感動の再会なんだよ?どれくらいぶりなんだろう…20年くらい経っちゃったのかな」
「え…そうなんですか!?あ…そういえば私って子供の時にこの家に引き取られたみたいですし…養子に出されたとかそう言う…?」
「ある意味ではそうかもね。私はそこら辺の事はよくわからないから…知ってるとすればアザレアの方なんだろうけど…覚えてないよね」
「…はい」
「そんな申し訳なさそうな顔しないでよ。なんか…昔のイメージと違ってびっくりしちゃうから」
「昔…その…私って…妹のあなたから見てどんな人間だったんですか…?」
「…多分だけどアザレアが知りたいことは答えられないと思うよ。さっきも言ったけど小さい頃に生き別れちゃったからね。最近のアザレアがどんな人間なのか…私には答えられない。それに…知ってることの記憶もさすがに薄れてるしね」
「そう、ですよね…」
俯くアザレアの瞳にまたじんわりと涙が浮かび…不意に伸びてきたネムの指がレンズの下に潜りこみ、それを拭った。
「でもねアザレア…いつも私が泣いてるとあなたがこうしてくれたことは覚えてる」
「え…?」
「私って昔は泣き虫でさ、そんなことはなかったと思いたいんだけど、なんか毎日泣いて過ごしてたような気がするくらい…でもね、いつもアザレアはそんな私の手を取って引っ張ってくれた。涙を拭ってくれた。今思えばそんな私がそばにいたから、アザレアは気丈に振る舞わなくちゃいけなかったのかもだけど…かっこいいお姉ちゃんだったよ」
「…そうなんですね。今の私とは全然別人ですね」
「あはは、そうかもね。やっぱり記憶は戻らない?まったく?」
こくりとアザレアは頷き、残念だなとネムは漏らす。
風に揺れる黒髪は…不思議と儚げに見えた。
「あの…何かあったんですか…?」
「それ最初に聞いたの私の方なんだけどな。いやさ最後にちゃんと話したかったなって」
「最後…?どこかに行かれるんですか?」
「…セラフィムって人知ってる?あの人は白神領を統治してる人みたいなんだけど…私そこで暴れちゃったみたいで…いろいろ落ち着いたらそこで裁判を受けることになってる。たぶん…もう戻ってこれないと思う。実はそもそも私って指名手配犯だしね」
「そんな…」
「というかアザレアもその現場にいたんだよ。だから記憶喪失の原因も…私かも」
「あ、あの!私ってこの黒神領?の立場ある人間みたいですし、なんとかお願いして…!」
ネムはゆっくりと首を左右に振った。
「あんまり覚えてないけど結構な被害を出しちゃったみたいだから…拘束こそされてないけど、だからって逃げるわけにはいかないよ。私は人殺しではあるし、自分でやってきたことに後悔もなければ反省もない…やるべきだと思ったから私はやった。でも…白神領での件は違うから…私もそこに関してはしっかりとけじめを付けなくちゃって思うもの。それにイルメア様…今はメア様なんだった。あの人にだけは私は不義理なんてできないから」
「…」
「だからってわけじゃないけどアザレア…何をそんなに泣くほど悩んでるのか教えてくれない?もうすぐいなくなる私だからさ、吐き出せるものもあるでしょ?誰にも漏れないから後腐れなくって意味で」
そっと手を重ね、ネムはアザレアのレンズの奥の瞳を覗き込む。
目を目を合わせ…アザレアは心の奥に懐かしいような…寂しいような…なんだかよくわからない感情が輪郭のないモヤモヤとして揺らめいているのを感じた。
「もしかしてだけどさ、この本が原因?」
手を重ねたことでネムはアザレアが膝の上に一冊の本を置いていたことにようやく気が付いた。
その表紙には点々と涙の痕が残っていて…これを手に入れた後にどれだけ涙を流したのかなんとなく察することができた。
「…はい。実は…以前の私が書いていた日記のようでして…執務室に隠してあったものを見つけたんです…」
「え…それって今ここの人たちが血眼になって探してるやつじゃないの?」
黒神領では現在屋敷中の調査が手の空いている者たちによって行われていた。
黒神領にある謎の解明、およびウツギが見たというたどり着けない部屋の有無を含め調べるためだ。
そのなかでも事情を知っているかもじれないというアザレアが何かを残していないかと、やりすぎない範囲で私物の捜索も行われていたのだが…めぼしいものは何も見つからなかった。
しかし今のアザレアが持っている日記は…まさに皆が求めているもの足りえるのではないだろうか。
「…」
「それはさすがに…誰かに報告をした方が──」
「ダメです!!」
ここに来て力強く大声をあげたアザレアに少しだけ呆気にとられ、声をあげた本人もはっとして慌ててごまかすように首を振った。
「ご、ごめんなさい…!でもこれだけはダメなんです!ほんとに…これだけは…」
守るように…いや、隠すように日記を抱きしめて小さくなるアザレアの姿は…まるで幼い子供の様で…絶対にそこに書かれている何かを人に見せたくない…明確な拒絶の意志をアザレアは示していた。
「私にも話せない?」
「…」
「そんな泣くほど大変なことが書かれてるのなら…やっぱり誰かに共有したほうがいいと思う。アザレアの様子を見るにひとりで抱え込めるものじゃないよ。大丈夫、もし私が見て大変な事なら…口を噤むし、隠しておけないようなことだとしてもなんとかそれを見られないまま、私が皆さんに誤魔化して伝えるから。どうせもうすぐいなくなるし何とかなるよ」
「…先ほどあなたも名前をよびましたね…「メア」って」
「え?うん…」
「この国でその名前はとても大きな意味を持つようです…なのに私は覚えてない…それどころか誰のことも覚えてなくて…それが怖くて不安で…でも私は…記憶を取り戻したくないって…思ってしまうんです」
てっきり逆で、記憶喪失の人というものは記憶を取り戻したがるのだと思っていたのでネムはまた少しだけ驚いた。
アザレアは…不安や恐怖ではなく、記憶を取り戻したくないと涙を流していたのだ。
そしてその原因が…日記の中にある。
「記憶がないのは怖い…でも、それを取り戻すことはそれ以上に怖い…!ううん、もう取り戻したくないんです!それがどれだけ人に迷惑をかけることになるとしても…私は…今の私のままでいたい…でも…一人で抱えるのも限界で…だから…あなたが私の妹だというのなら…」
すっとアザレアがその手の中にあった日記を差し出し、それをネムが受け取る。
この黒い日記には何かがある…。緊張感を胸に、ネムはゆっくりと日記を開いて中身を見た。
そして…顔を青ざめさせるのだった。




