ドラゴン対談
「う…」
顔に激しい痛みを覚え、ヴィオレートは目を覚ます。
そしてそれと同時に自分がおかしな状況に置かれていることに気が付いた。
身体が動かず、妙な圧迫感があるのだ。
「…縛られてる?」
「ええ、さすがに拘束もなしに置いてはおけないですから」
状況を認識するための独り言に答えたのは教会に備え付けのソファーに我が物顔で座っている白髪の女…聖龍セラフィム・ホワイトだ。
「なるほど、そういうことね…油断したって事かしら」
何とか身動きを取ろうと身体を動かしてみるが、どういうわけか全くと言っていいほど身体を動かすことができない。
ヴィオレートは直接的な力が強いタイプではないが、だからと言って身体に巻き付いている縄を引き千切る程度のことはできる。
しかしそれが出来ないところを見るに、どうやらセラフィムの力による拘束のようだとため息を一つ挟んで抜け出すことを諦めた。
「それで?私を縛り上げてどうするつもり?私にそっちの趣味はないわよ?」
「私にはありますが、今はどうでもいい事でしょう」
え?あるの?と突っ込みそうになった言葉を飲み込む。
なぜならヴィオレートは自分が今かなりまずい状況に置かれているという事が意識がはっきりしていくにつれ理解できてきたからだ。
「…どれくらい眠っていたのかしらね私は」
「一時間程度ですよ。何もしなければもう少し眠っていたでしょうが、あらかたこの場所の探索も終わりましたので無理やり起こさせてもらいました」
「…なるほどね。ちなみにこの眉間のあたりが死ぬほど痛いのは…」
「私が死ぬほど殴りました。メアに蹴られていた時点で少し凹んでいましたけどね」
「荒っぽい事。というか今、探索したって言った?…よけいな事…してないでしょうね」
「何を持ってよけいなのかは分かりませんが、罠が仕掛けられていないかどうかをざっと見て回ったくらいですよ…その過程で一つ…いいえ、「一人」面白い方を見つけましたが」
「その子に何かをしていたのなら許さないわ」
「人の子に手を出しておいて何を言うのかと言いたいですが、何もしていませんよ。安心なさい」
その言葉を鵜吞みにはできないが、今はまだ強硬手段に出るには早すぎる。気を抜くことはできない。
普通に会話をしているように見えて、今もなお正面に座るセラフィムからは抑えきれていない殺気のようなものが漏れているのだから。
ヴィオレートにとってこの状況はほぼ詰みと言ってもいい。
記録されている中で最古にして最強の龍…それがセラフィムだ。
度々起こる戦争では様々な理由から均衡を保っているが、正面を切っての一騎打ちで絡め手を得意とするヴィオレートが勝てる相手ではない。
手がないわけではないが…それが通用する可能性もそこまで高くはなく…一瞬の思考の後、ヴィオレートは前向きに受け入れることにした。
「そうなのね、なら私があなたを罠に嵌めるために呼び出したってわけじゃないのは分かったでしょう?ね、ここはひとつ穏便にお話をしないかしら?」
「…メアから簡単な経緯は聞きました。ただそれを馬鹿正直に聞くわけにはいかないのも理解できるでしょう?あなたと何度殺し合いをしたと思っているのです?」
「だけど知りたいでしょう?なんであなたと私が殺し合いなんてしていたのか、なぜ教会が龍に対して争いを仕掛けるのか…そしてあなたたちの本当の敵が誰なのか」
「…」
セラフィムの視線にはいまだ敵意と殺意が滲んでいるが、それと同時に興味と関心の色も見て取れる。
おそらくわざとそう見せているのだろうが、ヴィオレートとしてはそのような試し行為など不要だと微笑みを返した。
「…そちらにわざわざこちら側に情報を漏らすメリットがないように思うのですが?」
「それを提示してほしいってわけ?自分たち側のメリットだけ享受すればいいでしょうに」
「取引とは双方の利益によって初めて成り立つのです。どちらか片方だけに都合のいい取引…そんなものは信用に値しなのです」
「めんどくさい女だこと。当然こちらにも聖龍…あなたたち側に寝返るにたる理由があるわ。でもそれを話す前に私を受け入れるって約束が欲しいわけ。難しい話なのは承知の上でこちら側のメリットを話すこと自体があの人たちにとっての「裏切り」行為になるの。シャレにならないでしょ?あなたたちと教会側…双方に追われるなんて」
「…そちらの要求はあなたの身の安全の保障。その対価として知りえるすべての情報を提供する…これで間違いはないですね?」
「ええ」
セラフィムの視線から全ての感情が消えた。
もはやどれだけ覗き込もうとも、なにも感じ取ることができず…逆に全てを見透かされている気持になる。
そもそも他者との関りというものをほとんど断っているヴィオレートだ。
途方もない時間を龍や人と関わり続けた老獪にそちらの方面で対抗できると思うほうが間違いだろう。
どうせこの件に関して隠すことはないとあえてその不気味な視線を正面から受け止めた。
そうやってしばらくにらみ合いを続け…不意にセラフィムは視線を一瞬だけ上に向けた。
その先には…ヒノの寝室だ。
「ところで聖龍…メアちゃんはどこに行ったのかしら?」
「話を逸らそうとしたのなら残念でしたね。メアは上にいる少女のところで眠っています。つまりは藪蛇です」
「…何が言いたいの?」
「あなたの事を受け入れるのはこちらとしては現実的にも心情的にも難しい。しかしメアがどうしても話を聞いてあげて欲しいと頼み込んできたというのは考慮されるべき点でしょう。どう付け入ったのかは分かりませんが、あなたのそのベールの下も見ないであげて欲しいと言われました。随分と懐かれているようで──」
「…」
「こほん、それはともかく話よりも先にあなたの身柄の安全を保障するというのならこちらからも一つ条件を付けさせていただきます」
手にしていたステッキでセラフィムが力強く床を叩き、先ほど視線を向けた天井を指す。
「聖龍…なにを…!」
「良いでしょう、あなたを受け入れ保護を約束します。その代わり…あなたが話す情報のなかで明らかな嘘がある、こちらをたばかろうとしている、こちらに対しての何らかの悪意が感じられると判断した時点であなたの同居人を殺します」
セラフィムがその言葉を吐いた瞬間、教会の外から窓を、壁を突き破って大量の動く屍がなだれ込み、セラフィムに襲い掛かった。
しかしその死体たちはセラフィムに触れる前に光の粒子の様に身体を崩壊させ消えていく。
どうやらそこに不可視の結界のようなものが存在しているようで…。
間髪を入れずにヴィオレートは「切り札」を切った。
霧散していく死体たちに混じって一つの影が周囲の家具や置物を薙ぎ倒しながらものすごいスピードでセラフィムに接近し…不可視結界を破ってセラフィムに迫った。
その影はギリギリまで近づくと握りしめた拳を放ち…それをセラフィムは片手で受け止めた。
行き場を失くした衝撃がセラフィムたちを中心に周囲を揺らす。
「なるほど、遺体の回収ができなかったので魔素に還ったのだと思っていましたが…あなたが悪用していたのですね。この先代「緑」を」
「…」
「ただ残念ですが、彼女では私を止めることはできません」
セラフィムは座ったままの姿勢で先代の緑の拳を捻りあげ、地面に叩きつけると、何もない空間から落ちてきた光の杭のようなもので四肢を貫き、床に縫い留めた。
「ましてや意思のない傀儡など脅威でさえありませんよ」
「なんで…だって緑龍は…」
「身に触れた魔力を分解する力を持っているはずだと言いたいのでしょう?私がそれを知らないとでも思いますか?当然対策の一つや二つ持っていますよ」
「…」
よく目を凝らしてみると緑龍の身体を縫い留めている光の杭はその光の中に物質的な杭も存在しているように見えた。
どういう原理かは分からないが、どこかからか転移させた物理的に存在している杭に、セラフィム自身の力を加えて緑の力を封じているのだろう。
それ以上のことは分からなかったが…これでヴィオレートの手札はほとんど尽きてしまった事になる。
まだ出来ることはあるが…想像以上だった直接対面する聖龍の力に、その余力で対抗できる気がほとんどしなかった。
「そうイキリ立っている姿を見るに、やはり私のことを罠に嵌めるつもりでしたか?」
「…そんなつもりはなかった。でもあなたは私の触れてはいけない部分に触れようとしたのよ」
「おかしなことを言いますね、私の話を聞いていませんでしたか?あなたが明らかな悪意を持って私を欺かない限りは触れないと言っているのです」
「私の話の真偽をどう判断するというのよ」
「私の独断と直感しかないでしょう」
「そんなの…あなたのさじ加減一つじゃない。私から搾り取るだけ情報を得たらもう用済みだと殺すと言っているようにしか聞こえないわ」
「奇遇ですね。私にはあなたの提案もそれに近く聞こえますよ。嘘の情報でこちらを惑わせ、油断させて殺すと」
「…」
「理解できましたか?どれだけお互いに飲み込みがたい提案をしているのかと。こんな条件での取引など信頼皆無で敵意しかない我々の間で成立するものではないのですよ。ですが確かに私は今どんな些細な情報でも欲しい…そして何よりメアからのお願いです。私としても話を呑みたい気持ちもある…だからお互いに条件を受け入れて妥協するしかないのですよ」
パチンとセラフィムが指を鳴らし、ヴィオレートの拘束を解いた。
そしてソファーに座れと目で指示をし…改めて対等に二人は視線を交わし合う。
「私はあなたの情報に踊らされて毒を飲まされる可能性を、あなたは私の独断で…いまいち信じられないのですが、あなたの大切にしているあの人間を殺される可能性を…これらを飲み込んで双方が裏切らないことに期待するしかない。それしかないのですよ」
「…こちらの背負う担保があまりにも重すぎるわ。私の命ならいくらでもあげる…でもあの子だけはダメよ」
「それはお互いの認識する価値の違いです。あなたが自分よりもあの人間が大切だというのなら、こちらとて長年の積み重ねが全て無に帰す可能性を受けるのです。国も仲間も友も、歴史も何もかも…私からすればこちらの方が重く感じますよ。それがそれぞれの内にある価値というものです」
「…わかった。あなたの提案を…契約を…飲む。でも覚えておきなさい聖龍…もしヒノに何かあれば…何があっても私はあなたの喉笛を噛み千切るわ」
「そうなればなったで…元の関係に戻るだけ…いえ、正しい関係に帰るだけと言えるでしょう。脅しにはなりません。ただ一つ言えるのは、あなたがこちらに真摯であるのならば、私も悪いようにはしないという事だけです。信じるかどうかはあなたしだいですがね…お互いに」
そうしてようやく二体の龍は話し合いの席に着くのだった。
せーさんは普段相手にしているのが独特な感性をしている(マイルド表現)アザレアとだだ甘に接しているメアなので、ちょっと弱い感じですが、シリアス気味の人と絡む場合は結構強いです。
頭が愉快な感じの人に弱く、シリアスタイプに強い。そんな人です。




