拾ってみる
それは【混沌】と呼ばれていた。
人が不便なく生活できる程度の広さの、窓も仕切りもなく、祭壇のようなものが置かれた小部屋の中心…そこで渦巻いているものを見れば最初にそう名付けた者の気持ちが理解できるだろう。
炎が燃え、霜が降り注ぎ凍り付いて、突風が吹きすさび、雷が全てを灼き、地面が砕けて亀裂から土柱がせりあり、雨が降り注ぐ。
風が炎を煽り、炎が氷を溶かし、溶けた水が地面に染み込み土塊を盛り上がらせ、雷が全てを焼いて衝撃から風が起こる。
外界から遮断された密室の中であるにもかかわらず、天変地異というしかないありとあらゆる現象がお互いを食い合い、増長させながら【混沌】としてそこにあった。
この異常現象は観測されてから100年と数十年…一度も収まったことはなく、当時調査を受け持った専門家曰く無限に魔素を消費しながら存在が維持されているとの事で、はじめは危険だからなんとか処理しようと人々が手を尽くしたがそこに込められた魔力はあまりにも膨大であり、人の手には負えなかった。
だがある時、誰かが発想を逆転させてはどうかと口にしたことで状況が変わった。
この異常な現象を処理するのではなく、利用すればいいのではないかと。
そして長い試行錯誤の末に荒れ狂う異常現象を無限に尽きぬエネルギーとして「とある実験」に有効活用されることになり…【混沌】と名付けられたそれは町と教会でカモフラージュされ、秘匿されたのだ。
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「という事なんだけど理解できたかしら?」
「うぅ…うっ…うっ…」
ヴィオさんがなんかいろいろ説明してくれたみたいだけど、まったく頭に入ってこなかった。
いろんなマイナス感情がごちゃ混ぜになって大変だ。
え…?なんでこんなことに…?ここがあの私が吹き飛ばした山の跡地なの…?というかなんで私のやんちゃした跡が祀られてるの…?──うぎゃああああああああああああああ!!!
恥ずかしいやら悲しいやら来るしいやらで…このままではおかしくなって妙な行動に走ってしまいそうで心配だ。
「ど、どうしたのメアちゃん…なんで突然泣きながら踊りだしたのかしら…?」
そんなの私が聞きたい。
でもヴィオさんにはわからないだろう…過去の黒歴史が何故か祀られてて頭がぐちゃぐちゃになった挙句に無意識化で踊るしかなくなったドラゴンの気持ちは。
「メアちゃんって基本情緒が不安定よね。少しは羽を広げて休んだ方がいいわよ?」
「趣味は眠ることですん。みにまむぼでーなので」
「あら健康的。まぁそんなわけでこれが紫神領の重要機密ってわけ。もっともそれを知る人間はほとんど私が殺しちゃったけどね」
「…じゃあ他にこれを知ってる人はもういないの?」
「いないことはないと思うけど…お母様は知ってるだろうし…あぁいや、もう忘れてるかもね。興味なさそうだったし、あとは教皇と一部の教会関係者くらいで…少なくともこれを今更気にしてる人はいないと思うわよ」
「…なるほど」
私は今真剣に考えていることがある。
ここでヴィオさんを消してしまえばこの黒歴史を知る者はいなくなるのではないかという事を。
ただ他にもこれを知っている人はいるみたいなので現実的ではない。
…なぜ私がここまで動揺しているのか…おそらく誰にも伝わりはしないのだろう。
しかし確かにこれには私をダークサイドに墜とすだけの力があるのだ。
やんちゃしてた頃の黒歴史…調子に乗って…かっこいいと思って作った必殺技。
死ぬほど母に怒られた恐怖。
それがなぜか祀られているのだ。
もう何もかもを消し去りたい気分になってしまう。
むしろ未だ実行に移していない自分の理性の頑強さに驚いているくらいです。
ふと気を抜けば次の瞬間には全てを無に帰してしまいそうに…いや…やればいいんじゃないかな?
そうだよ、わざわざ人を消さなくてもいいんだ。
あまりにも頭が回ってなさ過ぎて気が付かなかったけど…ここを吹き飛ばせばいいんだ。
「ねぇねぇヴィオさん。一つ聞きたいのだけど」
「なにかしら?」
「これいる?」
「【混沌】の事?いらないけど…メアちゃんもしかして欲しいの?私にとっては事情もあって曰く付きのやつだし、あげられるものならあげたいけど…でも動かせないわよ?」
「そっか。私もいらないの…だからね?消し飛ばそうと思って」
「え」
瞬間、私ブチギレの久しく見せてないリアルガチモード。
この混沌とか言う恥ずかしい名前を付けられている黒歴史は確かにおかしい。
私が山を吹き飛ばしたのがざっと200年くらい前のはずだから、その時の残滓が残っている…と言うのは過去のちょっとやんちゃしてた時の力とは言えいくら何でも異常だ。
つまりはこの黒歴史を現在も黒歴史として存在させている「なにか」があるはずで…ただそんなものを特定するよりも「ぱぅわー」で上から叩き潰したほうが早い。
なぜなら恥ずかしいから。
一秒でも早くこの世から消し去ってしまいたいから。
「すべて塵となれ…!」
「ちょっ!待って!メアちゃんストップストップ!」
【混沌】を庇うようにヴィオさんが身を乗り出してきた。
ここで私に残って一握りの理性がなんとか身体を踏みとどまらせてくれたので助かった。
「…どいてヴィオさん。私は今すぐそれを消さなくちゃいけないの」
「なにがどうしてそんな結論に至ったのかは分からないけど、落ち着いてちょうだいな。こんな場所でそんな大きな力を解き放ったりしちゃったら、この教会が…いえ、街そのものが吹き飛ぶわ。それはさすがにダメよ」
「私的にはダメじゃない」
「でも私はダメなのよ。一緒に死体たちまで吹き飛んじゃったら私の戦力が大幅ダウンするし、なによりヒノが上で寝てるのよ。一回冷静になりましょう?ね?」
「…うぅぅぅぅ~!」
爆発しそうになった感情を何とか飲み込んでクールダウンを試みる。
確かに一時の感情に任せて爆発するのは良くない…これではこの黒歴史を作った時と同じ状況になってしまう…それは避けなくてはいけない。
落ち着け~落ち着くのよ私ぃ~…心頭滅却すれば火もまた冷製スイーツ。
「そうそうおちついて、おちついて…あとで新しいお菓子を用意してあげるから」
「落ち着きましたん」
「ほっ…」
「とでもう言うと思ったかばかめー!!!!ちぃぇぇええええええすとぉおおおおおおおおお!!!!!」
安心して気の緩んだヴィオさんを突破して狙うは我が黒歴史。
限界まで魔力を込めた手刀を叩きこむ…!
これならばそこまで被害は出ないでしょう…たぶん!
これが今の私にできる精一杯の配慮だ。
「メアちゃん!ちょっとー!?」
「ふみゅん!!」
【混沌】に手刀を突き刺して中をまさぐる。
暑いし冷たいしピリピリするしザクザクされるけど、まぁ耐えられる。
問題はこれの中心だ。
さっきも言ったけれど、いくら私のドラゴン的才能によって生み出された最高にクールな技だとしてもここまで残り続けるだなんてありえない。
ということは中心にこの【混沌】をとどめている何かがあるはずなのだ。
そして案の定、指先に何か硬いものが当たった。
これだ!これを無理やり引っ張り出せば…!
「うぅぅぅぅぅん…どっこっしょーい!!」
【混沌】から引っ張り出した私の腕はズタボロになっててエライことになっててぎょっとした。
けれどそれよりも…私の手に握られているものの方が気になった。
「…本?」
「え…メアちゃんどっから引っ張り出してきたのそれ…」
私の手の中にあったのは確かに本だ。
サイズはちょっと大きめで…というか物体としてはそこまで大きなわけではないけれど、本にしてはいささか大きすぎて読みにくいのではないか?というくらいのサイズだ。
どうやらこれが混沌の中心にあってそれを押しとどめていたものみたいだけど…なんだかちょっと懐かしさを感じる。
「んー…?」
コンコンと表紙を軽く叩いてみる。
そこまで硬い気はしないけれど…あの混沌の中にあって傷一つついていない。
つまり普通の本ではないという事だ。
興味があるのかヴィオさんが近づいてきて本を覗き込む。
「…これ…表紙はなんて書いてあるのかしら?見たことない文字だけど…」
「ん?確かに…いや…」
私も表紙の文字は読めない。
読めないけれど…それが何の文字なのか理解できた。
引っかかったのは私の知識ではなく…それは母の記憶。
「に…ほ、ん…ご…?え…これってもしかして…」
私はより深く、浮かび上がってきた母の記憶に潜っていく。
そして確信した。
間違いない…これは母が昔使っていたらしい言葉だ。
つまりこの本は…母が書いたものという事になる。
そこで私は思い出した。
母とお別れをしたあの日…私に「シュジンコウ」や「らすぼす」の話をしていた時に母はこんなことを言っていた。
(そういえば私が龍として生まれてすぐの頃に前世の記憶をウキウキで魔法で書き写した何かがあったな…どこにやったか…)
(…あったはずなんだがどこにやったか分からん。そもそもがそれこそ数千年前の話だからなぁ…以前住んでいた場所に置き去りにしてしまった可能性もある)
ここはほぼ間違いなくかつて私と母が住んでいた場所の跡地…なんだか懐かしい気配を感じる異常な本。
表紙には母の記憶にある文字…間違いない、これは…。
「母の書いた本…いや…日記…?」
今日この日、思わぬところで思わぬ物を私は手に入れてしまったのだった。




