交通事故
広がる雨雲からキラリと光る一滴が零れ落ちる。
そのたかが一滴で数十ものありとあらゆる命を侵し崩す…死の一滴だ。
それが一つ…二つ…次の瞬間には空を覆い隠すほど…無数のそれが降り注ぐ。
一度その雨が大地に降り注げば木々や土に染み込み汚染するだろう。
人だけでなく土地すらも殺す…それが毒金龍の力だ。
「おじさん…」
「…もう…とめられん…油断したつもりはなかったが…完全に俺の力不足だ…だが、まだ諦めることはできん!ここで諦めればウツギの想いをも無駄にしてしまうことになる!ふん!!」
ブルーが天に向かって手を伸ばし、その掲げた掌から半透明の光の膜のようなものが円形に広がっていく。
彼の本領である魔法の力で展開した防御膜であり、どこまでも大きく広く広がっていく…だが、
「この国すべてをカバーはできない上に、そう長くは持たせられないが…それでも何もしないよりはましだろう!リョウセラフ!この状況を他のやつら…いや、なんとか聖のやつに連絡を取れ!それまでは死んでももたせる!」
「う…うん!!」
「きゃはっ!無駄だよ~そんな時間あるかな~?あると思ってる?雨は地面に染み込んで直接落ちてない場所にもどんどん広がっていくし、そもそもさ~筋肉ちゃん…たかが雨だからって馬鹿にしてるでしょ?知ってる?水って結構おもいんよ!私もまえに余裕っしょ~!って水の入った桶持ち上げて腰やりそうになったし!そんな何キロ、なん十キロも広げた膜の上に降り注ぐ雨をどうやって受け止めるつもりだし!笑っちゃうんですけどー!」
「くっ…!」
今しがた金の龍が語ったことをブルーは失念していたわけではない。
ただそれでもやるしかなかったというだけのことであり、自分と龍に怯えながらも立ち向かったウツギのことを思うと、どうして自分が諦めらるだろうかとここで命を捨てる覚悟すらしてブルーはすべての力を振り絞ったのだ。
そんなブルーの姿を金の龍はどこまでも無駄だと空から嘲笑う。
そして…ついにその死の雨が黒神領に降り注ぎ始めた。
雨は当空にいた金の龍にまずは当たる。だが当然ながら自らが司る概念から生み出した毒で金の龍が影響を受けることはない。
なので余裕の笑顔で金龍はそれを受け止めた。
コツン…と頭に跳ね返るような硬いそれを。
「あいたっ!…え?何いまの」
確実に雨ではなかった。液体ではなくどう考えても固形物だったから。
小石をぶつけられたような…そんな感じだった。
それの正体を確かめようと上を向いて…それが顔いっぱいに降り注いだ。
「あいたたたたたたた!?ちょっ!たんまたんま!何これ痛い!ってか肌が!あたしのちゅるちゅるの肌が!マジでなんなん!?」
空で悲鳴を上げる金の龍とほぼ同時にブルーもその異変に気が付いた。
降ってくるものがどう見ても雨ではない。
そらから無数に降ってくるそれは…やや白く濁った半透明の石のようなものに見えた。
「なっ…!?まて!水を受け止める用の魔法を展開していたんだぞ!?そんなものは受け止められ…!」
ブルーの奮闘虚しく、その石はいとも簡単に防御膜を突破しブルーの全身を撃ちながら地面に降り注いで跳ね返る。
「う、うおぉおおおおおおお!?なんだこれは…!なにをした!金!!」
「いや!知らんし!あたしが教えてほぢいんですけど!?あぁああいたい、いたい!痛いってぇ!!」
「うっ…くそ!俺の筋肉を舐めるな!!」
目を開けていられないほどの小石の襲来を片腕で防ぎつつ、ブルーはもう片方の腕で地面に落ちたそれを拾い上げた。
そうすることでようやくそれの正体に気が付くことができた。
「これは…氷…?いや…雹というやつか…?」
「ひょう!?なにそれ!あんまりむずかしい言葉を使うな!分かりやすく言って!筋肉ちゃん!」
「ぐっ…!雲の中の水が凍り付いて、上昇気流によって巻き上げられたのちに──」
「難しい事言うなぁ!!」
「雲の中の水が凍って落ちてきているのだ!!というかなぜ貴様がこの現象について知らぬような態度をとっているのだ!!」
「だって知らないんだもん!いてててててて!!?何が起こってるの!!!」
「金のやつもこの現象に心当たりがない…?ならばいったい何が…いや、今はこの幸運にあやるしかなかろう!」
一瞬ごとにその勢いを増していく雹に翻弄されながらも、ブルーは秘かに安堵にその大胸筋をなでおろしていた。
なぜならば触れた場所に染む水と違い、雹ならば固形である以上は溶けない限り毒としては機能しない。
一瞬にして無数の死を運んでくるはずだった雨が猶予のある表に変わったのだ。
この機を逃す手はないとブルーは拡声の魔法を展開し、力の限りの大声をあげた。
「聞け!黒神領の民たちよ!この降り注ぐ雹に触れるな!これは猛毒を含んだ水が凍ったものだ!決して手で触れずに逃げ場を確保しろ!!決してあわてるな!!」
これで民たちの被害は最低限に抑えられるだろうとブルーは一息つき、次の行動を考え始める。
「とはいっても…この勢いの中では戦うことはできんか…!火の魔法を使うのは雹を溶かしてしまう故に使えん…となれば…」
ブルーは踵を返し、雹が積もりかけている意識のないウツギを回収してその場からの離脱を計った。
金の龍がいたという事に、謎の雹…想定外の事態が起こりすぎて戦況の把握が困難故に、一度全てを建て直すべきだと判断したのだ。
幸いにも金の龍も完全に身動きが封じられているために時間はある…ならば如何様にもできるはずだ…そう考えていたブルーの視界にさらに不可解な現象が映り込んだ。
「な、なに…?雹が…浮かんでいるだと?」
地面に降り積もって…いや、降り重なっていた無数の雹が風に巻き上げられるようにして渦巻きながら空に浮かんでいく…風など拭いていないにもかかわらずだ。
さらには振り続ける雹自体も地面には落ちず、その舞い上がった雹の塊に合流するように吸い込まれてどこかに運ばれていく。
「なんだ…?」
「なに…?」
ブルーと金の龍…敵であるはずの二人だが、仲良く同じ方向を向いて呆然としていた。
やがてすべての雹が雲の中から吸い出され、地上に残っていたもの綺麗にどこかに消えてしまったのだった。
「…」
「…」
「…金よ」
「あ、はい」
「仕切り直すか?」
「いや…あたし…先ほども言いましたですようにぃ~…筋肉ちゃんたち龍がいるだなんて想定していなかったと言いますでありますかぁ~…ちょっと準備してなくて余力がない的な…?」
「…ほう?」
担いでいたウツギを再び地面に降ろし、ブルーは拳を握りしめる。
その様子にビクッと肩を震わせながら、金の龍は慌てて両手を振った。
「まってまって!ねぇちょっと待ってよ!見て筋肉ちゃん!あたしもうボロボロだよ?ボロボロっしょ?ね?こんな可哀そうなあたしのこと殴ったりはしないよね?ね?」
「悪いがそう言うわけにはいかん。ここでお前をただで帰すわけにはいかん」
おくびにも出さないがブルーは実のところ限界が近かった。
ウツギが合流するよりも前から戦闘を続け、その身に何度も毒を受けていたことに加え、無駄に終わったが先ほどの防御膜の展開に力のほとんどを使い果たし、立っているのもややつらいほどだった。
しかしだからと言ってここで金の龍を逃がすと再び襲ってくる可能性がある…故に少なくともしばらくの間背淫蕩不能にはする必要があるとブルーは身体の底から尽きかけた力を振り絞っているのだ。
(倒しきれずとも腕の一つくらいはもらっておく必要がある…まだ倒れるな…限界を越えろ俺の筋肉…!)
地面を力強く踏みしめ、全力で飛び上がろうとした…その瞬間だった。
「わぁあああああああああ!!はやいー!めっちゃはやいぞー!うっはー!」
「ひぇぇえええええ…!こ、こわいよぉおおおおお…!!」
まるではしゃぐ子供のような…場違いな甲高い声がどこからともなく聞こえてきたのだ。
それと共に何かを勢い良く削っているような…そんな音もしている。
「え?え?何この音…いや、怖いって!さっきからなんなの!?ねぇ!?」
金の龍はなぜか敵であるブルーに縋るような視線を向けてきたが、ブルーとてなにが起こっているのか理解できていないのだ。
助けようとはそもそも思っていないが、仮に助けるとしても何もできない。
「ああもう!わけわかんないが過ぎるんですけど!?もう帰る!ここまでわけわかんない事になったらさすがにあたし悪くないっでしょ!?怒られても知らん!おうちかえるー!もう!」
バサッと翼を翻し、どこかに飛び去ろうとした金の龍。
その時に振り向いた方向が…彼女の命運を決めた。
「あぁあああああああ!!ママ!人がいるぞー!!なんか人がいるー!やばいぞママ!!」
「とまっ、とまって…!」
「は…?え、ぎゃああああああああああああああああああ!?!???!」
空の上でなんと金の龍は轢かれてしまった。
勢い良く空を突っ込んできた何かに轢かれ、金の龍は悲鳴をあげながらどこかに飛んで行ってしまった。
「…なんだ…?この…なんだ…?」
金の龍を跳ね飛ばしたそれは上空で静止していた。
いつのまにか空にできた氷の道の上で、氷でできたソリのようなものに乗って呆然と。
「やややややばいってママ…こーれ絶対ヤバいぞー…どうする…?」
「あ、謝って…どうにかなるかな…?ママ…ちゃんとごめんなさいしないと…」
「…」
氷の道、ソリの上に乗っているのは銀髪が特徴的な無表情の女であり、そしてその背には黒髪と赤髪の小さな少女が二人、ちょこんとのかっていた。
こうして謎の人物の介入もあり、各地の戦闘も一旦の落ち着きをむかえ、波乱に満ちた黒神領襲撃事件はひとまずの解決を見たのだった。




