勝者の一撃
センドウと別れたウツギはすぐに屋敷まで戻り、民たちの避難を開始させた。正確には既に始まっていた避難に参加した形ではあるが、一応の責任者がいるといないとでは大きな違いがあるのと、様々な理由からウツギが合流してからの避難は驚くほど順調に進んだ。
前回の枢機卿リムシラ襲撃事件からアザレアはセラフィムと共に今後起こりうるいくつかの…展開を予想し、対策を仕込んでおり、そのうちのいくつかをウツギをはじめ、領民代表としてシルモグとカナリ他数名にも共有されていた。
そして今回、センドウが枢機卿アリセベクを裏切り、黒神領側についたことで迅速な行動が可能になったのだ。
走りながらウツギはセンドウとの会話を思い出す。
「ウツギさん、この国に枢機卿が来ています。おそらく目的は侵略、侵攻…もしくは殺戮か」
「んな…!?なんでこんな時に…!アザレアがどっか行っちまってんのに!」
「その件も今回の事に関係している気がしないでもないですがぁ…まずは目の前の事態です。やるしかないでしょう…やるしかないんですよウツギさん。私がわかっている情報はすべてお話します…それをもとに被害を最小限に抑えるんです。ここに残ると決まっている以上はやるしかないんですよ…あなたがです」
「…」
理由は絶対に語ろうとしなかったが、アザレアは枢機卿の襲撃があった後にセラフィムに黒神領を捨てるという選択肢もあるのではないかと提案された際に考慮の余地もないと切り捨てている。
実際に黒神領を捨てるというのは言葉にするほど簡単な事ではないのは事実だが、一考の余地もないというその態度に若干の違和感を覚えたのも事実だ。
なんにせよまた襲撃があったという事実は変わらない。
ならばセンドウの言う通りやるしかないのだとウツギは逃げたくなる脚をなんとか押さえつけながら頷いたのだ。
「安心してください…とは言えませんがぁ…私も、他の方たちも協力します。すべてをあなた一人に背負えというわけではありません。そこだけは重く取りすぎないでいただけると」
「…あぁ。それで何をすればいいんだよ」
「まずは領民の皆さんに避難指示を出しましょう。私が指定を受けているアリセベクさ…枢機卿からの合流地点から相手の侵入経路を予想してそこから逆の方へ…話を聞くにそこまで大人数で来ているわけではないようですし、対処のしようはいくらでもあるはずです。とにかく焦らない…これにつきますねぇ…それから──」
限られた時間でやることを詰めつつ、頭に叩き込む。
失敗すれば大勢の人間が死ぬ…思いこされるのはリムシラ襲撃事件の事。
つい先日まで普通に生活していた人間が、無惨な死体という肉の塊になって地面に転がっていたあの地獄のような光景。
そして呪骸に半分取り付かれて仲間の命を奪ってしまったあの感覚。
あんな思いをするのはごめんだとウツギは覚悟を決めるしかなかった。
「…戦える人間が少なすぎるな」
「それはもう言っても仕方がありませんねぇ…むしろ枢機卿と呪骸相手に戦える人が数人いるだけでも上出来以上の事です」
「つってもアンタまで戦うってのは…」
「今回ここに来ている枢機卿を相手取るのはむしろ私が一番適任ですからぁ…そこは心配なく。残りの戦力は他に来ているかもしれない枢機卿や兵隊相手に回してください…それでも心もとないくらいですが…」
その時、二人の耳に「ガシャ…」と金属が擦れる音が聞こえ、見ると窓の外に二人に背を向けて歩いている全身鎧の騎士の姿が見えた。
「あいつは…」
「どうやら彼女にも協力していただけるようですねぇ…」
大鎧の女騎士の存在は既に黒神領全体に周知されていた。
いまだにその正体がうさタンクであるとはほとんど認識されていないが、どうやらメアの関係者であるらしいという一点のみで全幅の信頼を寄せられ、国の護衛騎士のような立ち位置となっているのだ。
「とにかくやりましょう…私だってまだまだやり残したことがありますからぁ…お互いに生き残りましょう」
「…あぁ」
そうして緊張感と重圧がとれないまま、作戦が開始され、先にもあったように避難自体はは驚くほど順調に進んでいた。
センドウの情報が鮮度と精度が高かったことに加えて緊急用にと用意されていた通信機により初動の指示が円滑に伝えられたこと、さらに最近は増えてきたとはいえ、黒神領の人口が少ないことにそのほとんどが「メア様教」に従事しているために結束力やシルモグとカナリによる統率力が高く、混乱やパニックがほぼ起こらない状態で避難が開始できたことなどすべてがうまく嚙み合っていたのだ。
「よし…たぶん…全員この辺りからは移動できたよな…?俺も逃げたほうがいいのか…?でも貴重品なんかはどれ持ち出せばいいかわかんねぇし…つーかそう言えばアザレアがどっかに領民の名簿があるって言ってたな…それ探して照らし合わせとかねぇと本当に全員逃げたのかもわかんねぇじゃんか…あぁー…くそ!やっぱ俺じゃうまく立ち回れねぇよ…」
一人残り、静かになった屋敷の中でウツギは頭を抱えて弱音を漏らす。
実際のところ彼はうまくやれていると言ってもいい働きをしている。
突如として押し付けられた役割を完ぺきとは言えずとも今できるほぼ最善手を選んで行動できていると言ってもいいだろう。
だがこの場にそれを肯定することの出来る者はおらず…ただただ圧し掛かっている重圧に負けかけていた。
「あぁ~くそ…どうすりゃいいんだよ…」
頭の中でやらなくてはならないこと、やるべきことに加えてそれの達成方法がわからず思考がこんがらがり、ついにその場に座り込みそうになった。
だが不意に激しく屋敷の扉が開かれる音がそれをやめさせた。
「な、なんだ!?」
「あ!やっぱりいた!アニキ!何やってんすか!!」
扉を壊す勢いで屋敷になだれ込んできた集団はウツギの仲間たちだった。
先日の事件以降はウツギの方が気まずさから距離を置いていたために疎遠になりつつあったのだが、なぜか彼らは避難をせずに屋敷にやってきてしまったのだ。
「なっ…なにやってんだよお前ら!避難指示が出てんだろうが!まさか…どさくさに紛れて火事場泥棒とか考えてんじゃねぇだろうな!?」
「んなわけねぇっしょ!アンタの姿が見えなかったから心配で探しに来たんっすよ!」
「そうっす!どうせアニキの事だから妙な責任感だして残ってんじゃねぇかって!」
「は、はぁ…!?何考えてんだ!早く逃げろ馬鹿か!それに…なんでお前らが俺を心配して探しに来るんだよ…」
仲間たちの中にはウツギが一度は殺してしまった者たちの姿もあった。
そんな彼らを直視することができず、視線をそらしてしまう。
「んなもん仲間だからに決まってるじゃないっすか!」
「そっす!俺ら硬い絆で結ばれたクズ仲間じゃないっすか!」
「盗んだ金で同じ釜の飯を食った仲じゃないっすか!」
本当にそれでいいのだろうかとその場の誰もが思ったが、ここは空気で押し流すしかないと仲間たちは矢継ぎ早にまくしたてながらウツギの腕を掴んだ。
「あ、おい!」
「前からクズの癖に妙にグズグズ悩んだり、繊細なところがあったりそんなめんどくせぇアニキの事俺らはよく知ってるっす!」
「それにあの件は誰のせいでもなかったんでしょ?ならアニキが気に病むことはないじゃないっすか」
「そうそう、一人だけ今更俺らの中から足抜けしようったってそうはいかないですよ」
「アニキは俺らのリーダーなんすから」
ウツギに無理やり前を向かせ、依然と何ら変わりない信頼の笑みを仲間たちは見せた。
「お前ら…相変わらず薄っぺらくて適当なこと言いやがって…それに…クズクズうるせぇんだよ!ボケどもが!」
仲間たちに向かってウツギがドロップキックを決め、それを全員で受け止める。
「ギャハハハハ!やっぱりアニキはそうでないと!」
「っす!」
今この瞬間も敵の襲撃は続いているが、確かにウツギの心は少しだけ軽くなった。
思考が絡み合って何が何だか分からなくなっていた頭がすっきりして、次に自分がやるべきことの整理がついた。
それが正解かは分からないが、それを選択できるのは自分しかいないのだ。
ならばやるしかないのだと一度だけ両の頬を思いっきり叩いて自らに活を入れ、ウツギは顔をあげる。
「うるせぇ!いいからとっとと逃げろ!俺もすぐにあとを追いかけるから」
「あ!そうだアニキ!実はちょっと問題があって…それも込みでアニキの事探してたんすよ!」
「問題だと?なにかあったのか…?」
「ほらあのアニキに懐いてた緑色の髪の子供が…」
その特徴を聞いてウツギが思い当たるのは一人しかいなかった。
何故かちょこちょこと自分についてきては塩気のある菓子をねだってくる、メアよりはやや年上に見える程度の幼女の姿をした緑の龍、リョウセラフだ。
「あのガキか!?アイツがどうかしたのか!?」
「いやメア様教の人たちから聞いたんっすけどアニキを探してどっか行っちまったらしくて…」
「はぁ!?なんでだよ!」
「アニキがいないから不安になったんでしょう…たぶん。とにかくそれでアニキのところにいればその子も見つかるかもって思ったんすけど…いない感じっすか?」
ここに来るまでにウツギはリョウセラフの姿すら見ていない。
また逸れたという話を聞いてこの屋敷までやってきた仲間たちがその姿を見ていないとなると、少なくともここにまっすぐとやってきてはいないという事だ。
「アイツ…俺にくっついてばかりだからほとんどこの屋敷とオッサンたちとの訓練場しか知らないだろうし、土地勘なんて絶対ないだろ!?まさか迷ってんのか!?クソが!」
「あ!アニキ!!」
焦燥感に駆られ、開け放てれている扉からウツギが屋敷を後にしようとした時だった。
耳の奥に重く叩きつけられるような粉砕音と共に、数秒ほどの地震が起こったのだ。
「な、なんだ今の音は!?方角的には訓練場の…ちっ!!」
バクバクと心臓を鳴らしながら走る。
焦りから動悸がしてはいるが、それ以外は鍛えていたおかげか問題はない。
あの憎たらしいブルーの修行も無駄ではなかったと絶対に口にはしない感謝を浮かべながらとにかく走った。
そしてウツギは音のした方向に進むにつれて周囲の光景がおかしくなっていくことに気が付いた。
とにかく辺り一帯が巨大な魔物が暴れたかのようにボロボロに荒らされているのだ。
地面は凹み、木々は薙ぎ倒され、建物は崩れている。
さらにおかしいのはそれだけではなかった。
それは周囲にもたらされているのが「破壊」だけではないという事。
木々は折れて粉砕されているものもあるが、中には溶けて液状になっているものがあるのだ。
建物も岩も地面も…巨大な力によって破壊されているのと同時に溶かされているものが点々としている。
「何がどうなってんだよ!おい!チビガキ!どっかにいるのか!?いたら返事しやがれ!!」
どこに敵がいるのかもわからない状況で大声を出す…それは自分の位置を潜伏している相手にばらすことになる愚行ではあるが、それでもウツギはリョウセラフの確保を優先したかった。
こんなわけのわからない状況にあの小さな子供を放り投げたくはなかったのだ。
そこにいるのかさえ定かではないのに。
「おーい!いるんだろ!返事をしやがれー!」
「おにい…ちゃん…」
半ばやけになって叫ぶ声に返答があった。
か細く消えてしまいそうな声で。
「っ!いるのか!?どこだ!!」
「ウツギおにいちゃん!」
見つけた。
半分以上が溶かされた巨大な木の向こう側でぬいぐるみを抱えて涙目のリョウセラフがウツギの方を見ていた。
「っ!そこにいろ!今行くから!」
速く、とにかく速く…!!と一心不乱に足を動かし、ウツギはリョウセラフのもとにたどり着いた。
その小さく、震えている身体に手を伸ばし…。
「来るな!!!ウツギ―!!!」
「え…?」
横から大きな声を浴びせられ、ウツギは放心しつつもリョウセラフを抱きかかえて庇う。
そしてそんなウツギをさらに覆い隠すように巨大な影が落ちた。
それは…筋肉の鎧を纏う青き龍…ブルーのものだった。
「おっさん…?なにをして…」
「うぐっ…ごほっ…!…に、にげ…ろ…」
逃げろ。
そう言い残してブルーの巨体が地面を揺らしながら膝をついた。
そして開けた視界のその向こう…やや沈みかけている陽の光を背にして派手な金髪の女が翼を生やして空に浮かんでいた。
「きゃはははは!やったやった!ついにやったーっ!あたしの勝ち―!あぁもう、ほんとうにしつこくてしぶとかった~筋肉ってすごいんだねーうん…あたしももうちょっと鍛えたほうがいいかなぁ~?」
金髪の女はコロコロと表情を変えながらくるくると空で自分の身体を掴みながら回っている。
そんな気の抜けるような行動をしているが、ウツギの本能は今すぐこの場から逃げろと告げていた。
冷や汗が止まらず、身体の震えが止まらない。とにかく寒いのだ。
「お、おい…逃げるぞ…しっかり捕まってろよガキ…」
「お兄ちゃん…?」
一瞬…いやそれよりも長い間、ブルーをここに残して行くのか?と悩んだが、それよりもこの腕の中の子供を安全なところまで連れて行くのが先だと「おっさん…わりぃ」と謝罪の言葉を噛み殺し、女に背を向けて走り出そうとした。
しかし…。
「あーそこダメだかんねー逃げちゃ。せっかくだしそのちっこい緑も倒しちゃいたいし」
「…!」
いつの間にか金髪の女はウツギの方を見ていた。
異様なほどに綺麗な容姿をした女だ。
派手ではあるが下品ではなく、妙な可愛らしささえ感じさせる。
「な、なにもんだお前…枢機卿…ってやつか…?」
「お兄ちゃん……あの人…りゅう…」
「…やっぱそういうやつかよ…!」
最悪だ。
人間が相手なら、まだ希望はあった。
勝てるとは思わないまでも、同じ人間が相手なら必死になれば逃げることくらいできるかもしれない…そんな気持ちがウツギの中にあったのは確かだ。
しかし相手は龍…正真正銘、人智を超えた存在で…ウツギが何をどうあがいたところでどうしようもない化け物だ。
「んー?もしかして人間?えー?なんで龍が人間なんかに守られてんの?変なの~…まあただの人間なんて邪魔にもならないから楽でいいんだけどね~っと」
金髪の女がその綺麗な形のしなやかな指をウツギと腕の中のリョウセラフに向ける。
そして───
「あーーーーーーーー!!!!!!爪が割れてる!!!!!!!!!!」
盛大に叫び声をあげた。
「なんでー!?もしかしてさっきの戦いで!?えー最悪なんですけどー!昨日塗ったばかりなのに…無理だって~むりむり~!」
そう叫ぶと女はどこからともなく小さな爪やすりを取り出すと真剣な顔で爪と向き合い始めた。
「お、おい…」
「だまって!あたし爪割れてるとかマジで無理だから!ちょっとたんま!…先っちょだけだし削れば行けるかなぁ~…でも他とのバランスがなぁ~…うーん…案外アンバランスなのも可愛いと思い込んでみる…?でもそーいうーの趣味じゃないかもー…あーん!もうさいあくすぎるー!」
もはやウツギなど気にも留めず、それよりも爪が大切だと完全に意識を外されていた。
「…今なら逃げられるか…?よし…ガキンチョ…絶対に音をたてるなよ…」
「うん…」
ゆっくりと、決して女の気を引かないようにと少しずつ後ずさる。
勢いに任せて走っても気づかれれば終わりだ。
どうあがいてもウツギでは龍に勝てはしない…それどころか相対することすら叶わないのだ。
それくらい存在が隔絶している。
「…焦るな…焦るな…」
「…」
一歩、また一歩…来るときに見た巨大な大木の影に向かってゆっくりと進んでいく。
姿さえ隠せれば、そこから逃げる希望がつながるかもしれない。
とにかく時間を稼げば…叩ける誰かが来てくれるかもしれない。
それにかけるしかないと小さな希望に向かって必死に手を伸ばす。
「あ、忘れてた。せっかくだしその筋肉にやらせればいいんだ」
そんなウツギの全身全霊をかけた逃走劇も女の何でもないような一言で無に帰される。
完全に意識を失っていたブルーがゆらりと立ち上がり、焦点のあっていない目でウツギの方を見たのだ。
「お、おっさん…?」
「…」
ブルーは何も言わない。
何も言わずにその巨大な拳をウツギに向かって振りぬいた。
「っ!!!!?」
それは奇跡だった。
ウツギは驚いた拍子に力の入っていた足を滑らせ、リョウセラフがしがみついていたのもあり後ろ向きに倒れたのだ。
そのおかげでブルーの拳はギリギリを掠めて空を切り、その衝撃は二人が身を隠そうとしていた大木を粉々に砕いた。
「あははっ!我こそは【金】──鋼をも侵す絢爛たる金…毒金龍ポイズンオブゴールド。あたしの毒に侵されれば誰もがみんな魅了される。これぞまさに「金」が持つ魔の輝き…なーんちゃって!あたし賢い事言っちゃったかも!きゃはははは!じゃあそういうわけで爪の「緊急ちゅじゅちゅ」がおわるまでよろしくね筋肉ちゃーん。ふんふんふふーん、爪をがりがり、ごりごり、ぬりぬり忙しいなっと…てか塗るまでやっちゃったら乾くまで戦えなくない?あっはっ!うけるー!」
一人けらけら笑う金の龍を背にブルーはその拳をウツギとリョウセラフに向ける。
どれだけ考えても…ウツギにはこの場を生き残る方法を思いつくことができなかった。
毒金龍…ドッキンとときめくのか、どきゅんだと遠巻きにするのかご自由にどうぞください。
8月になりました!
異常な忙しさからは解放され、まだ精神的に落ち着いていないのと、忙しさに流されできていなかった日常のあれやこれを消化している最中なのでまだ完全に休みとは言えない感じですが、まぁ戻ってこれました!
とりあえず今回や前話と数話分をまとめた長さにして投稿しているので、やることの整理をしつつ、ぼちぼちペースを戻して行ければなと思っております…!
ただ月末あたりになると以前ほど忙しくはならないですが、完全な暇は終わってしまうので8月の間になるべくお話を進めたいなとは思っております!そんな感じでよろしくお願いいたします!




