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降伏と逃走2

 風が吹き、森の木々がざわめいた。

そんな何でもない音にもスレンは肩を震わせ、ストガラグは冷や汗を見せつつも「落ち着きたまえ」と安心させるようにスレンの肩を叩く。


謎の黒髪の幼女から逃げ出し、何とか撒いたと思ったのもつかの間…二人は森の中をあてもなく彷徨い歩いていた。

人のいる場所まで行こうと方針を固めたはいいものの、とにかく逃げることを優先し、無茶苦茶に走ってしまったために森の中で方向を完全に見失ってしまったのだ。


しかしそれでもストガラグは社会人(プロ)だ。

森の中で迷ってしまった時の対処法程度なら熟知している…はずだったのだがどういうわけかそれらのすべてが意味をなさなかった。


「どうなっている…?」

「ストガラグさん…?どうかしましたか…?」


「いや…」


見上げた日の位置が数分前とは反対側にあるように見えた。

捉えたと思った川の流れる音が向かっているはずなのに遠ざかっていく。

最悪、元の場所に戻れるようにと傷をつけた木を見失ってしまう。


いくら極限状態にいると言ってもあり得ないミスの数々にストガラグは異様なものを感じていた。

さらには…。


「あ、あの…ストガラグ、さん…さっきから誰かに…」

「そうか…キミも感じているのならやはり気のせいではないのだろうな」


森を彷徨いだしてから二人はずっと何者かの視線をその全身に感じていた。

どれだけ探っても自分たち以外の気配はない…だが確かに見られている。


(アリセベクの研究室で観察用の小動物を見たことがあったが…あれと同じ気分を俺たちはいま味わっているのかもしれんな…どうするべきか…少々危険な賭けではあるが…いたしかたない)


ストガラグは突如としてその場にああった大きな木に背中を預けて座り込む。


「ストガラグさん!?やっぱり限界が…!」

「落ち着けと言っているぞスレン特務執行官。キミも疲れただろう…ここで一休みと行こう」


そんなことをしてる場合じゃないでしょ!?と声に出しかけたが、足の指の痛みがが逆にスレンを冷静にさせた。


(いや…ストガラグさんは意味もなく行動したりはしない人だ…これもきっと…)


スレンが恐る恐ると確認するように目を合わせると、ストガラグは静かに頷いた。

やはりこれは何らかの意味がある行為なのだ。

ならばと足を庇いながらスレンもその場に力を抜いて座り込む。


気が張り詰めていたせいでよくわかっていなかったが、座り込んだ瞬間に脚が楽になると共にどっと疲れが押し寄せてきた。

しかし真の意味で休むことはできない。

ここは安全な場所ではないのだから。


「ストガラグさん…これからどうすれば…?」

「…このまま膠着していても仕方がないからな…我々を観察している何者か…そいつを暴き出す」


「どうやって…?」

「手を出さずに観察してきているという事は何らかの理由があるという事だ。変化を求めている…と言い換えてもいいだろう。状況を用意してそこにモルモットを放ち、どういう行動をするか見守る…それが観察というものだ」


「俺たちがモルモットだと…?」

「さぁ…向こうの意図は分からない以上はなんともな…。しかし俺たちがモルモットだとして…何の行動も起こさなくなったならば状況の変化を観察主は求めてくるはずだ…つまりは」


「姿を見せるかもしれない、と?」

「そうなればいいと思うのはいささか希望的観測が過ぎるかもしれないがね」


状況を変えるだけならばわざわざ直接手を下す必要はない。

観察の箱庭に石を落とせばモルモットが慌てふためくように、あの黒髪の幼女でも差し向けられればそれだけで今度こそ致命的な損害を負うだろう。


「いや…我々を見ている何者かがあの少女でないと考えている時点で希望か…」

「え…違うんですか…?俺はてっきり…」


「もしあの子供が既に我々の場所を見つけているというのなら今更観察してくる意味がないだろう…出会ってすぐに殺しに来たくらいだからな…もともと観察が目的ではない…という予想ではなくそうであってほしいという願望だがね」

「その…ストガラグさん…」


「ん?なんだねスレン特務執行官」


スレンは何度かパクパクと口を開き、ごくりと生唾を飲み込むと覚悟を決めたかのようにストガラグを見据える。


「お、俺を気にしないとして…ストガラグさんが全力で戦えばあの女の子に勝てますか…?」

「…ふむ」


「自分が足手まといになってるっていうのは…わかっています。だから今度あの子に襲われたのなら…」

「そこまでだ。俺にキミを見捨てると言う選択肢はない。なぜならキミの保護を含めて上司からの仕事だからだ。社会人ならば与えられた仕事の条件は絶対遵守…その中でどうやっていくかを考えるべきであって前提を覆すなどあってはならないのだ。キミも社会人ならば覚えておきたまえ」

「…はい」


社会人という言葉を出してきた以上はストガラグは絶対にその意見を変えない。

彼にとってその言葉がどれだけ硬く重いものなのかということもスレンは既に知っている。

だからこそふと気になるときがあるのだ。

なぜそうまでしてストガラグは社会人であることにこだわるのかと。


どうせ状況の変化を待たなければいけないのだ。

いい機会だから聞いてみよう…それくらいの信頼関係は築いてきたはずだとスレンは口を開く。


「あ、あの…ストガラグさん…どうしてあなたは…」

「待て」


ガサッと草木が揺れる音がした。

風ではない。

明らかになにかがそれを踏み荒らした音だ。


「まさか…もう…?」

「動くなよスレン特務執行官。冷静に逃げ道を確認しておくんだ…いいか?もし危険な相手だった場合は俺の合図とともに木の裏に向かって左側に走れ。そのための覚悟を」


スレンは言葉無く頷き、この数時間でもう何度繰り返したかわからないが唾を飲み込む。

草木を踏み荒らす音は二人に向かってどんどん近づいてくる。

確実に自分たちに向かってきていると理解すると心臓が一気にその鼓動を早めた。

それはスレンだけではなく、ストガラグも同様だ。

やがてそれは飛び出すようにして二人の前に現れる。


「あら!誰かと思いきやストガラグ様ではないですか。こんなところで会うとは奇遇でございますね」

「貴様が…なぜここに…」


それはストガラグとスレンの心情に反して穏やかな笑みを浮かべた女だった。

なぜかシスター服を全身に纏った教会のない黒神領に似つかわしくない格好の女で…そしてストガラグもよく知っている人物であった。


「リムシラ…いったいどうなっている…?」


────────────


ストガラグとスレンは先ほどまでと同じように森を歩く。

ただ一点だけ違う部分をあげるのならば彼らの前を先導するようにシスター服の女…リムシラが歩いていることだ。


「ストガラグさんのお知り合い…なんですか?」

「あぁ…俺と同じ枢機卿の一人だ。以前少しだけ触れただろう?主に殲滅人などに駆り出されることが多い奴なのだが…少し前から連絡がつかないと聞かされていた。それがまさかこんなところにいたとはな…」


「そうなんですね…どういう人なんですか?」

「…一言でいえば人格破綻者だ。俺が出会った人間の中でぶっちぎりのな」


「えぇ…?」


あまりにも間抜けな声を出してしまったスレンだったがそれも仕方のない事だろう。

リムシラはその人となりを知らないスレンが見てもただただ優しそうな人という印象しか受けなかったからだ。


顔に浮かんでいる穏やかな微笑みがそう思わせるのか…はたまた清純さと潔白さが形になったかのようなシスター服をきこんでいるからなのか…。

少なくともあのアリセベクより人格が破綻しているという風には見えなかった。


「…思い込みが激しいうえに依存体質でな…大司教…いや、元大司教か。お世辞にも人格者とは言えなかったあの男が偶然の重なりでそんなつもりもないままに助けた元孤児とかだったはずなんだが…それ以来大司教に心酔していてな…奴の命令ならばどんな下劣な行為も笑いながら実行する…そんな女だった。普段も大司教の女中のような真似をしていたな…大司教がなくなって以来荒れていたと聞いたが…とにかくキミはあまり関わるな。会話も俺を通してした方がいい。わかったな?」

「は、はい…わかりました…」


スレンの返事に頷いてストガラグは先頭を行くリムシラの背を見つめる。


───実はお仕事でここに来ていたんですけど、少々面倒なことになってしまいましてね。

───でもストガラグさんもここに来ていたのは僥倖でした。

───あちらに私の拠点があるのですが、そこでお話ししましょう?


そうリムシラは言い、歩き始めた。

少しでも戦力が欲しい現状において、戦闘力という点では枢機卿の中でもトップクラスのリムシラと合流できたことは彼女の言う通り僥倖のはずだ。

なのに何かがストガラグの中で引っかかっていた。

どう言い表してもいい、不穏な気配でも違和感でもなんでも。

とにかく嫌な感覚をストガラグは味わっていたのだ。


「…リムシラ」

「はぁい?」


「ここには任務できていたと言ったな?お前もアリセベクから頼まれたのか…?」

「ありせべく…さん…?え~と~…あーアリセベクさんですねはいはい、まぁそんなところですかねぇ~うふふっ」


あえて教皇ではなく、アリセベクの名前をストガラグは出した。

もしアリセベク側の命ならば教皇の思惑を知られるのはまずいと判断したからだ。

それに教皇がリムシラにも助力を頼んだのならばそれをストガラグに伝えない理由はないのだが。


「…どんな命を受けている?」

「おかしなことを言いますねストガラグさん。そんなの皆殺しに決まってるじゃないですか」


「皆殺し…黒髪もか?」

「んん?そりゃあ全員ですよ全員。みんな殺すから皆殺しって言うんですよ?」


やはり何かがおかしい。

アリセベクは「黒髪以外」全員殺すと言っていたはずだ。

なのにリムシラはそれも含めて皆殺しだと言う。


(あの男なら俺にリムシラもいることをわざわざ言わない可能性はあるだろうが…だがリムシラに黒髪を殺すなと伝えていないと言うのは考えにくい。どうなっている…?)


前を歩いているために表情がうかがえないのがどこまでも不気味だ。

今も彼女はあの穏やかな微笑みを浮かべているのだろうか…?


ストガラグの背を冷たい何かが伝う。


「…リムシラ」

「今度はなんですかー?」


「大司教は元気か?」

「んん?だいしきょう…だいしきょう、だいしきょう…あー…あー!大司教さま!ええ元気ですよ。先日もお土産をもっていったときなんか大変喜んでいただいて…ん?あぁじゃなくて…──先日亡くなったではないですか。それがどうかしましたか?」


「…逃げるぞスレン特務執行官」

「え?」


これは降って湧いた幸運ではない。

大口を開けた不幸だ。


有無も言わさずストガラグはスレンの手を引いてリムシラとは逆所方向に走り出そうとした。

しかしその行く手を阻むように森を焼きながら炎の柱が吹き上がり退路を断つ。


「っ!」

「ストガラグさん!?」

「うふふっ…どこに行こうっていうのですか?お二人さん」


ゆっくりと振り返ったリムシラは…ニコニコと笑っていた。

ストガラグはその顔を幾度も見たことがあった。

彼女はその笑みを浮かべ…人を殺す。


「貴様は…誰だ…?なぜリムシラと同じ顔をしている」

「同じ顔だなんて妙なことを言いますね。私が私の顔をしていることに何の疑問があるのです?」


「まさかこの期に及んで本人だとでも言うつもりか?」

「ええだって本人ですもの。あぁでももし違って見えると言うのなら…私が生まれ変わったのを感じ取ったのかもしれませんね」


「生まれ変わった…?」

「ええ!ええ!そうなんです!ストガラグさん!わたしはうまれかわったのです!「あの方」の手によって…私は本当の神を見ました…うふふっ…それでその神様があなたたちの事を知りたいっておしゃられているんです。だから…大人しくしていただけます?」


「断る…と言ったらどうするつもりかね?」

「うふふふ…神の御心とはつまり世界の法です。それに逆らう罪深き人には罰を降して浄化を与えなければなりません。それこそが赦しとなるのですから」


そう語るリムシラの瞳は一点の曇りもない澄んだそれだった。


────────────


────同時刻。

青き龍…ブルーは「敵」と対峙していた。


「まさかお前まで出てくるとはな…聖のやつもさすがに予想していなかっただろうな」


その険しい視線の先にいるのは長い金髪を流している女…否、龍であった。


「あっれー?なんでこんなところに青がいるの?変なのー…人を殺しに来たのに龍に会うなんて…これどうするべきなんかなー?んー?余計な事したら赤様に怒られそうだしな~」

「悩んでいるところ悪いな「金」。もしお前の目的がこの地の襲撃にあると言うのなら…一足先に俺と戦争をしてもらうことになるぞ」


ブルーが強く拳を握りしめ、その全身の筋肉を隆起させる。

まさに臨戦態勢…盛り上がった鋼鉄の肉体の下は血よりも濃く殺気が走り廻っていた。


「あーやだやだ、筋肉ダルマはせっかちなんだから。というかなんで人間がいないの?もしかして食べた?えーそんなのどうしようもないじゃん…どうしよ」

「食べるわけがないだろうが。相変わらず意味の分からん女だ。それで?戦うのか?それとも立ち去るのか?どうするつもりだ」


「…収穫無しで帰ったらそれこそ怒られそうだし…人間より龍ぶっ殺したほうが褒められるかな?今はあの聖もいないし…にっしっし、じゃあやっちゃおうかな?」


バサッと金龍が翼を広げ、空に舞い上がる。

赤につく二柱の龍が一つ…それが今、黒神領に牙を剥いた。

侵攻してきている敵側なのに何故か追い詰められているストガラグ組。

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― 新着の感想 ―
この上司うちの会社に100人ぐらい下さい
ストガラグさん…きっと主人公の師匠です、間違いありませんね なんて立派で頼り甲斐のある人なんだ…
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