飴玉
「ちょっとストガラグさん!あの!ほんとにどうするつもりですか!」
「…」
ストガラグとスレンが黒神領の森を二人で歩いていた。
周囲を観察しながら時折その場にしゃがみ込んで土や石を手に取ったりを繰り返しているストガラグとそんな彼に対して不満げな顔で抗議を続けるスレンは静かな森において完全な異物となっていた。
「絶対にダメですってストガラグさん!国の人間を殺し尽くせなんて命令いくら何でも聞けるはずないですよ!ここはなんとか他の人たちを止める方法を考えて…」
「落ち着きたまえスレン特務執行官…そう騒がずとも我々の「目的」は調査だ。アリセベクたちが何の目的で何をしようとしているのかを調べて欲しい…そう教皇様から頼まれたのを忘れたのか」
「いや忘れてはないですけど…」
「ならばそう興奮する必要はあるまい。アリセベクたちに怪しまれないために何人かは殺す必要はあるだろうが…まぁ社会人に課せられる最低限のノルマといったところ──」
「だからそれがダメなんですって!理由もなく人を殺すなんて…虐殺ですよそんなの!それにそれじゃああのアリセベクって人の事は止められないじゃないですか!」
「…教皇様もアリセベクを止めろとはおっしゃられなかった。ならば止めること自体が何らかの不利益になると言う可能性もある。いいかスレン特務執行官、社会人というものは上からの命令には忠実であるべきなのだ。思考停止は論外だが、余計な気を回して個人判断で命令外の事をして歯車を狂わせるなどあってはならない」
「そう言う話じゃないでしょ!?人が死ぬんですよ!それでいいって言うんですか!?なんか…いろいろおかしいですよ!俺は誰かの助けになれるからって教会に所属したのに…実際に目にするのは人殺しばかり…なんなんですかいったい!」
「…」
ストガラグは何も答えなかった。
スレンの姿を捉えているその瞳に何が映り、どんな色が浮かんでいるのかはハットの鍔に隠されて伺い知ることはできない。
ただそれ以上は言うなと言葉無き言葉でスレンの口を閉じさせるのみだった。
「…何とかできないんですか」
「…今後の流れ次第だろうな。調査の結果、教皇様にとってアリセベクを止める理由になる何かが見つかればあるいは…」
思わずスレンに気を使ったようなことを言ってしまった口をストガラグは慌てて閉じた。
状況が不明瞭である以上は希望を持たせるようなことを言うべきではない…何よりもそれは教皇の意向ではないのだから。
ストガラグたちの目的はアリセベクの目的と理由の調査だ。
目的はすぐに殲滅…いや、虐殺だと判明はしたが、なぜそのような命令がアリセベクに出ているのかがまだ判明していない。
本人に問いただしたところではっきりとした答えは返ってこず、そうなればこの黒神領にそうしなければならない理由があると信じて調査をしてみるしかない…だがしかし、ハッキリ言ってそんなものが見つかる可能性は低いとストガラグは考えていた。
そもそもそんなものが見つかったところでやはり教皇も虐殺を良しとするという答えを出す可能性もある。
希望などないにも等しい。
それにもかかわらず言葉を口にしてしまい、しまった…と社会人にあるまじき失敗をしてしまったと後悔したが、言葉は取り消すことはできない。
既にスレンは目を輝かせながらストガラグの手を引かんばかりの勢いで歩みを進め始めてしまった。
「ほ、ほんとですか!?なら早く調査を進めないと!」
「やれやれ…スレン特務執行官、お前は社会人としてもう少し落ち着きをもちたまえ」
「いやいや!こうしてる間にもどんどん状況は悪くなってるかもしれないんです!のんびりしてる暇は…ん?なんだろうあれ…見えますかストガラグさん、あそこにぶら下がってるやつ…」
「ぶら下がっているだと?」
不思議そうな顔でスレンが足を止めて遠くにある一本の木を指差す。
その指の先をストガラグが目で追っていくと…確かにその木の枝に大きな何かがぶら下がっているように見えた。
果実…というには大きすぎるうえに、一つだけ実っているというのも変な話だ。
「この地特有の風習…とかですかね?もしくは何かの目印とか」
「だとすればあの一本だけ…というも妙だと思うがね」
「確かに…周囲に他に何かぶら下がっているような木はないように見えますしね。行ってみます?」
「…そうだな、調査なのだから少しでも気になるものは全て調べてみるべきだ」
調査のため…そう口にしたが実際のところ彼らを突き動かしたのは別の動機だった。
本来ならばそこまで気にならないであろう一本の木…そこにぶら下がっている何か。
二人はなぜかどうしようもなく「それ」に惹きつけられたのだ。
どうしてもそれの正体を知りたい…それに触れてみたい、と。
先ほどまで丁寧に周囲を観察していたストガラグでさえ、ただ一直線にそれに向かって進んでいき…木まで10メートルというところで二人は同時に足を止めた。
そこにぶら下がっていたものの正体が理解できてしまったからだ。
「ひっ…!あ、あれは…ひ、人…!?女性が吊り下げられている!」
悲鳴のようにスレンが叫び声をあげた。
二人が見たものを簡単に言葉にするのなら、それは女の首吊り現場だった。
木にぶら下がっていたのは赤髪の女であり、枝に括り付けられたロープで首を吊られているのだ。
しかもそれだけではない…女は人ではあるが、そのシルエットが明らかにおかしい。
女には…四肢がなかったのだ。
「なんて惨い…こんな悪趣味な…拷問でも受けたのでしょうか…うぅ…と、とにかく降ろしてあげましょう…あのままじゃあひどすぎる…」
「待て!」
スレンが口を押えながらも女に近づこうとしたのをストガラグが止めた。
彼らしからぬ強い制止にスレンは驚き、固まってしまう。
「ストガラグさん…?」
「なぜ…あれがこんなところにいる…?数年前に無色領で行方不明になったと聞いていたが…」
「え!?も、もしかして知り合いですか…?ならなおさら早く助けないと!」
「待てと言っている!…近づけば死ぬぞ」
重々しく唾を飲み込み、ストガラグは額に汗をにじませる。
彼は知っていた…凄惨な首吊り死体にしか見えない女の事を。
彼らは知る由もないがその女はこの地において「ノロ」と呼ばれている存在だった。
「死ぬって…何を言って…」
「比喩でも何でもないぞ。あれに常人が近づけばそれだけで嘘も偽りもなく死ぬ。教会…というより教皇様の元で管理されていて数年前に何らかの理由で移送中に無色領で行方不明になった…俺はそう聞かされていた。それがなぜ…」
「いや!そんなこと考えてる場合じゃないでしょ!あのままじゃあの女性…」
「騒ぐな、社会人であるならば常に冷静であることを心掛けるのだ。あれはあの状態が普通で死ぬことは…いや、よく見ると俺が最後に見た時よりも損傷個所が増えている…?片腕片足は残っていた気がするが…」
言葉通りにストガラグは冷静に状況を伺った。
この場所にいるはずがない、いてはいけない存在が確認できた…これは間違いなく教皇に報告するべき事象だ。
なら次はどうするべきか…回収はできない。
ストガラグでさえもノロに近づくとなれば死を覚悟しなければならないからだ。
(アリセベクはこれを探していた…?いや、それならばもう少し準備をしてくるはずだ。奴とて「あれ」には近づけはしないはず…ならば偶然…?それはあまりにも…。どちらにせよここで何もせず戻れば不審に思われるか?最悪わざと傷を負い、前線から引き上げるとでも報告するか…)
「あ!ちょっ!ストガラグさん!」
今後の身の振り方を考えていたストガラグの方をスレンが強く掴んで揺さぶる。
その慌てた様子にストガラグは思考を中断した。
「どうしたスレン特務執行官」
「あの女性が…消えました…」
「なに?」
視線を戻すとノロは確かにその場から跡形もなく消えていた。
首を吊っていたロープすら残さずに。
「どうなっている?どこに消えたんだ…?覚悟を決めるしかないか…スレン特務執行官、周囲を十分に注意し、何があっても俺より前に出ないことを徹底しつつあの木の元まで行くぞ。いいな?」
「は、はい!」
約十メートルの距離をたっぷりと数分かけながらストガラグは進んだ。
スレンは状況をそれほど理解できていないが、ストガラグがこれほどまでに慎重になるのならばそれだけ危ない状況なのだとだけ理解して一言もしゃべらずにその後を追う。
そうして問題の木の近くまでたどり着いた二人だったが…そこに痕跡は何もなかった。
初めから何もなかったかのように何もだ。
だが代わりに予想外のものが見つかった。
それは────
「ストガラグさん…女の子が…」
「ふ、む…」
それは黒髪の少女…いや、幼女だった。
どうみても一桁代の年齢としか思えない外見で、ふわふわとした癖っ毛の黒髪が特徴的だ。
「こ、こんな完全な黒髪の子が本当にいるんですね…ちょっとだけびっくりしました…やはり黒神領というくらいですからこんな子がたくさん…?」
「いや、いくら何でもここまで完全な黒髪というのはめったにいないはずだ。仮に生まれたとしても出生と同時に殺されるか捨てられるのが普通だからな。この年齢まで生き残っているというのはかなり珍しいはずだ」
「そ、そうですか…ひどい話ですね…そ、それでどうします…?」
「どうと言われてもな。会話が出来るのならばいいが…そこのキミ。少し話を聞いてもいいだろうか」
ストガラグはスレンが驚くほどの優しい声色で幼女と視線を合わせて話しかけた。
黒髪の少女は聞こえているのかいないのか返事はせず、眠たそうな半開き…いや、ほとんど閉じている目を何度か擦りながらゆらゆらと揺れている。
「俺の言葉がわかるか?この辺りに住んでいるのかな?」
「ふぁ…」
幼女はやはりストガラグの言葉には答えず、ただひたすらに眠たそうにしているだけ…しかしそこでストガラグは幼女の頬が少しだけ動いていることに気が付いた。
まるで飴玉でも舐めているかのようだ。
「キミ眠いのか?それなのに飴玉を舐めるのはいけない。下手をしたら喉に詰めてしまうかもしれないぞ。そうだな…ひとまずどこか人のいる場所に案内してもらえないか?それと先ほどまでここにいた女について知っていることがあれば教えて欲しいのだが…」
「…」
幼女の目が少しだけ開いてストガラグとその背後のスレンの姿を捉える。
そしてもごもごと動かしていた口の動きをピタリと止め…「んぇー」とその口を開いて見せた。
小さな口、そこからチロリと除く小さく赤い舌。
その上に乗っていたものは…。
「っ!逃げろ!スレン特務執行官!」
「え…?」
ストガラグがスレンの事を突き飛ばした。
さらに周囲の空気が捻じ曲がるように重くなったのをスレンは感じ、同時に左足の親指を尋常ではない痛みが襲う。
「っっっっっ!!!!!?」
余りの痛みに悲鳴を上げることすらできず、突き飛ばされた姿勢のまま動くことすらできない。
「っぐ!くそ!起きろ…スレン特務執行官…!逃げるのだ!死ぬぞ!」
無理やりにストガラグに立ち上がらされたが、脚が地を踏みしめた途端にやはり左足の親指には想像を絶する痛みを訴えかけてくる。
それだけで死んでしまいそうな痛みに動くことができない。
「気をしっかりともて!くそっ!いいか!これはパワハラではない、緊急に駆られた必要的措置だ!」
スレンの頬に衝撃が奔り、鈍い痛みがじんわりと拡がっていく。
ストガラグに殴られた…気が付くのにそう長くはかからなかった。
それで少しばかり痛みに支配されていた思考が正気を取り戻し、同時に見てしまった。
おそらくストガラグは右腕で殴ってきた…それはいい。
そちらとは逆の腕がおかしなことになっているのだ。
そこには左腕がないとおかしいはずなのに、ストガラグの左肩に繋がっているそれはどう見ても腕には見えないシルエットをしていた。
関節が狂ってしまったのか、あらぬ方向にあらぬ回数折れ曲がり、何よりも肉と骨が詰まっているとは思えないほどに平べったくなっており、ぐちゃぐちゃと気味の悪い音をたてながら血と肉を吐き出している。
「す、ストガラグさん…」
「逃げるぞ!とにかく逃げるのだ!痛がるのはその後だ!」
死ぬ…ここにいれば本当に死んでしまう。
ようやく思考が追いついてきたスレンはストガラグに言われるまま、無我夢中で走った。
何かに気を遣う余裕はなく、ただただ走り続ける。
「っ!左に跳べ!スレン特務執行官!」
「うわあああああああ!!!?」
半狂乱になりながらもその言葉だけには従わなければならない気がして指の痛みも気にせず全力で左に向かって跳ぶ。
その瞬間、耳を貫くかのような轟音を立てながら先ほどまでスレンがいた場所にあった木がひとりでに粉砕され、もはや粉状にすらなっている木片へと変わってしまった。
「ひ、ひぃ!!?何が起こって…!」
「呪骸だ…あの少女の口の中に…呪骸があったのだ!飴なんかじゃなかった…あれは間違いなく呪骸だった…とにかく立つのだ!まだここは「アレ」の有効距離内だ!」
周囲からはまたあの轟音…木々が粉砕されていく音が聞こえてくる。
そこでようやくスレンは気が付いた。
自分の足の指は…そしてストガラグの左腕はあの木々のように粉砕されたのだ。
呪骸の力によって。
「な、なんで…!呪骸ってストガラグさんが持ってたあれですよね!?ということはあの子も枢機卿って事ですか!?」
走りながらスレンは叫んだ。
そんな疑問を今解消してもしょうがないことは分かっているが、それでも何か話してないと正気を失ってしまいそうだったから。
「いや…違うはずだ…俺も枢機卿全員を把握しているとは言わないが…それでもあんな少女がいるのならさすがに気が付くはずだ…それにあれからはもっと…おかしなものを感じた。もしかすると人間ではなかったのかもしれん…」
「な、なんでそんなのがこんなところにいるんですか!」
「わからん…何が起こっているのだこの国で…」
それからどれだけ走ったのだろうか、気が付くと二人は見覚えなおない場所まで来ていて、あの粉砕音は聞こえなくなっていた。
「助かった…?」
「まだ安心はできんが…あの子供の脚では追いつけてはいないと信じるしかないな…どれスレン特務執行官…足を見せてみろ」
「い、いや…俺よりもストガラグさんの方が…まずはそっちの治療を…」
「俺は大丈夫だ。こういうことには慣れてるし痛みには強い。とにかく靴を脱ぐのだ」
「うっ…」
見たくはなかったがスレンは自分の足先を見てしまった。
酷い有様…と言うしかない。
文字通り何かとてつもない力で粉砕され、潰されているとしか言えないのだから。
「…いいか、とにかく気をしっかりと持ち続けるのだ。今はおそらく頭が興奮状態で多少は痛みに鈍感になっていると思うがこれから徐々に自覚してくるはずだ。熱も出るだろう。しかしいつまたあれが襲ってくるのか分からない以上は絶対に気をやるんじゃないぞ。どんな状況であれ死ぬよりはましだろうと心を強く持て。わかったな?」
「は、はい…あの…これからどうするつもりですか…?」
「すぐに撤退をしたいところだが…このような異常事態に遭遇してしまったからには逆に帰れなくなったと言わざるを得ないな。この国は異常だ…教皇様の命の件もあるが少しでも情報を持ち帰らなければならん…社会人としてな」
「そうですか…死ぬとしてもですか…?」
「死ぬとしてもだ。だが今本当に死ぬわけにはいかんな…ここはなんとか一般人を装うかアリセベクのやつがことを起こしたらそれに便乗する形で住人に接触して寝床と薬を提供してもらおう。最悪は…」
襲ってでもという言葉をストガラグは飲み込んだ。
これまで接してきたことからそういう事をスレンが嫌がるのを理解していたからだ。
おそらくはこれからそういう甘さを捨てなければならない事態に直面するだろうが…今はそこで言い合いになることの方を避けたかったのだ。
「なんにせよ…まずは生き残ることだな…まさかここまで大きな仕事になるとは…やれやれだ」
そんな二人の様子を物陰から眠たげな真っ赤な瞳がじっと観察していた。
この世界では幼女を見たら逃げろと言う教訓。




