突然の継承
「何だってんだ…いったい…」
エナノワールの屋敷で一人ポツンと佇み、ウツギは思わずそう呟いた。
その手の中にはお世辞にも綺麗とは言えない、古びた指輪が転がっていてそれを見つめながら目を見開いて固まってしまっている。
その指輪はかつてウツギが意味もなく欲しがっていたもの…エナノワールの当主の証である指輪だった。
本来はアザレアが持っていないといけないはずのそれをなぜウツギが手にしているのか。
彼はもうすでに盗みからは完全に手を洗っている。
アザレアの下でエナノワールの一員としての仕事を始めてから…いや、ブルーとソードの二人と共に修業を始めた日から。
だからその指輪は盗んだものでは断じてない。
────アザレアから押し付けられたのだ。
「ウツギさん」
「あ…?」
半ば呆けていたウツギに不意に声が掛けられ、びくっと肩を震わせながら振り向くと、視線の先にいつのまにかセンドウが立っていた。
いつものニヤついているような不気味な笑みは鳴りを潜め、彼にしては珍しく無表情でウツギの事を見つめている。
「な、なんだ…センドウのおっさんかよ…んだよ真面目な声出しやがって…」
「いえ、少し話があったのですがぁ…なにやらあなたもお困りの様子ですねぇ」
「…あぁ、そうだな。わりぃけど今は話を聞くような精神状態じゃないかもしれねぇ…」
「ふむ…困りましたねぇ。その指輪になにかぁ?」
「…エナノワールの当主に代々受け継がれるって指輪だ…なんで…」
「おや?アザレアさんがそんなものを付けているのは見たことがありませんでしたがぁ~…」
センドウは数歩だけウツギに近づき、指輪の全体像を視界にとらえる。
その言葉通り、やはりアザレアがそんなものを指に嵌めていたのは見たことがなかった。
当主の証…ただの古びた指輪とはいえ、そこに込められた意味は中々に重たいもののはずだ。
センドウは今更ウツギがそれを盗んだとは考えてはいない。
ここ最近のウツギの行動を見るに、今更そんなもの欲しさに盗みに走るとは思えなかったから
ならばなぜ?とウツギに声をかけた理由も一旦忘れて指輪を食い入るように見つめる。
「だろうよ。あいつがエナノワールの象徴でもあるこんなもんを嬉々として付けるわけがねぇ。でも持ってはいたはずなんだ…そしてそれを急に俺に押し付けて来やがった」
「押し付けて?」
「ちょっと書類の関係で…わかんねぇことがあったから聞こうと思ってアイツの部屋に向かってたら…急に走ってきたあいつに組み敷かれてよ…「私はここを出ていく。もしかしたらもう戻らないかもしれない。だからこれアンタにあげるわ」ってぶん殴られて気絶させられてよ…気が付いたらこれを握らされてて…」
「ふむぅ…それはただならぬ事態ですねぇ…しかしその話が本当ならば今アザレアさんは近くにはいないと」
「あっ!そうだよ!呆けてる場合じゃねぇ!はやくあいつを探さねぇと!俺に急にこんなもん押し付けてどうしようってんだ…!」
「あ~ウツギさぁん。大変恐縮なのですがぁ…そこから動かないでもらえますかぁ?」
カチャッ…とやけに耳に残る金属音が鳴り、センドウが手に握る何かをウツギに突き付けた。
それは言葉にするのなら持ち手のついた筒だ。
黒光りするそれからは何故か不吉…いや、謎の恐怖のようなものを感じてしまう。
「な、なんだよ…何の真似だセンドウ…俺ちょっと急いでんだけど…」
「アザレアさんが何を考えているのか伺い知れませんが、非常に残念なことに事態は都合のいいように進んでしまっている。ならば私は行動しないといけないのです、えぇ…」
「は、はぁ?何を言って…」
バァン!とセンドウの持つ黒光りする筒から強烈な破裂音が響いた。
それはウツギを黙らせるには十分すぎるほどの音で…センドウは筒を壁側に向け、取っ手についていた引き金を引いたのだ。
筒の先からはひも状になった煙が吐き出されていて、そして筒が向けられた先の壁には焦げたような穴が空いていた。
「センドウ…あんた…」
「もう後戻りはできないのですウツギさん。いま、この地に私の上司が来ています。いいましたかねぇ?私は本当は赤神教会の所属…そこの研究部門を統括している枢機卿の部下なのです」
「っ…」
「彼が行動を開始したのなら私も動かねばならない。実は柄にもなくこんな日が来なければいいと…そんな夢のようなことを考えていたのですけどねぇ…これが現実というわけですよぉ…ともかくあなたが現在当主の証を持っているというのなら非常に都合がいい。アザレアさんもいないというのならなおさらです。私は彼女に命を握られていますからねぇ…その点も重なりすべての流れが「こちら」にある。さぁ覚悟を決めていただきましょうウツギさん」
カチャリ…とセンドウの手にある筒が鈍く音をたてた。
────────────
静かに空気が張り詰めていく黒神領を高い崖の上から苦々しい顔で見下ろす男の姿があった。
病的なほどにやせ細ったその男の名はアリセベク。
教皇より枢機卿の名を与えられた一人だ。
「ふん、なんだ?この国は。整地も満足にされていなければ設備も何もない、何もかもが不完全で非効率だ。いくら穢れた地に住む者であろうとも人の形をしているのなら多少は頭を使うことくらいできるであろうに…そんなこともできないゴミと「人間」という同じ種の括りにされていることが実に業腹だ。そうは思わないかストガラグ」
アリセベクから伸びていた影が不意に二つに分かれ、不吉な雰囲気を纏った男…ストガラグがつばの広い帽子を押さえながらその隣に立った。
「俺の言葉など非効率だと切り捨てる癖に話を振るな」
「ふん、私が同意を求めればただ肯定の意を持って頷けばいいのだ馬鹿が。それを非効率だと言うのだ」
「はぁ…まぁいい。それで?これからどうするつもりだ。ここまで来たのだ、いい加減に目的の説明くらいしてほしいのだが?」
「ふん、貴様病院で寝ている間に余計に馬鹿になったか?この私が不本意ながらも人手が足りないと貴様のような非効率の塊に声をかけたのだ。そして作戦の場所は穢れた地である黒神領。ここまで言われればサルでもわかるだろうに。これだから馬鹿との会話は無駄に体力を使い非効率なのだ」
「…いつまで続けるつもりだ。馬鹿でも何でも構わないが気が済んだのなら早く話せ」
「ちっ…殲滅だ。私は教皇様よりこの地にいる人間を殲滅しろとの命を受けた」
「なっ!?ちょっと待ってください!!」
アリセベクとストガラグの間に割り込むように…いや実際に一人の青年が身体を割り込ませ、アリセベクに食って掛かる。
「なんだ貴様は…ああいや、確かストガラグの病室にいた馬鹿だったか。名は覚えていないぞ。そんな無駄なことに処理を裂くほど俺の脳は非効率ではないのでね」
「スレン特務執行官だ。お前の直属でないとはいえ、教皇様の命で俺のもとにいるのだ…そちらにとっても無下にしていい人物ではない」
「いや!そんなことは今はどうでもいいんです!それよりも殲滅っていったいどういう事ですか!?」
「ぎゃあぎゃあと吠えるな。この距離でそこまで声を荒らげる必要がどこにある?発声というものは自然にやっているようでいてその実中々に熱量の消費が求められる行動だ。故に必要以上の声量、文脈を口にすることは非効率以外の何物でもない。そんなことすらわからん馬鹿などたとえ教皇様から命令されたとしても俺の傍には置かんよ」
「その発言はいただけないなアリセベク。我々は社会人として上司の命は個人的感情を排除して従う必要がある。それが社会に出るにあたっての──」
「だから!今はそんな事どうでもいいんですって!なんですか殲滅って!」
瞬間、アリセベクの枯れ木のような腕がしなり、スレンの頬を打った。
いきなり暴行を加えられるとは思っていなかったスレンは驚愕に目を見開き口を噤む。
「二度も同じセリフを口にするな非効率だ。貴様の行動は何もかもが非効率すぎてみるに堪えん。言葉の意味など聞けばわかる程度には頭に叩き込んでおけ馬鹿が。殲滅と言えば殲滅なのだ。この国にいる人間を殺し尽くす。ただそれだけだ」
「な、なんでそんな…!?」
「待てスレン特務執行官。アリセベク…先ほどの話ではないが、本当に黒神領の人間を皆殺しにするという命令が降っているのだとして俺に助力を乞う理由はなんだ?お前の持つ呪骸の力ならば俺の手を借りずとも難しい事ではないだろう」
「はっ!今度は頭を使ったかストガラグ。ああそうだ、実は殲滅と言っても少し条件がある。ほんの一部…黒髪を持った人間は殺すなと言われているのだ」
「黒髪だけは生かす…?」
ストガラグはその命令内容に違和感を覚える。
彼自身、そこまでの選民思想を持っているわけではないが、それでも人並みの黒髪や黒神領に対する差別意識はある。
なので「黒髪を全員殺せ」という命令ならば行動の是非は置いておいて、そういう事もあるだろうと納得ができるのだが、「黒髪は殺すな」というのは理解ができない。
なぜそんな命令をするのかと意味と意図が理解ができない。
黒神領に住む者は他の領を追われた者たちばかり…故に穢れた地だ。
皆殺しならばまだ理解ができる。
しかしなぜ…差別され忌み嫌われ迫害される黒髪だけを生かせ…などと言われるのか。
そこにどんな意味があるのか分からない。
(教皇様からアリセベクが受けた命について調査してほしいと頼まれはしたが…これはどう受け取ればいいのか…ふむ…)
「ただ単に殲滅ならば私一人でいい。だが殺さない相手を選ぶ必要がある以上は手が足りん。理解できたが?馬鹿どもが」
「い、いや…いくら黒神領とはいえ相手は普通に過ごしている人たちですよ!?暴れてる魔物なんかとはわけが違います!殲滅なんてそんな真似が許されるはずないでしょう!?」
もはや口をきくつもりすら失くしたのかアリセベクはスレンの言葉に反応を返すことすらしなかった。
それが余計にスレンに火をつけ、さらに食って掛かろうとした…のをストガラグが手を翳してやめさせる。
「ストガラグさん!?」
「おちつけスレン特務執行官。アリセベク…とにかく内容は理解した。黒髪を持つ者は生かして、それ以外は殺す…間違いないのだな?」
「そう言っているだろう。わかり切ったことを確認するな。非効率だ」
「…了解した。ならば当然手分けをするという事だろう?ならば俺とスレン特務執行官はここで別れさせてもらうがいいのだな?」
「わざわざそのしなくてもいい質問、それに応えないといけないのか?この私が?」
「いや?確認をしたかっただけだがもういい。だが…部下の姿が見えないようだがお前は一人なのか?」
「ふん、部下などという足を引っ張るだけの非効率な物、この私に必要あるモノか。まぁそれなりに使える馬鹿はすでに送り込んでいるがな。…何はともあれ貴様もそのぎゃんぎゃんとうるさい邪魔者は早々に見切りをつけることだな…その方が効率的だ」
そう言い残しアリセベクは一人、崖を降っていくのだった。
「ストガラグさん…ま、まさか本当に殲滅なんて…しませんよね…?」
残されたスレンはストガラグに縋るように問いかけた。
「あの男はこんなわけのわからん嘘を道楽でついたりはしない。おそらく本当なのだろう」
「そんな!じゃあ止めないと!いくら何でも皆殺しなんて!」
「…だが奴が教皇様…正確に言えばあの方曰く「裏」にいる何かからの命令を受けていることは間違いがない。ならば社会人として真っ向から対立するわけにもいくまい。それに教皇様から俺に与えられた密命は敵対ではなく調査…なおさら怪しい真似はできん」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう!この国でいったい何人の人間が暮らしてると思ってるんですか!それをみんな殺すだなんて…そんなの色狩りだとか悪斬りだとかの殺人鬼よりよっぽどじゃないですか!」
「ふぅ~…スレン特務執行官の言いたいことも分からないでもない。だがやはり表立ってアリセベクに敵対や妨害はするべきではない…それに調査もまだ十分とは言えない。目的は分かったが理由がまだ…ならば…とにかくまずは黒神領まで降ろう。直接赴けば何か分かる可能性もある」
「…絶対に殲滅作戦なんてナシですから」
ふぅ~…と疲れたような息を吐き、ストガラグはアリセベクとは逆側から崖を降り、その後ろから不満げな表情のスレンもついていくのだった。
名前も覚えていますし、曲がりなりにも会話をしているので実は社会人の事をそれなりには認めている効率厨。




